2017年4月30日 (日)

「ライス回顧録 ホワイトハウス 激動の2920日」コンドリーザ・ライス著

もはや前の前になってしまったアメリカ大統領の時代の外交政策を国務長官だったライス氏が振り返った日本語版2013年7月出版の本を今頃読みました。

IQ 200超と持つ言われた方が、当事者として記録したアメリカ外交。

世界のリーダーとしてアメリカがリーダーシップを発揮するのが当然という前提の下で外交が行われていて強いアメリカを感じます。・・今のアメリカの状況と比べてしまいます。

しかし、欧米中心の考え方が強くて、アジアの理解は薄いように感じます。欧米のリーダーたちの目にアジアがどのように映っているかがなんとなくわかります。

トップの立場から書かれているので、登場するのは各国のトップで、リーダーたちの性格まで描かれていることで、国際関係が一握りのリーダーたちの考え方、リーダー間の相性で決まっているように見えます。

・・相応しくない人が国のトップになると国民すべてが不幸になるんだなあと思います。

各国の政治家も生身の人間で、ものすごく優秀であったとしても、自分が消化できる限られた情報で、かつ一部の限られた人たちだけの目線(特権階級の目線)で意思決定をしているとすれば、普通の一国民が自分の住んでいる地域ともう一つ、比較的自分の関係があるとか、あるいは少し気になるとかぐらいの理由でもいいから、普通の人の目線で外交を見ていくのも大事だと感じました。

本質はエリートが見えていないところにあるかもしれません。

人は経験したことからしか想像ができない。

生まれた時からエリートとして過ごしているとエリート以外の人が理解できないのでは?

本が伝えたかったことではないと思いますが、そんなことを感じてしまいました。 

2017年3月15日 (水)

「底ぬけビンボー暮らし」、「潮風の町」 松下竜一著

職場の方が、ベストセラーになっている「応仁の乱」呉座勇一著の話を、いきなり始められて、読んでみたいと仰ったんで、ちょっと前にその本を買っていて、なかなか読み終わらずにいたので、それじゃ貸しましょうかと本を持っていったら、それじゃ代わりにと2冊の本を貸してもらいました。

人に本を借りて読むのは、あまり好きじゃないけれど、松下竜一氏の本だったし、せっかく持ってきてくださったんで、読んでみました。

その方は私が貸した「応仁の乱」を一晩で読んで、返してくださったけれど、私は一週間経った今やっと読み終わっています。

松下竜一氏は、以前ノンフィクションの本を紹介していた誰かの本で名前を見ていて、「風成の女たち」という作品、ルポルタージュ、を読みたいと思ってずいぶん探したんですが、絶版になっていて、結局見つけられず、そのままになっていました。

