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2011年7月

2011年7月31日 (日)

本当にやるべきこと

ゆっくりと過ぎる時間を過ごすと日々こんな生活もいいなと考えます。

世の状況がどんなに悪くても、人間ただ生まれ死んでいく存在であると考えれば、どんな状況も甘受して日々を過ごすのがまっとうな生活ではないかと考えます。

でもやはり少しでもいい世の中を生きていきたい。
ジタバタを悪あがきをしてみたい。
(煩悩が強いんですかね。)

悪あがきをしつつ、自分は何をすべきかを冷静に考えていたい。

世の動きの早さに焦ることなく、じっくり考えて行動を起こしたい。
動きを止めるつもりはないけれども、やみくもに行動してなんにもできないことは避けたい。

自分が本当にやりたかったことは何か、できることは何か。

自分が動いてもさざ波さえ起こらないかもしれない。
しかし、できるだけ水面を揺らせるように感覚を研ぎ澄ましてやるべきことをやっていきたい。

2011年7月30日 (土)

一人目のフォロワー

デレク・シヴァーズ(Derek Sivers)の「社会運動はどうやって起こすか」を見ました。

何度か見ました。

最初に行動を起こす人にフォロワーが出てきた時、「一人のバカ」は「一人のリーダー」に変わる。

このプレゼンは社会運動を起こす際に、最初のフォロワーこそが重要な意味を持つことを伝えておりますが、

何かを起こそうと思う人は、理解者が現れるまで周囲から「バカ」だと思われるんだなあとか、
バカだと思われても理解者が現れるまでやってみて、理解者が現れたら続けることが大事ということも
教えてくれてます。

何かを始めようとする人にも

既にある活動に参加しようとする人にも

大きな社会運動を期待する人にも

希望を与えるプレゼンテーションです。

TED デレク・シヴァーズ「社会運動はどうやって起こすか」

2011年7月29日 (金)

「社会起業家が世の中を変える チェンジメーカー」渡邊奈々著

社会貢献活動をしている方の多くが読み、感動した本として挙げられる「チェンジメーカー」を読んでいます。
政治的な混乱や貧困から出てくる問題の種類が様々であり、複雑であり、その解決がとても困難であろうことが本からも伝わってきます。

それでも解決に向けて大胆に行動されている方々がいます。

まがりなりにも立法、司法、行政の形が整っている日本がどれだけ恵まれたところなのかを感じます。
始めから与えられているから、それを当然のこととして守る努力を忘れています。

海外の問題が深刻だからそちらに取り組むという考え方もありますが、先を走っている国の中で、恵まれていても出てくる課題に取り組むということも大切だと考えています。

かつて「ルックイースト」と日本を手本にしてくれた国がありました。
この本に出てくる方々ほどの情熱や行動力を持ち合わせない者は、せめて自分の国のことをしっかり見つめ、これから徐々に社会が整って行く国のお手本になれるように、ほころびかけた制度を改装しつつ、現状をよりよいものにしていかなければならないのではないでしょうか。

2011年7月27日 (水)

ホームページ立ち上げ準備停滞中

ウェブの打ち合わせをしました。
ホームページで何をするのか?
ギカイで何をどのように議論するのか?

一番大事なところだから、私だけのアイディアではなくて、メンバーから「こんなことしたらおもしろいよね」という意見を出して盛り込みたい。
使っている人から「こんなことしようよ」と提案があって、じゃあやりましょうという具合に使いながら充実したい。
(しかし、そのためにはまずページがなくてはいけないし・・)

最近、FacebookのCEO、ザッカ―バーク氏を題材とした「ソーシャル・ネットワーク」のDVDを見たばかりですが、これをしたいと思いついたら、自分でどんどんプログラムが書けて、あのSNSができたんだなあと・・

天才は一人でできることを何人でするのか?・・・自分が自分で作れないのが問題?

