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2011年6月

2011年6月30日 (木)

私の考える「社会事業」

私がイメージしている社会事業って、たいそうなものではありません。

例えば…

勤務先のお昼ご飯は近くのお店に配達をお願いしています。
私というか、みんながよく注文するのは、70歳をすぎたおじちゃんが作るもの。
家庭の味に近くて、毎日食べても食べ飽きないんですよ。…
外食が続くと飽きてきますよね、それがないんです。

そのおじちゃんが、腰を痛めてお店を休んじゃった。

私たち、とっても困りました。
殺伐とした仕事のなかでお昼のご飯ってとっても大切。
他のお店も出前してくれるんですけど、味が濃かったり、脂っこいものが多くて注文する気がしない。

このおじちゃんがやっていることが社会事業じゃないかなって思うんです。
必要とされているものを提供する。

おじちゃんは、自分のために店をやっているだけだけど、それがみんなのかけがえのないものになっている。

気張って難しいことをする必要ないんじゃないかな〜と。

『「仕組み」がものをいう』

いまの社会に疑問を抱いている人が、役所は何もやってくれない、政府が駄目だと愚痴や悪口を言っているだけでは何も解決しません。
愚痴や悪口を言っているだけではなく、いま自分が感じる問題・課題のほんの一部でも自分たちで解決したい、そのための仕組みを作りたいと考えていますが、その気持ちをなかなかうまく人に説明できないでいます。

「20代からはじめる社会貢献」(小暮真久さん著、PHP新書)という本の中で、「仕組み」について説明しているところがありました。

「社会事業においてなにより大事なことは、一時のインパクトよりもいかにアクションを持続するかのほうです。社会というのはいったん安定してしまったら最後、そう簡単には変わりません。それを変えようと思うなら、長きにわたって変えるための行動を、辛抱強く続けるよりほかないのです。
しかも、人の心は移ろいやすいときています。力強い言葉や崇高な理念で一時的にその気にさせることはできても、時間が経てば最初のインパクトはどんどん薄まっていく。気持ちを持続されるのは至難の業なのです。
うまくいっていない社会事業は、たいていここのところを勘違いしています。いいことをしていれば、正しい主張をしていれば、人がついてきてくれるわけではないのです。
また、わかってくれる人だけが応援してくれればいいという姿勢では、単なる自己満足で終わってしまいます。
必ず結果を出さなければならないのは、社会的事業も一般の企業も変わりありません。ましてや寄付金という形で不特定多数の人からお金を預かるのですから、何も変えることができませんでしたでは許されないと僕は思います。
では、結果を出すためにはどうすればいいのでしょうか。一つのかぎは「仕組み」にあります。人々のほんのわずかな善意のかけらも、すくい取ってアクションに結びつける効果的な仕組みを用意できるかどうかが、その社会事業の成功と失敗を分けるといっても過言ではないのです。」

私もまさにそうだと思います。そして私はその「仕組み」の一形態を作ること・運営することを自分の活動にしたいと考えています。

2011年6月29日 (水)

芯を持っていないとブレそう

仕事ができる人は忙しいとは言わないそうですが、言ってしまう私は逆説的に考えると・・・

どこかでも書きましたが先週辺りから、仕事が終わった時間を使ってNAKAKIRA(なかきら)活動を活発にやっています。
一日一人の方にお会いするだけだから、人さまから見れば何が忙しいと言われそうですが、頭の中が忙しさを感じています。

ふと気がつけばしばらくNAKAKIRA(なかきら)のことを考えていません。
活動をしているのに考えていないというのは変ですが、強くそう感じています。

昼間の時間帯は当然仕事のことを考えておりまして、これがまた佳境を迎えた案件が重なって、ない知恵を絞りださないといけない状態で、脳の中は仕事のことだけになっています(カッコつけているのではなくて、キャパが少ないからそうならざるを得ないという悲しい状態)。

ですから仕事が終わった後、もしくは仕事を始めるまでが、NAKAKIRA(なかきら)に使える時間なんですが、
そこに用件を入れてしまうと・・・動いてはいるけど、考えていない状態になってしまいます。

ですからタイトルにも書きましたとおり、芯になるものを持っていないと何のために動いているのか見失いそうです。

活動はまだ始めの始めの段階です。

この時期にしっかり動いてと思っていたのですが、その前提として少なくとも活動に対する考え方がしっかりしていないといけないと気付いたところです。


ひたすら動いていて忙しいけれど、結局何をやっているかわからないという状態は避けたいですから、少し考える時間を作ります。
本質的な事・・何のために活動しているのか、何をしたいのか、どうしたいのかなどなど・・を常に考え、次に何をすべきなのかをきちんと整理しておきたいです。

それにしてもメンバーが忙し過ぎて、頻繁に意見を聞くというのができないのは痛いです。

ちょっと思いついたことをぶつけて意見をもらえれる人がそばにいたらと甘えたことを考えています。

こう思うのも自分が納得いくまで考えられていないからかもしれません。

2011年6月24日 (金)

会議は踊る!

