2017年8月 1日 (火)

自分自身にとっての仕事

最近雑誌を読まなくなっていたんですが、久々にちょっと丁寧に読んでいたら、おやおやと思う記事を見つけたので。

日経ビジネス2017.07.31 No,1902

毎号、「往復書簡」というタイトルで読者の投稿が載るのですが、「働き方改革で浮いた時間をどう活用?」って投稿。

「時事深層 実践!働き方改革 味の素」(6/12号)(6月12日号の「時事深層 実践!働き方改革 味の素」特集を読んだ方の投稿)
ご自身の職場の働き方改革が進められているそうですが、

『・・・しかし、どうも乗り気になれない。客観的に見れば働き方改革の大義は分かるし必要だと感じるが、主観的には働き方を変えたいとか、浮いた時間でこれがしたいという欲求・エネルギーが不足している気がする。
なぜかと考えていた時、同記事の「個人の生き方に直結するからこそ、自分で決めるべき」とのコメントを読み、まさにそこがぶれているからだと思い至った。

変化し続ける労働環境の中にあって自身がどうありたいのか、浮いた時間を何にどう投資していいのか。もやもやしながら働き方を改革している人は多いのではないだろうか。』
富山県の31歳、会社員の方。

投稿された方が気に障るかもしれないけれど、匿名だし、私のこの文章を読む可能性はほとんどないでしょうから・・

31歳とまだまだ若い方がこんな考え方するのかなとかなりびっくりしました。
仕事がすべてと思わされている感じです。

私だと・・

まず自分がどういう生き方をしたいかを考えると、確かに一生懸命に仕事をしてやりがいを感じたいと思うけれど、家族のことも大切にしたい。そのためには、その時間も取らないといけない。

職場だけだと寂しいからいろんな世界を経験したい。そのために、本を読んだり、旅行に出かけたり、面白そうな遊びをしてみたい。
自分の人生は有限だから、自分が何をしたいか、何を大事にしたいかを自分で考えて、時間を割り振っていく。

終身雇用がほぼ崩れて、人と同じような働き方ができなくなったし、学び方だって大学院に行ったり、海外にでたり、社会人になってからも学校に通ったりと多様になった。

先を行く人の生き方が参考にならなくなったと50代の私でも感じています。
偉くなったり、お金持ちになったりすることに魅力を感じる人が少なくなったんじゃないかなと思います。(そりゃ、偉い方がいいし、お金はあった方がいいけど)

いろんな価値観が溢れて、世の中が不安定になって、世の多数が自分には当てはまらない。

周りが参考にならないから、自分の生き方は自分で考えていくしかない。

仕事だって、生きるために仕方なくの人もいれば、面白くて面白くて仕事が人生っていう人もいていいと思います。

仕事って結局そんなもの。

若い頃みんなと同じような生き方をしてきた私だって、そんなふうに考えるようになってきているから、私たち世代とは比べ物にならないくらい膨大な情報に囲まれている若い人の考え方ってもっと多様だと思っています。

だから最初の投稿に戻って、30代でこういうふうに考えているって、あまりにも職場の中だけで過ごし過ぎているのでは?

いまの仕事だけに時間を使って、一日中その職場にいたら、自分の頭で考えるための情報が入ってこなくなってしまう。

何も考えず、取りあえず仕事。

そんな状態になってるんじゃないか?

そんな人も多い?

若い方の新しい発想が古い日本を変えて行く・・・なんて思っている私は、少し心配です。

2017年7月30日 (日)

「本物の思考力」出口治明著

最近、本を読んでも面白さを感じず、あまり読書をしていませんでしたが、久々に一気にこの本を読みました。

章立ては

第1章 根拠なき「常識」が蔓延する日本

第2章 日本の教育を再考する

第3章 腹に落ちるまで考え抜く

第4章 怠け癖には「仕組み化」

第5章 構想する力

この章立てだけ見ても、

今の状況って変だよね~
なぜそうなるのかな~

等々、日々起こる出来事に「これでいいの」って、危機感ってまで立派じゃなくても、これからのことを考えてうんざりしてる人が目にしたら、惹かれてつい読んでしまうと思います。

圧倒的な知識量の著者の言うことだから、頷いてばかりで読んでしまいますが、あえて自分はどう考えているんだろうかと考えながら読んでみました。

刺激的な本でした。

この本を読んだ最も大きな収穫は、

著者が122ページで引用している自然哲学者 山本義隆氏の学ぶ理由について語った言葉

「専門のことであろうが、専門外のことであろうが、要するに物事を自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため、たったそれだけのことです。そのために勉強するのです。」