なので、松下氏の本を読むのは初めて。

この方は家業の豆腐屋を廃業して作家に専念された方ですが、公害や原発反対運動など、市民活動をされていて、そのような運動を題材にした作品が多いです。

ですが、今回借りた2冊はそういう作家活動をしている著者と家族を題材に書いた本で、自分が読みたかった「風成の女たち」とは違ったものでした。

「底ぬけビンボー暮らし」は実話、「潮風の町」は自分と家族をモデルにした創作も含まれるもの。

「底ぬけビンボー暮らし」から読み始めて、最初は表現の豊かさに感動しながら読みました。

でも自分が書きたいものしか書かない。だから貧乏。

そんな貧乏な自分たちの生活をさらけ出して書いて、わずかではあってもお金を得ている。
途中から嫌な気持ちになりました。

日々の家族との生活を描くことで、著者の強くない(人間みんな強くないけど)面が見えている。

そんな方が反対運動に出かけていって、地元の方に交じって反対運動をする。反対運動を思想的に支える。

地元の方は生活があるから反対運動をするけれど、活動家は自分の信じるもののため、反対運動をする。

地元の人は反対運動が成功しなければ、直接自分たちの生活が変わっていくけれど、よそから来て運動をサポートする活動家は、負ければその地域を去るだけ。

活動家って無責任。

昭和の時代は、闘争をすることで、何かが変わった。闘争に意味があったと思います。

でも今は、運動をしても結局、最初の予定通りに物事が進んでいく。あるいは反対運動で、物事が当事者の想いとは違う方向に進んでいく。

価値観が多様化して、目指す方向を一つにできなくなった。

そんな中で、市民活動家が自分の信念で運動に参加しても、当事者とは想いが違うかもしれない。

世のため、人のために活動してるって言ったって、どういう世の中のため? 誰のため?って思ってしまう。

「潮風の町」1978年発行、「底ぬけビンボー暮らし」1996年発行。松下竜一氏 2004年没。
松下氏は古き良き時代の人です。貧乏を気にせず、清く豊かに生きた方。

そんな方が、日々の生活をつづった本を素直に読めなかった。

純粋で美しいものを、単純にそう感じられなくなった自分を・・・寂しく感じる2冊でした。

2017年3月11日 (土)

安全衛生の会議に出席して

職場の安全衛生に関する会議に出席しました。

上席の方が健康推進員をしており、本来はその方が出席するはずなのですが、会議が重なったので代理出席しました。

私たちの組織は、基本各事務所単位で職場の安全衛生に取り組みますが、同じ地域の事務所10数か所がグループを作って、そのメンバーで年、数回会議を開催しています。

各職場で実施している安全衛生について他の事務所の事例を参考にできるように、情報交換を目的として、この会議が持たれているようです。

今回は、年度末になって、今年の総括と来年度の計画を行うものでした。

初めて参加して新鮮だったので、ちょっと気がついたことを書いてみることにしました。

まずは、どこの職場もそれぞれ独自の取り組みをやっていて、職場の安全衛生がともすればおざなりになっているんではないかと思っていたので、ちょっとした驚きでした。

でもそれは、それぞれの事務所が安全衛生に配慮しなければならない事情があるということで、

例えば、建物が、バリアフリーをあまり考えられていない、すごく昔に建てられていて、階段の手すりがないというところが数か所あったり、

残業時間の月平均が60時間を超えている部署があるけれど、特殊な業務なので、他の部署から応援を出せないとか、

メンタルヘルス不調の方が増えて、その方々への配慮とともに、(人員が増やせないので)他の方にどんどん負担が行っている話とか、

いま世間でよく言われていることが、我が職場でも切実な問題になって、それで各事務所が真剣に考えるようになったんだなと。

でもやはり安全衛生は、取り組んでいる総務や人事にとっては優先事項であっても、事業を行っている部署にとっては、忘れ去られがち。

健康管理は個人の問題と考えている上司もまだまだ多いんじゃないかとも感じました。

会社のために、社会のために、あるいは自分の成果のためにひたすら働くっていうのがあって、そうじゃないといい仕事はできないという考え方もあるけれど・・・

人生のある時点ではそういう経験も必要だと思うけれど、それがずっと続くことに耐えられる人はそう多くないだろうし、まして山積みになった仕事に意味があるんだろうかなんて考える状態だったら、身体も精神も持たないことは想像がつきます。

人間は動物なんだから、仕事時間中は目いっぱいやって、時間が来たらさっと仕事を止めて、それ以降は家庭や地域のことを考えて、十分に休養もとって、というのが当たり前で、

それで家庭で子どもやパートナーを大事にして、しっかり次世代を育てていくとか、明日の仕事に向かえるよう自分を管理するとか、

会社だけが繁栄すればいいんじゃなくて、地域も大事で、それは誰かがするんじゃなくて自社で働く社員が住民として当然にすることって考えてもらいたいなと思います。

自社の社員は、家庭から育つ。

人が育つための環境を整える。

人は24時間生活する環境の中で育つのだから、家庭や地域の役割もとても大切。

次世代を担う子どもたちが、学校だけじゃなくて、家庭や地域でどのように過ごせるか。

自社を担う次の世代のために、仕事を終えた社員が、家庭や地域で過ごす時間を充実できるように環境を整えることも必要では?