ととんでもない比較をしてもしょうがないです。

使いやすいページを作るためには、まずは使ってみることが必要。
自分がやりたいことができるページを自分のアイディアで作っていく。。しかないか。

ここでずっと作業が止まっています。
同じ所でグルグル回っていて、抜け出せない状態です。

まあ焦らずいきますか・・

2011年7月24日 (日)

大局的に、先を見ながら毎日を過ごしたい

日々を楽しく過ごしていればいいという話を聞いて、自分はそれができないかなと感じました。
仕事をして、おいしいものを食べて、出会った人たちとゆっくり話をして・・
そういう生活は素敵だと思うけれど、自分には無理だなと・・
自分だとこの生活を守るために何をしなければいけないかと考えたり、
おもしろい話を聞くとそこで想像が拡がって、いろんなことがどんどん浮かんでくる。
そしてあれやりたいなとか
こういうものあったらよさそうだなとか
考えてしまう。
とにかく考えてしまう。

どうしてそういうふうに常に考えているのかわからないですが、
いつからそういうふうになったのかもわかりませんが、

そういう性分なのだと諦めて、徹底的に考えてみようと思っています。
(「下手の考え休むに似たり」って言葉もありますけどね・・)

それでせっかく考えるなら、これから世の中がどのように動いて行くのかとか
大きなことを考えつつ、やはりNAKAKIRA(ナカキラ)で何ができるか、
何をすべきかを考えるんでしょうね。

2011年7月21日 (木)

感動しながら日々の糧をえる!

音楽を聞いて、絵画を見て、映画を見て

泣いたことありますよね。鳥肌立ったことありますよね。

同じように日々の生活のために行うお仕事で、感動したことありますよね。

期限に間に合うはずないと思った仕事をどうにかやり遂げられた時。

みんなで知恵を絞ったものが形になった時。

自分の納得できる仕事ができた時。

たかが飯の糧だけど、

「あ~この仕事やっててよかった」って思ったことありますよね。

芸術家が芸術で人を感動させるように、

凡人(?)が日々の仕事で他人・・というより自分を感動させる。

自分は何のために一生懸命仕事してるのかなって思った時に、ひょっとして感動するためにしているんじゃないかなって・・

感動するような仕事をみんながする。

NAKAKIRA(ナカキラ)でそんな仕事を作る。
そんな仕組みを作りたいと思いつつ、考える日々が続いています。

2011年7月19日 (火)

いい打ち合わせ!

本日、ウェブの打ち合わせをいたしました。
ホームページ作成担当をしてしていただいているNさんと二人の打ち合わせでしたが、Nさんが前回の全体打ち合わせの際に、怪訝な顔をされていて、何か疑問を感じているんだなあと思っていたので、今日の打ち合わせがうまくいかなさそうで、お互いにつまらなさを感じてしまいそうで重い気持ちのまま、打ち合わせ場所に行きました。

自分で結構準備をしていて、言いたいことをどんどんしゃべっちゃいました。

Nさんもいろいろ調べておられて、その話自体とても興味深かったんですが・・それよりもNさんがぼつりと発した一言から、
今日打ち合わせをやってよかったなあという話が始まりました。

「自分はできないと思う」というような切り出しだったと思うのですが・・
自分はウェブのデザイナーで私が求めるようなマーケティングに踏み込む部分は他の人を入れないとできないという話でした。

そんだけといえばそんだけなんですが、「できない」と言うことがいかに難しいか・・
本当にいいものを作ろうとしてくれていることが伝わってきました。

そして、自分もいい機会だから、Nさんが本当にこれをやりたいと思っているのか、何が不足するのか、どういうふうに進めたいのか等など、いま考えるとなんで~的な失礼な質問もしたんじゃないかなあといまさらですが、ちょっと青くなったりして・・

でもお互い何が引っかかっているのかを率直に話せて、大きく一歩を踏み出せた感じでした。

結局ホームページの件はぜんぜんすすまなかったけれど、大きな大きな収穫があった打ち合わせだと思っています。

成果は大事だけれど、今日みたいにいい打ち合わせだったと思って楽しくなることって活動を続ける上でとっても大事だと実感です。

2011年7月18日 (月)

確信・・重点化すべきは意見の反映と実行

朝から、しこしことホームページ作成のための資料集めをしています。
著名なNPOさん、ソーシャルビジネス、NPOやソーシャルビジネスの支援機関あるいはネットワーク事務局など、ホームページを開きつつ、NAKAKIRA(ナカキラ)のホームページ、活動について考えています。

それぞれのホームページを見ているとかつて注目を集めたけれど、いまは活動していないんじゃないかなと想像できるページ。
気持ちはわかるけれども初めて訪れる自分には伝わってこないページ。
支援の気持ちを前面に出しているために、押しつけのように感じられて損しているページ。