一生懸命本を読んでもちっとも頭に入らないし、若い頃勉強してなかった自分が今学ぶことはたいがいの人が既に知っていること。

それでもなぜ自分は学ぶのか、学びたいと思うのか。

自分の頭で考えたい・・・この引用を読んで、まさにって思いました。

2017年6月25日 (日)

「定年後 50歳からの生き方、終わり方」 楠木 新著

このところ、ぜんぜん本を読んでいません。

6月は、月の終わりになって、やっとこの本を読んだところです。

この本は少し前からベストセラーになっている本ですが、定年が見えてきた自分もタイトルに気になり読みました。

昨年、自分がしたかった仕事とは違う部署に配属されて、過去の自分の仕事ぶりについて、昨年からこれまで考えてきました。

わかったことは、自分は強みがあると思っていたのが錯覚だったということ。
冷静に考えてみると苦手なことが案外多かったこと。
自分を評価してみると今の組織の仕事に関して、自分は仕事ができない方に分類されるのではないかということ。

さらに、もし仮に自分が優秀だとしても、同じ能力がある若い人がいたら、その人にはかなわないということ。
これからの時間が残されている若い人に、自分は勝てないんだなあってこと。

それで、自分はどうしようもないから、適当に仕事をするという結論にはなりませんので心配なく。

与えられた仕事を自分の能力を最大限出してやって行こうと思っています。お給料もらっていますから。

で、そんな状況の私が読んだこの本。

定年を迎えた人、定年を間近に控えた人が同じように悩んでいるんだなあと。だからベストセラーにもなるんでしょうが。

それでこの本がアドバイスすることは、定年後も豊かに生きるために、第二の人生をどう充実させるか、50代ぐらいから考えて準備をしましょうということ。

定年後のことをまだ考えていない人には参考になるだろうなと思いました。

でも読みながら自分の将来を考えてみると、ボランティアにしても、自己実現をするにしても、目標がなくて日々が過ごせるのかなと疑問がわいてきます。

そこそこの貯えと年金があって生活に困らない状態で、毎日何かをしても、しなくても生きていけるという状態だったら、果たして怠け者の自分が日々を充実させる何かをやろうとするのか?

毎日、今日はきついから明日から頑張ろうと思って、いつの間にか月日が経っていたとなるんじゃないか?

じゃ、逆に、なぜたいていの人が定年までは働けるのか?

社会に役に立ちたいという気持ちや自分の能力を試したいという思いもあるんだろうけれど、ほとんどの人は、働かないと生活できないから働くっていう気持ちが一番なんじゃないか?

社会に役に立つとか、自分を活かすとかみんな同じような気持ちを持っているだろうけれど、仕事に行きたくない日や自分が思っていた仕事とは違う仕事に就いて仕事辞めたいと思う。

それでも続いているのは、働かないとお金が入らず生活できないから。

それが定年を迎えて、退職金も入るし、65歳になったら年金も支給されて・・・
働かなくても生きていける。

定年後の生き方が不安だから、いろんな本を読んで考えるけれど、実際はその時になって初めて感じるものがある。

その時にそれでも意欲をもって生きていけるか? 

定年を迎えた時、自分の人生に対する考え方がはっきり見えるんじゃないか。

定年を迎え、経済的に働く必要がなくなった時、初めて自分が人としてどれほどの技量があるかがわかる。

たくさん本を読んで準備しても、無駄なんじゃないか・・そんなことを考えました。

2017年5月29日 (月)

1か月に1つブログ

気がつけば、5月が終わろうとしています。

前回このブログを書いたのが4月30日なので、ほぼ一か月ぶりです。

ここ数年、更新頻度が減って、一週間に一つやっと書いていたものが、最近はさらに頻度が減って、一か月に一つになってしまいました。

年を取ってきて、知り合いもそれ相応に年を取った人ばかりになってきて、それぞれの方の生き方を見ていると、

地域がどうであっても、社会がどうであっても、人は生きていけるし、生まれてきた以上は、どんな環境の中でも、生きていかないといけないんだなあとつくづく感じています。

そうなると地域を良くしたいとか、社会がこうあって欲しいとかいうのがなくなってきて、そして、このブログに書きたいことがなくなった(サボりの言い訳かもしれません)。

あるがままを受け入れるができればいいけど・・・

贅沢な生活に慣れ過ぎた日本人は、ちょっと無理かも。

とすれば・・・

国民のことを考える国家がないと一般国民は悲惨なことになるし、社会の今のリーダーたちが自分のことを考えるのに精一杯としても、過去には、自分をなげうって人々のことを考えたリーダーがいたんだし・・