企業がゴーイングコンサーンというなら、そこまで考えてもいいんじゃないかなと。


人間が単純労働で価値を稼いできた時代から、平凡な社員さえ、クリエイティブなものを求められるような時代に変わってきていて、社員の労働の質を高めるために、何をすべきかと視点もあっていいのではないか。

個人は個人で会社がどうにかしてくれるのを待つのではなく、これでいいのかって思ったら、もう少し頑張れるって思わずに、「これでいいのか?」をとことん考えて、自分なりに行動を起こすことが必要なのではないか。


よその職場の発表を聞いて、会議中や会議後にいろんなことを考えましたが、うまく書けず、伝え切れてません。

アウトプットはうまくできませんが、代理でしかたなく行った会議でしたが自分なりに得たものが多い会議でした。

2017年3月 5日 (日)

日経新聞が変わった!

3月4日土曜日から日経新聞の紙面デザインが変わっています。

英字新聞ぽくなりましたね。

日曜日に楽しみにしていた読書欄が土曜日に移りました。

日曜版は、NIKKEI The STYLE という紙面が創刊されて、3月5日の朝刊本体は、その紙面も折り込まれて、本体はかなり薄くなっています。

これからの日曜紙面も薄くなるんでしょうか?

日経新聞とはだいぶ長いお付き合いですが、これからもしばらくお世話になります。

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2017年3月 4日 (土)

自分が働く組織のこと

国と都道府県と市町村、国は方向性を決めるところ、市町村は住んでいる方と直に対峙して、地域行政を運営するところ。
都道府県は?
国と市町村の間で、いらないんじゃないの?という方もある組織?
そんな中間のある組織で働く私。
情報システム導入の説明会に行って、がっくり肩を落として帰ってきました。
3月初旬のこの時期に4月1日から導入するシステムの説明会が開催されるということ自体、嫌な予感がしていたんですが・・・

公的機関に限らず情報流失が大きな問題になる昨今。
データを持ち出す際に、上司が承認するシステムを導入するという話なんですが、組織で使うデータは原則組織内LAN内で使用するので、各事務所で作業をする分は特に問題なし。
それを例えば出張先とか、LANが設置されていない場所で使う時にデータを持ち出します。
持ち出しは例外的なものだけれど、業務によっては毎日頻繁に持ち出す必要があります。
で、説明を聞くと、そもそもの設計がそんな業務をする部署があることを想定していたかって内容になっている。

説明を聞きながら、うそ・・・まさかと・・・。

この説明会の前にどこかの事務所でテストしたのかな?

いきなり本格稼働で大丈夫かな?

「特定の役職以上のパソコンじゃないと作業ができません。」と説明されます。

業務の準備は担当者がする場合が多いから、使うパソコンを役職に限定するのは現実的ではないし、その役職は作業の間、パソコンが使えず仕事にならない。

淡々と続けられる説明内容。おかしいことはこれだけじゃないけれど、あまり書けないので・・


これから差し障りがでてくるということは置いといて、なぜこんなことになったのか?


まず、データを守ってますっていうシステムを作ることが優先されて、利用者の使い勝手が忘れられた。

データ流出を恐れるあまり、住民の方へのサービスを提供する業務を優先するという視点が抜け落ちた・・・
誰がお客様かということを常に考えていれば、起こらない事態じゃなかったかなあ?
考えて当たり前のことを考えていないとすれば、何も考えていないのではないか?

私のいる組織ってこんな組織だったんだろうかと思ったら、がっくり力が抜けてしまいました。

もっと考えるとこんな組織でも、地域は特に困っていない。ひょっとして必要ない?