等など様々です。

そしてホームページを覗いてわかったこと。

社会問題を解決するためにみんなの意見を集め、解決のための方法を企画、実行していくって謳っているところは結構あるってこと。

私が思いつくくらいだから、たいていの人は思いつく・・

しかし、

みんなの意見を集める方法が例えば、待ちの姿勢の意見募集であったり、セミナーであったり・・
解決の方法については、企画提案に重点があったり・・確かに企画の方がおもしろくて、実際に実行しようと思ったら大変。

そうすると逆に意見募集を確実にする。
問題解決のための面白いあるいはモノになりそうな企画が出てきたら、それを確実に効果を出せるもの、持続できるものに創りあげる。
そしてそれを確実に実行するスキームを作り上げ、定期的にレビュー・改善する仕組みを持っておく。

そこがうまく行ったら、集まってくれる人も増えるかも。。
力を入れるべきところが見てきました。

とにかく目指すべきは、現実に社会問題を解決する仕組みを作って、効果的に動かすこと。
目指すところを忘れなければ、進むべき方向が見えてくるはずです。

2011年7月17日 (日)

イノベーション~大げさな日本語だけど・・

NAKAKIRA(ナカキラ)では、常識だと思っていたことを他の方法でコンパクトにあるいは簡単に実現できないかなと考えています。
例えば行政の事務局が数カ月考えて、議会に諮って事業なり制度として実現していくところ
必要だと思った人が「こんなの必要だ!」って言って、じゃ、こんなの創ろうやって創りたい人と若干のプロが事業として磨いて行って実現して・・そして必要だと言っている人の役に立つ。。

大がかりかコンパクトにするか、お金をかけて信用あるものつくるか、お金をかけずに多少不安を残しながら手作り感でつくりあげるか。

それくらいの違いだったら、どちらを選んでもいいというものはいくらかでもあると確信してます。

いままで行政や議会じゃないとできなかったことが実は自分たちでできちゃう。

自分はこれってある意味、イノベーションだと思うんですけれど・・

なんか日本で「イノベーション」っていうとかっこいい技術とそれを支える優秀なスタッフっていうのがイメージされてるようです。

それで、コンピューター・アーキテクチャーの第一人者、坂村健氏の最新新書「不完全な時代 -科学と感情の間で-」を読んでいると

「イノベーションに大事なのは、技術力でもマーケティング力でもない。やり方を変える「勇気」だ。・・・」というくだりがありまして、私まさに「しかり!!」です。

結局、いままでやっていたことに疑問を感じて、おかしいよねってみんなに言って、でもいままでどおりでいいじゃんというみんなを説得して、あるいは無視して新しいことをやってみる。

それが後付けでイノベーションって言われるのが、本当のイノベーションじゃないかな?

って、自分の考えに自信もってしまいました。

まあしかし、これをさらに考えると「イノベーション」かどうかはどうでもいいことでその仕組みを実現できることが重要。
結局どう評価されようとどうでもいい話であって、実現が大事だなって結論。

でも、やっている当事者たちが「これっていままでになかったことだよね、イノベーションだよね。」って信じて、さも大変な事をやっているように思っている事も大事かなっと考えたりもして・・

「イノベーション」って言葉、やっている本人たちのモチベーションを上げるいい言葉ですね。


2011年7月15日 (金)

ドラッカー「非営利組織の経営」から…非営利組織の役割

ドラッカーの「非営利組織の経営」を読み直しています。

非営利組織の役割について

以下引用

企業は財とサービスを供給する。政府はコントロールする。企業は、顧客が買い、払い、顧客のニーズが満たされたとき役割を果たす。政府は、自らの政策が意図した成果をもたらしたとき役割を果たす。

非営利組織は、人を変えたとき役割を果たす。
非営利組織が生み出すものは、治癒した患者、学ぶ生徒、自立した成人、すなわち変革された人の人生である。

〜〜
一般的には理解しにくいし、難しいですよね。

2011年7月14日 (木)

九州に本当に潜在力があるのか?