今週、特に仕事が終わったあと、やたら動いてます。
仕事で考えることと放課後(?) 考えることがまったく違っていて、融通がきかない頭の持ち主の管理人は…
人格が分離しそうです。

さて、
NAKAKIRA(なかきら)では、バーチャルの「議会」を作って、議論をしようとしてますが…
会議あるいは打ち合わせをしていて、議論がどんどんずれていって…

どうやっても元に戻らない…それで、違う違うと思いながらも、無駄に時間を使って、なんか変なことが決まってしまう…

みんな会議について悩んでいるから、いろんなセミナーがあって、本もたくさん出ているんですよね。

だから議会でいう「議長」さんにいかに腕をふるってもらうか?
これも考えないといけないです!!!

2011年6月22日 (水)

平和だからこそ&想定外と言わないために!

こんにちは! NAKAKIRA(なかきら)管理人です!
お仕事お休みいただいて書いています。…活動と仕事はきっちりわけないといけませんと言われましたので、まずお断りをして…
素敵なブログを見つけました。お子さんのことを優しく観察して、書いてあります。

何気ない日常を大切にできるよう、管理人も活動したいなあって、何でも活動に結びつけたりして…
日本は平和な国、いまそういうことが言えない地域もありますが…
いまの豊かな生活を守るために、みんながやらなくっちゃと思っている気持ちを現実の行動に結びつけたい。
私たちが、「想定外」なんて言葉を使わなくていいように。

人様から、「マグロ」のようだと言われるけど…高級ってことじゃなくて、常に泳いでいるってこと。
無駄に泳いでいるけど…

おんなじように感じてる人とああでもない、こうでもないって、言いつつ楽しく、でも真剣に
NAKAKIRA(なかきら)をやっていきたいな!

2011年6月19日 (日)

「あなたにしかできないことなのか?」

NAKAKIRA(なかきら)について、意見をいただいている時に管理人(私)が一番痛かった言葉。
「それってあたなにしかできないことなの?それをやるあなたの強みって何?他にやっていないのか?」

そう言われるとはっきりこれだと言える「強みはありません。」と答えるしかありません。

自分でやらないでいいことなのかもしれません。
私よりうまくできる人は世の中にたくさんいると思っています。

能力ということで言えば、仮に世の中の人を一番できそうな人から並べて行った時に、自分はビリに近いところに並んでいるとさえ、思っています。

でも・・

「社会のシステムあるいはもっと身近な自分の周りでおかしいと思ったものがあった時、それを単に愚痴るだけではなくて、建設的にこんなことあったら解決できる、自分ならこうするという意見に変えて、じゃ、自分がそれを実際やってみるよっていう人がやってみる」
そんな場を創りたいって気持ち、実際に創ろうって気持ちは間違っていないはず。

何かを始めるときに始めからイノベーティブでなくちゃいけないはずはない。
既に野菜屋さんがあるから野菜屋さんをやったら駄目ってことはないはず。
日本料理の店がたくさんあるからってこれから日本料理の店をやれないってことはないはず。

必要だと思っているから、自分がやりたいと思っているから、やれるはずがないって言われてもやってみたい。
もちろん誰でも他者と差別化できるはずだと思っているから始めるはずだけれど、それを堂々と言えることって少ない。
自分は人と違う料理屋を作るって言ってみてもその評価は最終的にお客様がすることであって、自分でいうことではない。

