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2011年9月

2011年9月30日 (金)

「見える人と見えない人」~「ソーシャルメディア進化論」武田隆著から

2011年9月26日の日経ビジネスの本紹介にあった「ソーシャルメディア進化論」を早速手に入れ、読み始めました。
読み始めた途端、琴線に触れる箇所にぶつかり、電車の中で涙、涙・・(注)ビジネス系の本を読んで泣くのは私のくせです。

子育てコミュニティのネット上のやりとりが引用されているのですが、

会ったこともない人どうしが、子どもの夜泣きに困ったあるママの発言に、自分の経験を重ね合わせ、心配する発言をしたり、自分のことを語ったりしています。

最初に発言したママは、みんなが寄せてくれたコメントでどんなに慰められたか・・

そのママは、単に文字の羅列を読んでいるに過ぎない。人の姿も息遣いもないんだけれど、子どもの夜泣きという状況は変わらないけれど、救われた。

その様子が、まだ見えてないネットの可能性を感じさせてくれて・・涙ですよ

そして、著者が使う「見える人」と「見えない人」

引用させてもらうと「どうも世界には「見える人」と「見えない人」、2種類の人がいるようだと感じるようになった。またこれが、インターネットを上手に使いこなす人とそうでない人の決定的な違いになっているのではないかと思うようになった。」
「いま、私たちの世界には、地球規模のとてつもない変化が訪れている。私たちは人類史上、最もお互いにつながり合っている時代を生きている。「見える人」は、意識的か無意識的かは別として、いま起こっている時代の大きな変化を感じている。すなわち、情報も人も、すべてが幾何級数的にネットワーク化されている現在の状況から、そのつながるネットワークそのものを感じようとしている。」

自分も何か大きな変化が起きているように感じていて、この感覚って、錯覚じゃないんだって嬉しくなりました。
それから、この感覚を感じない人=「見えない人」っていい表現だなとも。
見えない人、見ようとしない人がいるっていうことがわかっていれば、無理に説明して理解されなくてイライラすることもありませんね。

ネットの可能性って昔から言われていますが、ちょっと前までは、ネットを訪ねて行って、ネットの中だけでその経験をしていた。
ネットを使える人たちだけのものだった。
それがいま、普通の人でも感じられ、それがネットの中だけでなく、ネットと現実の世界がつながって可能性を拡げている。
変な例えですが、ネットの世界と現実の世界に張られていた結界が破られて、ネットと現実が結びついて・・いままで考えたこともなかった、いままでの経験ではイメージできないことがこれから起こる、もう既に起こっているような感じです。

その本質を見誤らずにNAKAKIRAを動かして行けば、NAKAKIRAに共感を持ってくださる方が出てくる!
「見える人と見えない人」・・自信をもらった言葉です。


2011年9月28日 (水)

「発信力の鍛え方」ソーシャルメディア活用術 藤代裕之著

NAKAKIRA(ナカキラ)で、ネット内での議論を実現したいですから、関係する本をたくさん集めてます(読んでますと言えないところがミソ・・せっせ、せっせ(読む音))。
書店にはソーシャルメディアなんとかという本がもう山のようにあります。いずれ、うっかり買ったら、既に持っていたとなりそうな気がします。
今回読んだ本は、ソーシャルメディアというよりも「発信」というところで参考になりました。
細かいノウハウはさておき、基本は自分の強みを皆さんが求める形で発信すること、自分らしさを出していくこと、小細工はせずに辛抱強く発信を続けていけば見てくれる人は増えること(但し当然読むだけの価値を持っておく必要あり)かなと自分なりに整理しました。
そして、最後はやはりつながり、ネットでつながったら、実際に会ってみることが大事。
実名であるかどうかに関係なく、ネットに書き込みをしている人が別人になるわけではないから、リアルとネットを別物と考えなくていい。逆に別だと考えるのはおかしいですよね。

サイトの話とは別に、
これからは会社の名前ではなく、個人の名前で仕事をするようになるから、個人が情報を発信して名前を知ってもらうのが大切だという話もあって、これは、自分らしい仕事をしたいと思っている人には参考になるんじゃないでしょうか。

ネットでも自分、あるいは組織を知ってもらうことができて、そこからリアルのつながりに発展させることができる。
NAKAKIRA(ナカキラ)管理人としては、NAKAKIRA(ナカキラ)の可能性を信じて頑張ろうと思いました・・といつものとおりに話を締めることができる本でした。

2011年9月24日 (土)

行きたくなる場所、来てもらう場所(下関唐戸)、観光地って?