自分の生きる世界が、やはり少しはましな方がいいだろうから・・・

一般庶民も地域や社会がどうあるべきかについて、ブログを書いて考えてみるっていうのは、大事かな。
もうちょっと周囲に目を向けて、時々ブログ書いてみます。

2017年4月30日 (日)

「ライス回顧録 ホワイトハウス 激動の2920日」コンドリーザ・ライス著

もはや前の前になってしまったアメリカ大統領の時代の外交政策を国務長官だったライス氏が振り返った日本語版2013年7月出版の本を今頃読みました。

IQ 200超と持つ言われた方が、当事者として記録したアメリカ外交。

世界のリーダーとしてアメリカがリーダーシップを発揮するのが当然という前提の下で外交が行われていて強いアメリカを感じます。・・今のアメリカの状況と比べてしまいます。

しかし、欧米中心の考え方が強くて、アジアの理解は薄いように感じます。欧米のリーダーたちの目にアジアがどのように映っているかがなんとなくわかります。

トップの立場から書かれているので、登場するのは各国のトップで、リーダーたちの性格まで描かれていることで、国際関係が一握りのリーダーたちの考え方、リーダー間の相性で決まっているように見えます。

・・相応しくない人が国のトップになると国民すべてが不幸になるんだなあと思います。

各国の政治家も生身の人間で、ものすごく優秀であったとしても、自分が消化できる限られた情報で、かつ一部の限られた人たちだけの目線(特権階級の目線)で意思決定をしているとすれば、普通の一国民が自分の住んでいる地域ともう一つ、比較的自分の関係があるとか、あるいは少し気になるとかぐらいの理由でもいいから、普通の人の目線で外交を見ていくのも大事だと感じました。

本質はエリートが見えていないところにあるかもしれません。

人は経験したことからしか想像ができない。

生まれた時からエリートとして過ごしているとエリート以外の人が理解できないのでは?

本が伝えたかったことではないと思いますが、そんなことを感じてしまいました。 

2017年3月15日 (水)

「底ぬけビンボー暮らし」、「潮風の町」 松下竜一著

職場の方が、ベストセラーになっている「応仁の乱」呉座勇一著の話を、いきなり始められて、読んでみたいと仰ったんで、ちょっと前にその本を買っていて、なかなか読み終わらずにいたので、それじゃ貸しましょうかと本を持っていったら、それじゃ代わりにと2冊の本を貸してもらいました。

人に本を借りて読むのは、あまり好きじゃないけれど、松下竜一氏の本だったし、せっかく持ってきてくださったんで、読んでみました。

その方は私が貸した「応仁の乱」を一晩で読んで、返してくださったけれど、私は一週間経った今やっと読み終わっています。

松下竜一氏は、以前ノンフィクションの本を紹介していた誰かの本で名前を見ていて、「風成の女たち」という作品、ルポルタージュ、を読みたいと思ってずいぶん探したんですが、絶版になっていて、結局見つけられず、そのままになっていました。

なので、松下氏の本を読むのは初めて。

この方は家業の豆腐屋を廃業して作家に専念された方ですが、公害や原発反対運動など、市民活動をされていて、そのような運動を題材にした作品が多いです。

ですが、今回借りた2冊はそういう作家活動をしている著者と家族を題材に書いた本で、自分が読みたかった「風成の女たち」とは違ったものでした。

「底ぬけビンボー暮らし」は実話、「潮風の町」は自分と家族をモデルにした創作も含まれるもの。

「底ぬけビンボー暮らし」から読み始めて、最初は表現の豊かさに感動しながら読みました。

でも自分が書きたいものしか書かない。だから貧乏。

そんな貧乏な自分たちの生活をさらけ出して書いて、わずかではあってもお金を得ている。
途中から嫌な気持ちになりました。

日々の家族との生活を描くことで、著者の強くない(人間みんな強くないけど)面が見えている。

そんな方が反対運動に出かけていって、地元の方に交じって反対運動をする。反対運動を思想的に支える。

地元の方は生活があるから反対運動をするけれど、活動家は自分の信じるもののため、反対運動をする。

地元の人は反対運動が成功しなければ、直接自分たちの生活が変わっていくけれど、よそから来て運動をサポートする活動家は、負ければその地域を去るだけ。

活動家って無責任。

昭和の時代は、闘争をすることで、何かが変わった。闘争に意味があったと思います。

でも今は、運動をしても結局、最初の予定通りに物事が進んでいく。あるいは反対運動で、物事が当事者の想いとは違う方向に進んでいく。

価値観が多様化して、目指す方向を一つにできなくなった。

そんな中で、市民活動家が自分の信念で運動に参加しても、当事者とは想いが違うかもしれない。

世のため、人のために活動してるって言ったって、どういう世の中のため? 誰のため?って思ってしまう。

「潮風の町」1978年発行、「底ぬけビンボー暮らし」1996年発行。松下竜一氏 2004年没。
松下氏は古き良き時代の人です。貧乏を気にせず、清く豊かに生きた方。