NAKAKIRA(ナカキラ)の現実の活動領域は、九州域ぐらいをイメージしています。

支援をしてくれる人、お金を出してくれる人などを考えると「社会貢献」というカテゴリーに共感してくれる方は1,300万人規模(これは赤ちゃんからお年寄りまでだし)ぐらいないといけないのではないかと思うし、課題は都市部より周辺部にあるとすれば、福岡だけではなくて九州ぐらいの規模で考えたい。

それで九州域が日本の他の地域とは別の歩みをするとすれば、アジアに目を向けるという話になり、そうすると「九州はアジアに近く、潜在力があって、これから成長している地域」と一般的に言われている事を信じたくなるけれど・・

ところで、成長と社会問題解決とあまり関係がないんじゃ?っという意見もありましょうが、やはり先立つモノはお金。地域独自でお金を稼ぐってことは大事でしょう。

さて元に戻って、本当に九州に可能性はあるのか?

日経ビジネス2011年5月23日号の特集「総力取材 九州 巨大アジア市場をつかむ潜在力」を参考に考えておりますが、実際九州に住んで日々九州を実感している者としては納得できない。

「有史以来から、大陸文化のゲートウエーはいつも九州だった」とあります。
→交通手段が船であった時代は、距離的に近い九州から入るっていうのは間違いなかったでしょうが・・
 いまはどうか? 船で運ぶものであれば確かにいまでも九州が強いけれど・・まずインフラ・・港湾は大丈夫か?
 人(頭脳)はどうか? 大概が飛行機だとすれば、確かに飛行時間が少し短いってことはあるかもしれないけれど、東京、大阪と比べとっても優位といえるか? 便数とか、飛行前後の移動の便利さってことからはどうか?

記事の中に台湾との比較がありますが・・
→国を上げて外に開こうとしている台湾に対し、九州独自で何か伍してやろうとしていることがあるか?

諸外国との関係を取り持ってくれるだろう「留学生」・・福岡には多いというけれど、東京・大阪とキチンと比較しているか?
マインド・・大企業や経済団体、行政はアジアに目を向けようと盛んにいうけれど、そして行動しようとしているけれど組織内でさえ、トップの考えが末端まで届いているか?

ましてや一般の人たちの目がアジアを向いているか? 

外国語を学ぼうという人、外国に行こうという人が他の地域より多いか?

疲れてきたのでこの辺りで「はてな」列記は止めます。

九州が日本の他の地域と競いながら、独自の強みを発揮して欲しいって気持ちは人一倍あるつもりですが、

でも九州が強い、他とは違うっていうためには、まだまだ自分で考えないといけないなと思っているところです。
最近ホントに世間一般で言っている事に???って思うことが多いのは、私だけじゃないないでしょう・・

とにかく九州については、
「アジアに地理的に近いことで本当に優位と言えることはなにか?」
「歴史的な関わりが深かったことでいまも残っている優位性はなにか?」
「東京や大阪、あるいは他の地域と異なる優位点は何か?」

そして、「今後すべきことは何か?」
こんなことを考えてみます。

2011年7月11日 (月)

プロボノ・・・これを取り入れたい!!

”プロボノ”って概念が、NAKAKIRA(なかきら)にとっても合うように思うのです。

以下、ウィキぺディアさんをつまみ食いで引用させてもらうと

【ウィキぺディア】プロボノ

プロボノ(Pro bono)は、各分野の専門家が、職業上持っている知識・スキルや経験を活かして社会貢献するボランティア活動全般。また、それに参加する専門家自身。

プロボノとはラテン語で「公共善のために」を意味するpro bono publicoの略で、最初は弁護士など法律に携わる職業の人々が無報酬で行う、ボランティアの公益事業あるいは公益の法律家活動を指した。弁護士による無料法律相談、無料弁護活動などが含まれる。現在も弁護士の業界において、もっとも浸透している。

● 日本におけるプロボノ

日本では、プロボノ希望者をNPOなどに仲介するサービスの登録者数が2010年の1年間で前年の2.5倍になるなど、大きな伸びを見せている。
企業においてもNECやゴールドマン・サックスが、子育て関連のNPOへのプロボノを社内で募るなど先駆的な活動をしている。アメリカ同様(アメリカの記述部分は省略しています)に、日本でも弁護士会などが公益的活動に対する義務的活動時間が設定されている場合が見られ、プロボノ活動として捉えられることもある。

以上引用

NPOとか、ボランティアとか関心を持つ人が増えて、でも自分でNPOを立ち上げるのはハードル高いよねと思ったり、ボランティア活動するにしても自分に何ができるの?って不安で、結局関心あるけど・・で終わっている人かなりいると思うんですよね。

そんな人が日頃、仕事で使っているスキルを使って社会貢献ができるとなるとやってみてもいいかなって気になるんじゃないかな~

それがなぜNAKAKIRA(なかきら)と関係があるか?
現段階ではうまく説明できないけれど、そのうちに・・

2011年7月10日 (日)

ビジョンとミッションを考えてみました!