それから、他人を巻き込んで責任がとれるの?って言われるけれど、

責任はとりたいと思っています。
でも、既に巻き込んでしまった人に対して、いまやれることは、NAKAKIRAをしっかり形にすることしかない。

お金を稼ぐ仕組みさえできていない。
話を聞いて、2人に1人から否定的な答えが返ってくる。

それでもやろうと思うのは、私がどうしようもなく「おバカ」だからかもしれない。

でもそのおバカにやらせてみようかと思ってくれる人がいる。
だからおバカが考えたことをおバカじゃないものに創っていきます。

(補足)物事はきちんと形が整ってから、それまでの準備過程は見せずに形の整ったものだけを見せればいいのかもしれません。
管理人の私が準備段階のごたごたをブログに書くのは間違いかもしれません。
でもこれを見て、自分ならもっとうまくできると言う人がでないかなあと思っています。
自分の周りのことを自分たちで解決する場を創る。その目的が達成されるなら、別に誰がやってもいいと考えていますから。

2011年6月18日 (土)

自分で考えて解決策を見つけ、自分で生活を変えて行く

「NAKAKIRA(なかきら)」は、ネットの中に議会(=みんなが意見を出し合い、問題の解決策を出して行く場所)を創り、そこから出てきた解決策を具体的に問題を解決する事業あるいは仕組みにして行く→議会で議論をして上がってきた解決策を現実にその問題解決のためのやってみるという一連の流れを構築しようとしています。

そのために、

○ネットの中に「議会」を創る。
○議会で社会や地域にある解決すべき問題について、議論していただく・・「議会」に人を集める。議論の主旨を理解してもらう。実際に議論してもらう。
○議論で出てきた意見をアイディアを実際に問題解決に使えないか検討し、使えると判断した場合は事業化を行っていく。問題の解決ができる方法なのか検討する。可能性のあるものについて事業化ができる人を探し、事業化を目指す。

※ 事業化後もそれが実際に問題解決になっているか、事業が成り立っているか・・いわゆる検証を行うべきとも思います。

このすべてを実現できるように考えていかないといけません。

一つ一つにかなり困難な問題があります。まずネット内に「議会」を作ったとして、それを知ってもらうこと、知ってもらったとしてもそこで議論をしてくれるような人が集まるか?

入口から難しいと感じてますし、実際たくさんの否定的な意見をもらっています。

しかし、この仕組みを作りたいと思っている根底にある気持ちは、

自分の問題(例えば社会のこと、地域のこと=これを自分の問題と思っていない人もいるけれど・・)を自分で考えて、自分でできることがあれば自分で解決していく。

何でもかんでも政治家や役所がやるべきという考え方では、もう自分の生活はよくならないから、やれることは自分でやろうよっていう気持ちです。

でも誰でもがNPOやボランティアさんみたいに高い志をもっているわけではない。
だから、例えばアイディアを持っている人はそのアイディアを披露する→それを形にするのは別の人でいい。
何かやりたいけれど→じゃ、課題やアイディアを見つける場所でやりたいことをみつければいい。

何か社会貢献をしたいとか自分の問題を解決したいと思った時に、いままで何から何まで自分でやっていることを分けてできないか。

うまく説明できてないですけれど、それぞれの人がパーツだけを提供する場所+それを組み立てていく場所
それをNAKAKIRA(なかきら)で作りたいと思っています。

2011年6月12日 (日)

議会の「本質的な役割」

前回ブログを書いて以降、議会について考えることが、NAKAKIRAで作りたいと考えている「生活の困ったを解決するために意見を出し合う場」を考える際に参考にだろう・・とますます思うようになっています。

それで、議会について今後も書いていこうと意気込んだら、ブログの更新が止まってしまいました。難しい話は苦手ですね・・
でも書いている本人が議会を「難しい」と言っている時点でもう問題があるかも・・

議会は私たちの生活全般に関わることを決める場ですから、「難しい」と言わずもっと知らなければいけませんね。
しかし、たしかに難しい言葉を使い、難しい手続きばかりで、それをわかる人がわかりやすく伝えるってことも必要かもしれません(私には無理かもしれないけど・・)。

それでは前回も引用させていただきました月刊ガバナンス 2011年6月号別冊 『自治体議会の新展開「民主主義の舞台」を目指して』法政大学廣瀬克哉教授著から

議会の本質的な役割について

「自治体における民主主義と言うことを考えるとき、民意を形成する場がどこか、という課題が浮上してくる。選挙や住民投票などによる民意の直接的な表明の機会が重要であることは言うまでもない。しかし、選挙や住民投票は毎日行えるものでもないし、また、行うべきものでもない。もっと日常的な場面では、住民の目の届きやすい場で、住民に代わってさまざまな意見が表明され、相互の批判と反論、説得と納得の過程を経た上で、最終的にある一つの意思に確定されていくという場が必要である。そのような場であること、つまり民主主義の舞台であることこそが、議会のもっとも重要な役割なのである。
議員同士の討論という、現在の自治体議会では公式の議事のなかではほとんど行われていない活動こそ、議会のもっとも本質的な役割を果たすために不可欠な活動に他ならない。」