そんな方が、日々の生活をつづった本を素直に読めなかった。

純粋で美しいものを、単純にそう感じられなくなった自分を・・・寂しく感じる2冊でした。

2017年3月11日 (土)

安全衛生の会議に出席して

職場の安全衛生に関する会議に出席しました。

上席の方が健康推進員をしており、本来はその方が出席するはずなのですが、会議が重なったので代理出席しました。

私たちの組織は、基本各事務所単位で職場の安全衛生に取り組みますが、同じ地域の事務所10数か所がグループを作って、そのメンバーで年、数回会議を開催しています。

各職場で実施している安全衛生について他の事務所の事例を参考にできるように、情報交換を目的として、この会議が持たれているようです。

今回は、年度末になって、今年の総括と来年度の計画を行うものでした。

初めて参加して新鮮だったので、ちょっと気がついたことを書いてみることにしました。

まずは、どこの職場もそれぞれ独自の取り組みをやっていて、職場の安全衛生がともすればおざなりになっているんではないかと思っていたので、ちょっとした驚きでした。

でもそれは、それぞれの事務所が安全衛生に配慮しなければならない事情があるということで、

例えば、建物が、バリアフリーをあまり考えられていない、すごく昔に建てられていて、階段の手すりがないというところが数か所あったり、

残業時間の月平均が60時間を超えている部署があるけれど、特殊な業務なので、他の部署から応援を出せないとか、

メンタルヘルス不調の方が増えて、その方々への配慮とともに、(人員が増やせないので)他の方にどんどん負担が行っている話とか、

いま世間でよく言われていることが、我が職場でも切実な問題になって、それで各事務所が真剣に考えるようになったんだなと。

でもやはり安全衛生は、取り組んでいる総務や人事にとっては優先事項であっても、事業を行っている部署にとっては、忘れ去られがち。

健康管理は個人の問題と考えている上司もまだまだ多いんじゃないかとも感じました。

会社のために、社会のために、あるいは自分の成果のためにひたすら働くっていうのがあって、そうじゃないといい仕事はできないという考え方もあるけれど・・・

人生のある時点ではそういう経験も必要だと思うけれど、それがずっと続くことに耐えられる人はそう多くないだろうし、まして山積みになった仕事に意味があるんだろうかなんて考える状態だったら、身体も精神も持たないことは想像がつきます。

人間は動物なんだから、仕事時間中は目いっぱいやって、時間が来たらさっと仕事を止めて、それ以降は家庭や地域のことを考えて、十分に休養もとって、というのが当たり前で、

それで家庭で子どもやパートナーを大事にして、しっかり次世代を育てていくとか、明日の仕事に向かえるよう自分を管理するとか、

会社だけが繁栄すればいいんじゃなくて、地域も大事で、それは誰かがするんじゃなくて自社で働く社員が住民として当然にすることって考えてもらいたいなと思います。

自社の社員は、家庭から育つ。

人が育つための環境を整える。

人は24時間生活する環境の中で育つのだから、家庭や地域の役割もとても大切。

次世代を担う子どもたちが、学校だけじゃなくて、家庭や地域でどのように過ごせるか。

自社を担う次の世代のために、仕事を終えた社員が、家庭や地域で過ごす時間を充実できるように環境を整えることも必要では?



企業がゴーイングコンサーンというなら、そこまで考えてもいいんじゃないかなと。


人間が単純労働で価値を稼いできた時代から、平凡な社員さえ、クリエイティブなものを求められるような時代に変わってきていて、社員の労働の質を高めるために、何をすべきかと視点もあっていいのではないか。

個人は個人で会社がどうにかしてくれるのを待つのではなく、これでいいのかって思ったら、もう少し頑張れるって思わずに、「これでいいのか?」をとことん考えて、自分なりに行動を起こすことが必要なのではないか。


よその職場の発表を聞いて、会議中や会議後にいろんなことを考えましたが、うまく書けず、伝え切れてません。

アウトプットはうまくできませんが、代理でしかたなく行った会議でしたが自分なりに得たものが多い会議でした。

2017年3月 5日 (日)

日経新聞が変わった!