組織の中では人が減らされて、それなのにやるべき仕事は逆に増えて、中枢では残業が常態化しています。

目の前の課題をこなすだけで精一杯で、考える時間がないんだろうと思います。

毎日長時間仕事をして、何か形になるものがでてきて・・・

すごく仕事をしている感じになっている人と何やってんだろうと思って心身に不調をきたす人がいるような気がします。

みんなおかしいと思いながらも変えられない? 
とすると救いようがない。

それでも地域は困らない。 


説明会から数日経ちました。
こんな組織で働いているんだとショックを受けたけれど、どうにか落ち着きました。
おかしいと思いつつ、何もできません。
無力感を感じるし、グチグチいいながらも辞めることもできない自分を情けないと思います。



う~ん、自分が見たり、聞いたりした狭い話から考えているかもしれませんね。
すごく頑張っている人・部署が地域ですごく役に立っているかもしれませんよね。

2017年2月19日 (日)

「リーダーの本棚 ユーグレナ社長 出雲 充氏」2017.2.19日本経済新聞

毎回楽しみにしている日経新聞、日曜日読書欄の「リーダーの本棚」、今回はユーグレナ社長の出雲充氏です。

1980年生まれなので、37歳か36歳。いつも登場される方々よりは若干若い。
毎回いかにも難しい本を挙げる方が多い中で、「こち亀」や「ドラゴンボール」が挙がっているのが・・・いいです。

最後に
『皆さん、読書に効率や目的を求めすぎでは。それでは新しい本を読まなくなるでしょう。全然関係のない、遠くにあるものに、本という形ですぐ接することができる。それが本の一番の価値だと思います。』

“効率”や“目的”って言葉を聞きすぎて、もういいかなって思っていたんで、そうですよね~と。

2017年2月12日 (日)

我が組織「職場活性化フォーラム」の個人的感想

2月も半ばになってしまいました。今年はできるだけ書こうと思ったブログも続かず、今日が2月最初の投稿になります。

「ドラッカー365の金言」という本を読んでいます。
毎日1テーマ、1ページでドラッカーを読めるようになっているので、毎日1ページずつ読んでいます。
本日2月12日は「傍観者の役割」
「傍観者には役者と顧客には見えないものが見える。」

演劇において、役者は舞台の上で演じており、それを見ている観客は芝居の命運を左右する。
傍観者は何も変えないが、役者や観客とは違うものを見る。

「傍観者は自分の目で見、自分の頭で考える。」

このページの出典は「傍観者の時代」という著作で、それはドラッカー氏の自伝的な著作だそうです。

ですから、傍観者はドラッカー氏が自身のことを言っているのだと思います。
それで偉大なドラッカー氏と同じように自分も傍観者だなんて言うのはとんでもないと思いますし、そもそもここで言われている「傍観者」を理解できていないでしょうから・・・

傍観者の一般的な使い方で、自分も“傍観者”かなと。

自分の組織内で役者になれなかった=組織の主な施策を企画・立案し、実行していく場所には立てなかった。

かといって組織の施策を観客として、何も考えずに受け入れる者にもなれない。

役者や観客とは違う位置で、違うものを見ている。

そんな者が自分の目で見、自分の頭で考えたことを文字にすることには意味がある。

自分にしか役に立たないかもしれないけれど、自分が日々考えていることを残すことに意味があるし、もう少し残さないといけないかなと考えた「ドラッカー365の金言」今日の1ページでした。
(言い訳してますかね・・・)


さて、「活性化フォーラム」

先週金曜日に我が組織の職場活性化フォーラムなるものに参加いたしました。

組織全体で職場の改善に取り組んで優秀事例を選ぶために5組ほどプレゼンを行うというのが、メインのメニューですが、会場に行って超違和感。

会場には音楽(いまどきJ-POP)が流れていて、会場に参加されている方の多くが20代から30代。
平均50代の職場にいてどんよりしていたら、我が組織、本当は若かったあ~?