昨日、下関市の唐戸に行ってきました。

とってもよかったです。関心ある方は、別ブログをどうぞ!!(是非見てね)

本と猫好きの日日社会メモ「唐戸市場、しものせき水族館海響館&巌流島に行ってきました!」

魚市場、水族館、巌流島を観光資源にしています(たぶんそうでしょう・・)。

魚市場、水族館、島

それぞれを見れば、それだけでは観光資源としてちょっと弱い・・ですが、

魚市場・・その場でお寿司や天ぷらを食べることができる。単に魚を売っているだけじゃなくて、そこで買い物以外の時間を過ごせる。

水族館・・施設にお金がかかっている。これはお金がないところにはどうしようもないけれど、それでもこの場所にあることに意味がある。
市場に近くて、海の近く。国内の水族館ってどこも工夫をしているけれど、ここも運営に知恵を絞っているなと感じます。

魚、海の生物をみるだけではなく、そこでゆっくり、これまた時間を過ごせる。

そして巌流島。単なる島で、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地と言っても、博物館や記念館があるわけではない。
なくて結構なのです。
船に乗って島に渡って、船を待つ間に島を散策する。

市場や水族館で楽しんで、ちょっと疲れていると、さて次はこれを見てくださいって言われないのが、ほっとします。

日本の観光地は、めだまの観光施設をドンと作って、それからを考えているところが少ないような・・
ある程度人が来るようになって、それを目当てにお店ができて・・

それを期待している。

けれどもめだまであればあるほど、人が多くて長時間滞在できなかったり、周りにお店があるといっても、そこは商売。

そこで過ごそうにもお金がなければ・・・

施設を一つ作るだけでは、リピートしたい観光地には、ならないでしょう。

唐戸・・3つの観光スポットとゆっくり時間を過ごせる仕組み。
市場に関心がある人、水族館に関心がある人・・・分散しておもいおもいの時間の使い方をして・・

唐戸は、日本人、アラフィフの私がリピートしてもいいなと思った観光地ですが、

観光客も高齢者が増えて、外国人にも来てもらわなくちゃいけなくて、では、どんな観光地を作るか?

なかなか難しい・・でも、考え甲斐のあるとても面白いテーマだと思います。

2011年9月21日 (水)

基本”1人”&人間にしかできないこと

昨日は最悪な日でした。

やることなすことうまくいかず、マイナス思考。

NAKAKIRA(ナカキラ)の活動についても、自信がなくなって、では誰に相談するかと考えた時に・・・

誰もいなかった・・みんな忙しいし、グチグチした話を聞きたくないだろう。
とにかく無条件で、自分の話を聞いてくれる人。

親友みたいな・・

いないなあ~と思ったら、そもそも人に慕われないで、社会活動なんてできるか?
自分の性格、行動を客観的に見た時に、自分だって好きにならないかも・・とか。

負のスパイラルです。

これは、回復しそうにないと思って・・仕方がない、しょうがないから、今日は分厚い本を読んでみようと

「貧困の終焉」ジェフリー・サックス著(U2のボノが序文を書いてます。)を
読み始めたら、もう最初の数ページで昨日のマイナス思考が吹っ飛んでしまいました。

スケールが大きいです。
うじうじ悩んでないで、世界の貧困をなくすとか、世のため貢献したいとか考えていた方がずっといい。

そんな大そうなこと、あなたが考えなくてもって言われるでしょうが・・

自分に関わる問題だけではなくて、国の問題とか、世界の問題とかの深刻さを想像しながら、つまり実際に自分で体験しなくても自分のこととして考えられるのが、人間。

他の動物と違うところですよね。

やっぱり人間に生まれたからには、人間しかできないことをやりたい。

損なおバカな生き方だって、いいじゃない・・・

今度落ち込んだ時は、他人をあてにせずに、またスケールの大きな本を読もうと思いました!