難しく書かれていますが、

民意を形成するためには「・・・意見が表明され、相互の批判と反論、説得と納得の過程を経た上で、最終的にある一つの意思に確定されていくという場が必要である。」というところが、私的には重要ですね。

いままで何かわけのわからないところで物事が決まっていたことについて、あるいは声の大きい人の意見で決まっていたことについて、みんなできちんと議論をして、ある程度納得できたところで決めるように変えていけたらと思います。

それは議論に加わった人にも責任が発生することだけれど、他人が決めて実行していることについて無責任に批判ばかりするより、代替案を提案する場がないことより、ずっとすっきりするんじゃないですかね。

2011年6月 8日 (水)

「議会のこと」~議会を学ぶ

NAKAKIRAで議論をするサイトを作り、議論をする。そして、出てきた意見から問題を解決できるような事業を作っていく。
ネットにアクセスできる人の直接参加型の議会+議会の議論から事業形成、そして実行。

そんな仕組みができないかと奮闘中ですが、仮想の議会を作るなら、きちんと従来の議会を学ばなければ・・

広く意見を求めるために誰もが参加しやすい議論の場を作るのか?
社会の問題を真剣に受け止め、その解決のため自分が何かしたいと思っている本気モードの人の議論の場を作るのか?

入りやすいおちゃらけた場にするのか、議場のようないかにも何かが生まれそうな場にするのか・・

二つの意見があって、どちらも捨てがたいのですが、何はともあれ出発が議会ですから、
このNAKAKIRAブログで議会を学べるような記事も書いていこうと考えました。

そして「議会のこと」というカテゴリーを作りました。毎度のことながら形から入っていますが・・

さて早速、月刊「ガバナンス」(耳慣れないでしょうが、地方の公務員には結構有名)今年6月号別冊付録は
「自治体議会の新展開 「民主主義の舞台」をめざして」です。

その中、冒頭から、そうやね~状態

まず「多くの人にとって遠い存在」というタイトルが来ています。

「『もっとも身近な民主主義の学校」-地方自治については、昔からしばしばこのように表現されてきた。だが、いま多くの人にとっていちばん身近な議会は何かといえば、明らかの国会だろう。」

国会は重要な審議は生中継されるし、日々のニュースでも取り上げられる。
それに対し、自治体議会は放映も限定的だし、平日の昼間でフルタイムで仕事を持っている人は傍聴しづらい。

たしかにそうですね。議会のことをどれだけ知っているだろうと考えたとき、議会のようすなんて想像出来なくて、国会中継の様子でまあ同じものだろうと考えているんじゃないでしょうか。

次のタイトル「議員同士の討議がない?」このタイトルも目からウロコです。そうだ、筆者が言うように地方議会はもっぱら「質問」で成り立っています。
議員の方が質問して、首長以下行政機関構成員、すなわち自治体職員が回答しています。
そうですね・・「討論」 
異なる意見を持つ議員双方の丁々発止のやり取りがないと議論しているって感じがしないのかもしれません・・

今日は入口ということで、ここまでにします。なお著者は法政大学教授 廣瀬克哉教授です。それから出版社はぎょうせいです。引用させていただきましたので、出典を表記しました。これからも参考にさせていただきます。

ということで、ブログを読んでくださる方が学ぶというより、書く本人が学ぶ機会になりそうです!

2011年6月 6日 (月)

もどかしいけれど仕組みづくりに専念

震災復興に向けて、多くの方が行動されています。
それなのに、何かしたいと言うばかりで何もしていないことを恥ずかしいと感じてます。

でもそれは自分の中から起こっている気持ちなのでしょうか?
単に「偉そうなこと言って」って思われるのが嫌なだけなんじゃないか?

そんなのどうでもいいじゃないと思えるようにならないと今から先も乗り越えられない!

目の前のことにオタオタせずに仕組みづくりに集中します。

日本や地域、自分の生き方に今感じている疑問をしっかり受け止め、記憶し、
この疑問の一部でも解消するための仕組みを創る。

今は役に立たないと思われるかもしれないけれど、将来どうあるべきか…
そこに目を向けて、焦らず作業をしていきます!!!