まあ、平日の半分を使って行うイベントに本業が忙しい役職は出てこないし、仕方なく参加するところは、若い人に「お前行ってこい」って言っているせいもあるんでしょうが。
それでも会場に入ってすぐ、もう50代の自分は主流ではなくなったんだとショックを受けました。

それでモチベーションが落ちて、仕事のペースが落ちる自分ではありませんが・・

まあそれはおいといて、この行事、お祭り的なイベントにされたかったようで、それはそれでみんな楽しめたんじゃないだろうかと思いますし、成功だっただろうと思います。

でも我が組織、かつては楽な仕事の代名詞でしたが、いまや長時間労働や困難業務でメンタル不調が大きな問題になっています。
職場活性化はもっと抜本的な取り組みが必要な段階にきています。

楽しいイベントを開いて、盛り上がってよかったね~で思考停止になっているんじゃないか、解決困難な問題から目を逸らしているんじゃないかとちょっと心配です。

2017年1月15日 (日)

「知の仕事術」池澤夏樹著

2017年1月、集英社からインターナショナル新書が創刊され、5冊の本が出版されるという新聞広告を見て、新しいシリーズの新書が出ることと本のタイトルに惹かれ、最近本代がかさんでるよねと躊躇しながらも買った一冊。

少し前に読んだ池上彰氏と佐藤優氏共著の「僕らが毎日やっている最強の読み方」と同じように、道具としての「知」について書いた本かなと思っていました。

“はじめに”は、

『しばらく前から社会に大きな変化が目立ってきた。
人々が、自分に十分な知識がないことを自覚しないままに判断を下す。そして意見を表明する。そのことについてはよく知らないから、という留保がない。
もっぱらSNSがそういう流れをつくった、というのは言い過ぎだろうか。』

から始まり、個人が安易にインターネット上に表明した意見が、社会を動かしていく状況が書かれています。

そして、

『この本はそういう世の流れに対する反抗である。
反・反知性主義の勧めであり、あなたを知識人という少数派の側へ導くものだ。』と書きます。

カバーの紹介には、『混迷深まる現代を知的に生きていくためには、「情報」や「知識」だけでなく、さらに深い「思想」が必要だ。』ともあります。

そういう本なのねと理解した上で、読み進めるうちに
池上氏&佐藤氏の本が道具としての「知」をいかに手に入れて使っていくかを書いた本であるのに対し、この本は「情報」や「知識」を集め考えて、文章にする=自分の思想を文章として表現する(アウトプットする)ことについて書いた本  
と自分では理解しました。

情報や知識と書かれていながら、本について書いた部分がかなり強く印象に残りましたが、随所に出てくるエピソードに、知識人と呼ばれる人たちは、どのようにしてそれほどまでの知識を集めていくのかと気が遠くなりました。

読み終わって、年取った非知識人が今更ジタバタしてもと絶望的な気持ちにもなりましたが、
それでも自分なりに情報を集めて理解し、自分の頭で考える続けることが大事で、そのために文書を書いてみる(もちろん、よく知らないけどと断りながら)のは意味があることではないかと思い直しました。


知的好奇心の強さが伝わる本で、読み始めたら面白くて最後まで一気に読んでしまいました。
新しく出る本にもこんなに面白い本があって、その上、過去の名著も読みたい本がたくさんあります。いままで本を読んでこなかったつけは大きいですね。
読みたい本を全部読むには、とても時間が足りないです。

2017年1月14日 (土)

「親の介護をする前に読む本」東田勉著&「ライフシフト」リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著

「親の介護をする前に読む本」を読んで、「ライフシフト」を読んでいます。

読みたい本がたくさんあるのに遅読なので、一冊を読み終えるのが待てず、複数の本を並行して読んでいます。

「親の介護・・」と「ライフシフト」もたまたま同じ時期に読んだだけで関連性はなかったんですが・・・

「親の介護・・」の方は、「する前」ではなくて、まさに介護中(といってもほぼ関わっていませんが)で、気になって手に取ったものです。

新書なのですが、読み応えあり。
介護に関する情報を持つと持たないでは、介護される人、介護する人の状況が大きく違ってくるんだなあと目からうろこでした。

介護や死は、日々生活をしていたら、やがては来るものであり、毎日朝が自然に迎えられるように、自然に受け入れていくものと思っていたんですが、本人や周囲がきちんと情報を集めて、努力をしていけば違う結果が生まれるんだなあと・・