NAKAKIRA(なかきら)のビジョンとミッションを考えてみました。
ビジョン:NAKAKIRA(なかきら)活動の将来像
ミッション:NAKAKIRA(なかきら)活動の役割、任務

ビジョン・・社会問題を解決するための仕組みの一つとして定着し、問題提起をする活動になる。

いつも言っているとおり、既存のシステムの不具合がなかなかうまく修復できない。
ですから既存のシステム(議会とか、国・自治体とか)じゃないやり方で社会問題を解決する「仕組みの一つ」を作って問題を解決しながら、この活動を通じて、社会問題を解決するシステムがどうあるべきか問題を投げかけてみたいなと。

ミッション・・社会貢献をしたいと考える方に気軽に参加いただき、その方々の想いと能力及び資産を活かし、小さなところから社会の問題を解決していくことにより、参加した人、問題を抱えた人すべてを元気にする。

これまたいつも言っているとおり、いまの社会のあり方に不満や評論をばかりしててもつまらないから、少しでも社会貢献してみたいなって気持ちがあったら、この活動を通じてやれるような活動を提供したい。それで困っている人が少しでも助かったって思ってくださることを皆さんと一緒にやっていく。

壮大過ぎ? 何かよくわからん?
まだ考え中です。
カタチから入る必要はないので、本当に必要な時が来るまでゆっくり考えます。

ついでに活動のイメージ図もつけてみます。・・これも作成中のものです。

「nakakira.pdf」をダウンロード

2011年7月 9日 (土)

非営利組織と営利組織の行動原理は異なる

以前に自分の活動を説明している時に、民間企業の方からわからないと言われて、わからない理由を自分なりに考えてみました。
そして、民間企業の場合は、自社の製品・サービスがはじめにあって、それをマーケットを見つけて売り込んでいくのに対し、非営利の場合はまず問題があるお客様があってその人たちの問題を解決するためにどんなサービス(製品もあるかもしれない)を提供するかという考え方をする・・~ではと考えていたんですが、うまく説明している本がありました。

「・・基本的な前提として、非営利組織と営利組織とは、まったく異なる行動原理の上に成立している。
営利組織は、「市場」の存在を出発点として、物事を考える。
ここでいう「市場」を大雑把に捉えれば、それは「人数×単価」という計算式ではじき出されるものだ。飲食店の市場であれば、ある地域で生活する人の数と、その地域で暮らす人の生活スタイルや可処分所得、そして、近隣に存在する競合の有無などから市場が定義されていく。一定の人数がいて、可処分所得があり、競合が少なければ、市場参入の意思決定が下される。どんな場合でも、お金を払う人が一定規模存在することが、事業を行うかどうかの指標になる。
しかし、NPOの場合は、まったく違う思考パターンからスタートする。それは、一言でいえば、「ニーズ」の存在である。ニーズという考え方においては、悩みを抱えている人の「人数」は考えられても、「単価」を掛け合わせるという発想はない。むしろ、経済的に厳しく可処分所得が少ない人こそ、本当のニーズを抱えている当事者である可能性もあり、だからこそNPOが立ち上がらなければならない状況があるのだ。例えばひとり親の家庭は、両親がいる家庭と比較すると圧倒的に所得が低いという現実がある。だが、ひとり親家庭のほうが、親にかかる子どもの養育の負担は重くなる傾向にあることは言うまでもない。所得は低いがニーズは大きいこうした人たちをどうサポーツするか。社会全体にとっての大きな課題だ。
NPOにとって、事業を実施するかどうかの判断の境界線は、お金を払う人がいるか、ということではなく、ニーズが存在するか、ということである。・・・」(「プロボノ 新しい社会貢献 新しい働き方」嵯峨生馬著、勁草書房)

お金と知恵を持っている民間企業のご協力を求める際に、ここをきちんと説明できないと活動の意義すらわかってもらえないかもしれないですね。

2011年7月 7日 (木)

女性ってすごいんじゃないかい?

