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2011年8月14日 (日)

日本に「社会貢献の活動」が定着して欲しい

社会起業家が世の中を変える チェンジメーカー」渡邊奈々著(社会貢献をする方がよく読んでいる本)の最後の解説からなるほどという言葉を抜粋

慶應義塾大学 兼子郁容教授の解説「ソーシャル・アントレプレナーとは何か」
「・・ビル・ドレイトンは、彼が創設したアショカ財団のフェローを選出するに当たって考慮する、ソーシャル・アントレプレナーに必要な資質について、こう語っている。
『右脳と左脳の両方が豊かで、何かしらの社会の矛盾を解消したいという情熱があり、変革を実現する可能性のあるアイディアと、そのアイディアを実現する具体的な戦略を持っている』ことだ。そして、ドレイトンは、なによりも「誠実さが大切だ」と言う。・・」

著者の「エピローグ」から
著者がニューヨークで暮らし始めた時に米国人の友人から言われたこと
「『僕は君のほかにも日本人を何人か知っているけれども。ひとつだけ僕ら、欧米人、特に米国人と決定的に違うところがあるって気づいたんだ』・・(中略)・・『自分より恵まれない人たちに対するコンパッションがないってことだよ』私にとっては予想外の言葉でした『コンパッション』とは、単なる同情を越えて他人の気持ちを思いやり苦しみも喜びも分かち合うという意味です。ちょっとひるんだ私の様子を読みとった彼は、こう続けました。
『まぁ、そんな気持ちがあっても、その表現方法を知らないだけかもしれないけど・・。
僕らは子どもの頃から恵まれない人のために何か手助けをしたり、お小遣いの一部を好きな非営利組織に寄付したりということを当たり前のように親や学校からしつけられてきたから、大人になって収入の一部をどこか関心のある団体に寄付するのは当たり前なんだ』」

「・・米国と日本を行き来する間に、コンパッション不在という自分への問いかけがおぼろげに見えてきました。そして、90年代以降の日本の変化が私に危機感を抱かせました。大小さまざまなシステムが壊れているようにみえるのに、表面的にはさらに美しく飾りたてられ、先進国の中でも自殺率が突出している私の故郷。『何か自分にできることはないか?』と唐突に考え始めたのです。
戦後に国家の繁栄のために頭のてっぺんから足の先まで『ビジネス』をたたきこまれた現代の日本人からは、見えないものの価値もお金に換算して計るような癖がついてしまった印象を受けます。本来は深い精神性を持った人たちだったはずなのに。(後略)」

これは2005年8月に書かれました。

2005年当時でも、著者の認識とは異なり、コンパッションに溢れた日本人がたくさんいたかもしれません。
そして、その後、東日本大震災でのボランティアの活躍などを見ると日本人にコンパっションに溢れる人が増えているかもしれません。

でもやはりNGO(NPO)の数、社会貢献活動に集まる寄付の額など、日本はまだまだと言わざるをえません。

社会の課題を解決するために、仕事でそれに取り組む人たち、政治家であったり公務員であったり、だけでなくすべて、すべては無理かもしれないから大多数の人が何らかの参加をする。自分たち個人の生活だけでなく、公的な生活・・地域であったり国であったり・・で活動をしたり、寄付をしたり・・
国があって地域があって、周囲に生きている方々の生活があって、個人の生活がある。
日本ではそれらが空気と同じくらい当たり前に平穏に自分の周りにあったから、何も気付かずに日々を過ごしてきました。
しかし、本当は個人が常に守る努力をして守られるものであることであり、それは誰かがやってくれることを期待するものではなくて、自分がやらなくてはいけないもの。
そう思う人が増えることを願っています。

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