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2011年7月 2日 (土)

同質の人たちだけで考えることの限界

例えば、雇用とか福祉の現場で、ごく平均的な家庭に育った者には信じられない光景や発言に出会うかもしれません。
そのとき初めて、自分の考えていることだけが「普通」ではないことに気がつきます。

それから、義務教育である小中学校の教員という職業を想像してみると、採用枠が絞られているから、採用される方はごく限られたよく勉強のできる方で、そしてその先生が教える子どもたちの家庭環境はさまざまで、いわば先生たちの歩んできた道と子どもたちを育てた親の歩んできた道の違いが、教育に影響してしまうのではないかと考えます。
学校の中には、多様な生き方して、多様な考え方をする先生がいないといけないのでは・・

あるいは国や地方自治体の政策を決める審議会、委員会という組織

行政の要職経験者や企業の経営者、大学の先生方あるいは一般代表として出てくる地域で活躍している方々
フィールドは違えど、いわばエリートと呼ばれる人たちでは?

生きることで精一杯な人たちは、自分の考えを表して他人を説得するために必要な表現力が不足しているとつい思いがちです・・小難しい議論なんてできない。

だから大勢の前でちゃんと議論ができる人を集めて議論し、物事を決める。

みんなが幸せになるというのは、エリート、いわば同質な人が想像できるあるいはデータを持っている人たちだけが幸せになることではないはずです。
同質な人たちの間で、物事が決まってしまい、その人たちが想定できない人たちがどんどん置き去りにされているように感じます。

いろんな人が声を上げられること、その声が政策決定に活かされることが大事です。

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