2011年6月 5日 (日)

実現策を示さない提言はもはや役に立たない

東日本大震災後の福岡、九州の未来について、福岡の識者が語った対談を読みながら、以前は参考にしていた識者の意見がまったく響かないと感じています。

たぶんこれは私だけじゃないと思います。

やはり3.11以降、私たちの気持ちって変わったんでしょうね。

目の前に解決すべき問題があった時に評論家的な意見は何の役にも立ちません。
ではどうするかという前向きな提言でなければ、あるいは実際に行動を呼びかけるものでなければ・・
批判だけだったら、評価だけだったら誰にもできる。だから何!が欲しい。

だからもう・・既成の肩書きやブランドを信じずに、本当に必要な事を言う人、行う人を見つけたい。

私たちはリーダーシップ神話とも言うべきものにとらわれてきたのでは?
どこかにすごいリーダーがいて、その人が私たちを導いてくれる。

でも今回の災害でそんなことがないということがはっきりわかりました。

リーダーは必要が生み出すものであり、必要だと思う人たちが育てる、あるいは少なくともリーダーが誕生する基盤を準備したくてはいけない。

自分たちが汗をかいてこそ、何をすべきかを考えてこそ、道は拓けます。

でも独りで頑張るのは大変・・だからみんなが集まる場が必要だと思います。

みんなで集まって知恵を出し合う。リーダーを創っていく。自分たちが提言を創り、実行する。
もう他力本願はないと思った方がいい・・
みんなで考えましょう!!

2011年6月 2日 (木)

訳の分からないことが人を育てると思う・・

柴田昌治さんの「なぜ会社は変われないのか」とか、「なんとか会社をかえてやろう」とかを読み、そこに出てくるオフサイトミーティングの様子を見ながら、訳の分からないことが人を成長(が、大げさなら「変える」)のではないかなと考えています。

オフサイトミーティングは一日中自己紹介をしたり、通常の業務とはちょっと離れたお題をもらって結論を求めない議論をしたり・・
~詳しくは柴田さんの本を読んでください。

経験した人は自分が変わったと言うけれど、何をしたかをうまく周りに説明できない。

例が違うと言われるかもしれないけれど、NAKAKIRAを形にしているここ半年近く。アドバイスを求める人のほとんどに何かわからんと言われつつ、少しずつ形らしきものが見えてきて・・

やっている本人がホントにできるんかいなという状態から、もちろんいまでもどうなるかわからないという不安を抱えつつ・・少しずつ進んでいる中で・・

その中で自分が、(自分で言うのもなんだけど)成長しているような気がするんですね。

もちろん仕事で新しい事業を作ったりしてきたけれど、それは期限があって、出来不出来はともかくとして必ず形になるものだった。

でも、今回はゴールにつけるのかどうかもわからない。

柴田さんの本のオフサイトミーティングにしても、NAKAKIRAにしてもどう転ぶかわからない。
その中で何とか形にしようと思ったら、頭ん中をものすごくひっかきまわして、悪あがきをする。

それで何か形になったら、すごいご褒美をもらった感じがあるし、そこに至る過程を印象深く覚えている。
その経験が自分を変えているのではないかと思っています。

昨日は大学生に手伝ってもらってという話を書きましたが、若い大学生に是非この経験をしてもらいたい。
NAKAKIRAが不完全だから、まだ何も固まっていないから、わからないし、逆に可能性がある。

きっと後悔しないと思う。NAKAKIRAを手伝ってみませんか?
と求人広告風になってしまう。。

2011年6月 1日 (水)

議論の場の設計者

昨日、5月31日にいつものメンバーで打ち合わせを行いました。

ない知恵を無理やりだそうとして、何か変なものができそうな雲行きなのを見かねて、
一言アドバイスをいただきました。「学生さんにやってもらったらどう?」

ああ・・。提案をそのまますんなり受け入れた感じですが、「まさしく!」
ボランティアになるけれど、私ら本気で組織を立ち上げようとしているから、本気モードでアドバイスを聞くよ。

例え子どもくらいの年の方だって、いいこと言われたら素直に取り入れます。

だって目的は社会を変えること、社会にゆらぎを与えることだから、与えられる人にやってもらえるんだったら、さっさと席譲ります。

これのいいところは、学生さんの方もきっと将来の役に立つこと。
但し、バイトとは違うから、お金は稼げません。

手を上げてくれる人には普通のバイトでは味わえない経験をしてもらおうと思ってます。

なんせ未来の日本を背負って立つ人たちだからね。

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