2011年9月19日 (月)

プロボノの難しさ

プロボノ・・一言で言えば、「日ごろ仕事にいそしむ社会人が、自らの知恵とスキルと少しの時間をつかってできる、社会貢献の新しい選択肢」(プロボノ新しい社会貢献新しい働き方 嵯峨生馬著 勁草書房より)

NAKAKIRA(ナカキラ)でもプロボノに力をお借りしようと考えています。

2011年7月11日「プロボノ・・これを取り入れたい!!」

しかし、自分がNAKAKIRAの準備を進める中で、その難しさを感じております。

まず、仕事と貢献、まったく違うことを例えば一日の中で考えるのはストレスがかかる。
使うスキルは同じだとしても、会社の業務とNPOの活動分野がぴったり一致することはないでしょう。
例えば、ソフト開発会社に勤める方が、教育問題を扱うNPOのIT周りのお手伝いをする。

どちらも一生懸命やるだろうから、先に始めた作業の余韻を残さないよう、頭を切り替えなければなりません。

それが自分の経験からいうと難しいような気がします。
年齢的に私だけがそうであって、若い人なら簡単にスイッチできるかもしれませんが・・(笑)。
二つのことを同時に考えていると精神的に疲れてるなあって感じます。その状態では長く続かない。

次に、責任の問題
本業以外にお手伝いをするということです。もしかしたらボランティアでやろうとするかもしれない。

そうすると、あまり考えたくはありませんが、「お手伝いしてやっている」になってしまわないか?
本業が忙しくなったら、日頃貢献しているんだから、今日くらい行かなくてもいいだろうって・・・
やってあげてる気分だとこれまた続かない。

「プロボノ」ってとても魅力的、貢献してくれる本人にとってもプラスになることだと思うんですよね。

じゃ、どうすればいいか・・、結局は支援を受ける側でもある程度マネジメントをする。

手伝ってくれるから、全面的にお願いしますではなくて、

最初の問題だと、個人の負担を見ながら、業務量を変えていく。
強い負荷がかかる業務をお願いするなら、間隔を空けるとか、本業が忙しそうな時には業務量を減らすとかしばらく休んでもらうとか。

2つ目の問題は、やはり単に支援をしているって気持ちにさせないことかな。その人が加わっていることで助かっている事をしっかり見てもらうとか、活動に参加していることで、その人自身が成長している事をわかってもらうとか・・いわばWIN-WINの関係を築く。

支援をする側は自分で支援を決めたんだから、体調の自己管理してよね、モチベーションは自分で維持してよねではなくて、運営側が気をつけるべき問題だなと考えてます。

社会貢献だから協力するのが当たり前的発想している人を見て、本当にそれでいいのかと思いつつ、ここはしっかり考えなければいけないところだと思っています。

2011年9月17日 (土)

小さく起業する&働き方を考えてみる

7月の労働力調査によると完全失業率4.7%、有効求人倍率0.64、完全失業者数は294万人だそうです。

円高ですし、、少子高齢化で人口が減っている日本を出て行く企業さんも増えているようで、この先、働く場はなかなか増えないだろうと悲観的になってしまいます。

そうすると自分で事業を起こして・・と考える(NAKAKIRA(ナカキラ)でも考えている)のですが、果たしてどれほどの方が自分で事業をしようと考えるか?

しかし、まず考えるべきは、「事業」の意味。事業というとバンと大きな門構えの会社をイメージしてしまいますが、
昔ながらの小さな商店だって、事業を営んでいるって言えますよね。

会社に勤めていれば、毎月決まった収入があり、変なことをしない限り身分も保証されている。会社に入ってしまえば、誰にでもできること(入るっていう最初のところは難しいかもしれませんが・・)。
では、発想を変えて、自分でお客さまを集めて、収入支出の管理をして、家族が食べれるくらいのものを得るってこともがんばれば特別な人でなくてもできるのでは? 売っているものが自分の思い入れのあるものだったら、いいですよね。

学校を卒業したら、どこかの会社か官公庁何かに就職する。それが何か当たり前のように慣らされていて、就職しない人を不思議に思ってしまいますが、
例えばNPOを作ったりとか、後継者のいない商店を引き継いだりとかあってもいいんじゃないかな。