プロローグの中で、20代で母親の親の介護に直面し仕事を辞めて50代まで介護中心で生きてきたけれど、それを明るく受け入れた女性と介護に疲れ親と心中しようとし自分だけ生き残ってしまった女性の例が上がっていました。

違いは、最初の女性が介護サービスを利用して、上手に自分の負担を軽減したこと、母親の介護を通じて人脈を広げたこと。

環境も2人の個性も違うだろうから、単純にそれだけではないでしょうが、情報を集めてそれを利用していくことが、人生を変えることになるんだなあと感じました。

自分が知れば、より良い介護を受けてもらえる。

人の最期は必ず来るものだから、その最期までできるだけ本人に幸せに生きてもらうためには、延命をしない選択肢もある。

ただ受け入れるだけでなく、親のためにもっと介護を知ろうという気持ちにさせられました。


そして「ライフシフト」。人の平均寿命がどんどん伸びていく、近いうちに100歳になるだろうから、それに備えた生き方に変えて行かなければならないという話。

100歳まで生きるとすれば、人生を教育→仕事→引退と3つに分けていたいままでの生き方では、引退後の期間があまりにも長くなるし、仕事の期間で稼いだお金では引退後の生活を維持できない。

80代あるいは生涯働き続けることが当たり前になり、そのためにはそれまで働き続けらえるようスキルの学び直しが必要であるし、働き続ける心身を維持しないといけない。

最初の介護がより良い生そして死を迎えるために学ぶということならば、これはまさに自分がより良い生、死を迎えるために学ぶ話なんだなあ。

愛情だけで介護はできないし、年を取ってきつくても引退も出来ない時代になったと考えるか?

野生動物は生きるために死ぬまで自分で餌を取り、身を守る。人間だって動物なんだから、生きるために死ぬまでできることをしていく。

これからの世の中、人間本来の姿に戻る時代になるって考えてもいいかな。

「ライフシフト」は、まだ途中。読み進めて、また発見があるかも。

2017年1月 6日 (金)

「僕らが毎日やっている最強の読み方」池上彰、佐藤優

テレビの露出度が高い池上彰氏とものすごいペースで本を出版されている佐藤優氏の本を読みました。

このお二人の本を本屋さんで買うのはハードルが高い。

流行りものに手を出している人って見られないかなあとつい手が止まります。

この本もお正月に行った本屋で平積みになっていたものをしばらく見ていて、面白そうだなと思いつつ、レジにいけなかった。

でも結局気になって、Amazonでkindle版を買ってしまいました。

「本の読み方」とか「読書」とかタイトルがあるとつい買ってしまうほうで、すごく本を読む方、本好きの方の書いたものに、“そうそう”とか“へぇ~”とか、読む量も読み方も話にもならないレベルでありながら共感したり、関心したりしています。

今回も著者二人は知識も教養もずば抜けていらっしゃるので、そのまま参考にしようなんて大それたことは全く考えませんでした(はなから無理ってことがわかるし)が、情報の触れ方、本の読み方についていろいろ学ぶことがありました。

新聞、雑誌、ネット、書籍、教科書・学習参考書に章を分けて対談形式で書かれていて、情報収集に関して、お二人の共通点、相違点がわかります。

相手に違うところがある時は、自分なりの方法をしっかり確立されているはずなのに、それでもいいところは取り入れようとされていて、知への探求心の強さを感じられます。

佐藤さんがはじめの方で『知は「武器」であり「楽しみ」でもある』と仰っていますが、この本を読むと武器はさすがにもう必要ないと思うのですが、知ることを楽しみにできたらいいなと思います。

この本からノウハウも学べますが、私にとっては、働く者(佐藤氏は「ビジネスパーソン」という言い方をされますが)として、何を大切にするか、どういう心構えを持っておくべきかを考えさせてくれる本でした。

ちなみに池上さんの番組は気になって見始めますが、すごく簡単な解説もたくさん入れて説明される番組も多くて退屈してしまって終わりまで見れませんし、佐藤さんの本は割と好きなのですが、最近は多すぎてどれを読んだらいいのかわからないので、読めていません。

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