3月4日土曜日から日経新聞の紙面デザインが変わっています。

英字新聞ぽくなりましたね。

日曜日に楽しみにしていた読書欄が土曜日に移りました。

日曜版は、NIKKEI The STYLE という紙面が創刊されて、3月5日の朝刊本体は、その紙面も折り込まれて、本体はかなり薄くなっています。

これからの日曜紙面も薄くなるんでしょうか?

日経新聞とはだいぶ長いお付き合いですが、これからもしばらくお世話になります。

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2017年3月 4日 (土)

自分が働く組織のこと

国と都道府県と市町村、国は方向性を決めるところ、市町村は住んでいる方と直に対峙して、地域行政を運営するところ。
都道府県は?
国と市町村の間で、いらないんじゃないの?という方もある組織?
そんな中間のある組織で働く私。
情報システム導入の説明会に行って、がっくり肩を落として帰ってきました。
3月初旬のこの時期に4月1日から導入するシステムの説明会が開催されるということ自体、嫌な予感がしていたんですが・・・

公的機関に限らず情報流失が大きな問題になる昨今。
データを持ち出す際に、上司が承認するシステムを導入するという話なんですが、組織で使うデータは原則組織内LAN内で使用するので、各事務所で作業をする分は特に問題なし。
それを例えば出張先とか、LANが設置されていない場所で使う時にデータを持ち出します。
持ち出しは例外的なものだけれど、業務によっては毎日頻繁に持ち出す必要があります。
で、説明を聞くと、そもそもの設計がそんな業務をする部署があることを想定していたかって内容になっている。

説明を聞きながら、うそ・・・まさかと・・・。

この説明会の前にどこかの事務所でテストしたのかな?

いきなり本格稼働で大丈夫かな?

「特定の役職以上のパソコンじゃないと作業ができません。」と説明されます。

業務の準備は担当者がする場合が多いから、使うパソコンを役職に限定するのは現実的ではないし、その役職は作業の間、パソコンが使えず仕事にならない。

淡々と続けられる説明内容。おかしいことはこれだけじゃないけれど、あまり書けないので・・


これから差し障りがでてくるということは置いといて、なぜこんなことになったのか?


まず、データを守ってますっていうシステムを作ることが優先されて、利用者の使い勝手が忘れられた。

データ流出を恐れるあまり、住民の方へのサービスを提供する業務を優先するという視点が抜け落ちた・・・
誰がお客様かということを常に考えていれば、起こらない事態じゃなかったかなあ?
考えて当たり前のことを考えていないとすれば、何も考えていないのではないか?

私のいる組織ってこんな組織だったんだろうかと思ったら、がっくり力が抜けてしまいました。

もっと考えるとこんな組織でも、地域は特に困っていない。ひょっとして必要ない?

組織の中では人が減らされて、それなのにやるべき仕事は逆に増えて、中枢では残業が常態化しています。

目の前の課題をこなすだけで精一杯で、考える時間がないんだろうと思います。

毎日長時間仕事をして、何か形になるものがでてきて・・・

すごく仕事をしている感じになっている人と何やってんだろうと思って心身に不調をきたす人がいるような気がします。

みんなおかしいと思いながらも変えられない? 
とすると救いようがない。

それでも地域は困らない。 


説明会から数日経ちました。
こんな組織で働いているんだとショックを受けたけれど、どうにか落ち着きました。
おかしいと思いつつ、何もできません。
無力感を感じるし、グチグチいいながらも辞めることもできない自分を情けないと思います。



う~ん、自分が見たり、聞いたりした狭い話から考えているかもしれませんね。
すごく頑張っている人・部署が地域ですごく役に立っているかもしれませんよね。

2017年2月19日 (日)

「リーダーの本棚 ユーグレナ社長 出雲 充氏」2017.2.19日本経済新聞

毎回楽しみにしている日経新聞、日曜日読書欄の「リーダーの本棚」、今回はユーグレナ社長の出雲充氏です。

1980年生まれなので、37歳か36歳。いつも登場される方々よりは若干若い。
毎回いかにも難しい本を挙げる方が多い中で、「こち亀」や「ドラゴンボール」が挙がっているのが・・・いいです。

最後に
『皆さん、読書に効率や目的を求めすぎでは。それでは新しい本を読まなくなるでしょう。全然関係のない、遠くにあるものに、本という形ですぐ接することができる。それが本の一番の価値だと思います。』

“効率”や“目的”って言葉を聞きすぎて、もういいかなって思っていたんで、そうですよね~と。

«我が組織「職場活性化フォーラム」の個人的感想