昨日は、女性お二方に、NAKAKIRA(なかきら)に関するご意見を伺いました。
久方振りに集まって、食事&飲みましょうっという会だったんですが、尊敬するお二人なので、
もし機会があればNAKAKIRAの話をしてみようかなと思っていました。

NAKAKIRAは置いておいて、女性ってすごいなと感じました。
この二人がすごいのかもしれませんが、
話題がごった煮なんです。

子どもの学校の話・・モンスターペアレンツやママ友の話がありましたよ。
仕事の話・・遠くへ出張に出かけた話や会社の方針が変わって、ごにょごにょ(ここは書けません)。

男社会の話を聞いていると仕事は仕事、その他活動はその他、特に家庭の話なんてあんまりでてきません。
でも女性は仕事も家庭も一緒。
ワークライフバランスなんて言葉が光を失うくらい・・一人の人間が生きていく上で、関係すること、関心のあること、ぜ〜んぶ一緒。

これからは、この考え方が主流になるんじゃないかなって感じました。
とにかく仕事優先で、その他の時間はつけたし。
でもその仕事で作っているもの、提供しているものは、家庭のものだったり、子どものものだったり。

家庭を知らずして本物が作れるか?
子どもを知らずして子どもを喜ばせられるか?

しかし・・・始めから終わりまでガンガンビールを飲んでいたオヤジ風、女子若干2名(3名のうち2名だよ、ひょっとして自分含む…)。
女でもオヤジ。

生体的な性別はあんまり関係ないかもなあって、女性礼賛の気持ちは揺らぐのであります。

2011年7月 3日 (日)

違和感を大切にすることも大事と気付く

外国で意義ある社会活動と認められた組織の活動に共感し、日本で同じ仕組みを取り入れようとされている組織の講演を聞きました。
そして、非常に違和感を感じて、何故そのように感じたか? 自分の感覚は間違っていないか? など考えています。

一番の違和感は、その組織が支援を受ける側のことをあまり語らなかったこと。

支援のプロセスや支援をすることにより支援者がスキルアップする話に時間が割かれていて、
ではそれで支援を受ける側がどうなって欲しいかがわかりませんでした。

この活動のオリジナル版(外国の活動)はもうちょっと違う活動だと理解していたんですが・・

海外の活動については本が出ていますので、きちんと読んでみます。

自分の感覚が変なのかもしれないです。

講演会中はちょっと冷めて聞いていたのですが、何故このように感じるのかを考えることは、同じように公共に関わる活動をしたい者にとって、自分が失敗しないために必要な事じゃないかと考えています。

震えるほどの感動を覚える講演の中に参考にできることはたくさんありますが、どうしても受け入れにくい気持ちになった講演にも、活動のヒントが隠されていると感じています。

2011年7月 2日 (土)

同質の人たちだけで考えることの限界

例えば、雇用とか福祉の現場で、ごく平均的な家庭に育った者には信じられない光景や発言に出会うかもしれません。
そのとき初めて、自分の考えていることだけが「普通」ではないことに気がつきます。

それから、義務教育である小中学校の教員という職業を想像してみると、採用枠が絞られているから、採用される方はごく限られたよく勉強のできる方で、そしてその先生が教える子どもたちの家庭環境はさまざまで、いわば先生たちの歩んできた道と子どもたちを育てた親の歩んできた道の違いが、教育に影響してしまうのではないかと考えます。
学校の中には、多様な生き方して、多様な考え方をする先生がいないといけないのでは・・

あるいは国や地方自治体の政策を決める審議会、委員会という組織

行政の要職経験者や企業の経営者、大学の先生方あるいは一般代表として出てくる地域で活躍している方々
フィールドは違えど、いわばエリートと呼ばれる人たちでは?

生きることで精一杯な人たちは、自分の考えを表して他人を説得するために必要な表現力が不足しているとつい思いがちです・・小難しい議論なんてできない。

だから大勢の前でちゃんと議論ができる人を集めて議論し、物事を決める。

みんなが幸せになるというのは、エリート、いわば同質な人が想像できるあるいはデータを持っている人たちだけが幸せになることではないはずです。
同質な人たちの間で、物事が決まってしまい、その人たちが想定できない人たちがどんどん置き去りにされているように感じます。

いろんな人が声を上げられること、その声が政策決定に活かされることが大事です。

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