世間さまがいろんな働き方があるよとなれば、大事な人生、職探しで時間を使うよりも他の選択肢だってと考えるようになる。

経済誌や大学の講義などでは、大企業のマネジメントや起業をして順調に上場した経営者などが取りあげられるけれど、NAKAKIRA(ナカキラ)では、コツコツと日々過ごしている人の働き方について、考える機会を増やしてみるのもおもしろいかもしれません。

 

2011年9月14日 (水)

「美しく怒れ」岡本太郎著、岡本敏子編

昨日、NAKAKIRA(ナカキラ)の打ち合わせをしました。

ホームページの開設が目の前のような気がしていたんですが、まだまだ時間がかかりそうです。

このところ、気が抜けたような自分を反映するように、進捗もペースダウンです。
何ものにも魂が宿る(古臭い?)・・気合入れていきます!おう!!

ところで、まだ読み始めたばかりですが・・・
1996年に亡くなった芸術家岡本太郎氏の本です。だからすべて1990年代以前に書かれたものです。
しかし、今月の新刊新書です。
この時期にこの本を出した出版社の意図、「気概」を知りたいです。・・特別なものがあるような気がします。

「はじめに」の書き出し、
「世界をこの目で見ぬきたい。
目に触れ、手にさわる、すべてに猛烈に働きかけ、体当たりする。ひろく、積極的な人間像を自分自身につかむために。純粋な衝動である。
そんな情熱が激しく噴出するとき、それは憤りの相を呈する。
だから、私は怒る。また大いに怒らなければならないと思っているのだ。」

文字を追うだけで、岡本太郎氏の作品が目に浮かびます。
読み始めから、普通の人も(「怒り」を持ってとは言わないまでも)、懸命に生きるべし!と思います。

凡人は表現手段をもたない・・・
芸術家ではないけれど、日々の仕事の中、生活の中、自分らしさ、自分の持てるものを出して生きたい・・
冒頭からそんな気持ちにさせる本です。

2011年9月10日 (土)

地域戦略で考えること

数日前に、今後の地域を考えるフォーラムに参加してきました。
基調講演のスピーカーの話を数年前に聞いて、内容は忘れてしまったのですが感動した記憶があって、また聞きたいという動機の方が強かったのですが、もちろん「地域戦略」に関心もありますから参加しました。

基調講演は、う~んこの数年でこの講演者が変わったのか、私が変わったのかわかりませんが、前ほどの感動はありませんでした。
周囲を見回すと一生懸命メモを取っている方が多かったので、私が変わったのかもしれません。
そうだと嬉しいかな。ここ数年でこの講演者が考えることがまあ普通かなっと思える程度の感覚は身につけたということですから・・それが何なのって思われるかもしれませんが、感覚、皮膚感覚って大事だと思ってます。

ところで地域戦略の方。
大きなフォーラムを開催できるほどの人材・お金を持った、当然地元の名だたる企業さんが絡んでいる組織のイベントなので、下手なことを言うとという気持ちもありますが、まあ私がどうこう言ってもどうってことないんで。

と不要な前置きをして・・

まず
私、いえ私たち、今年の3月11日以降、やっぱり、価値観が変わったんじゃないかな?と感じました。

3月11日大地震が起こる前は、右肩下がりの地域経済をどうにか支えようとしてきました。

それが、一瞬のうちに災害がすべてを破壊してしまった。

いろんな気持ちが交じって出てきます。

努力しても一瞬のうち失っていまう、努力って何?何のためにするの?
頑張っていた人も頑張っていなかった人も同じように被害を受けた。
いままで築いてきたものを失くして、それでもやり直さなければならない。
自分だけが良くても駄目。誰もが自分だけではなく、自分の周囲も考え進んでいかなければならない。
等など

ですから、3月11日前と3月11日以降の地域戦略って違ってきているだろうというのが、私の勝手な思い込みです。
例えば「経済成長」という言葉を使うにしても、何のための成長かとか、
「経済」というけれど、経済に影響を及ぼす、例えば都市計画とか防災とか人の教育、どこまで踏み込むか
など、
いままでの議論の中で見落としていたことが、当然一つでも出てくるだろうと思っていました。

しかし・・なかったですね。
相変わらず福岡の良さは何か・・、アジアに近いから・・、東京と比較して・・

たとえ東日本大震災がなかったとしても、この議論ではないだろうという気がして、古さを感じました。

たぶん福岡(東京の意見も聞いたという話がありました・・やはり東京ですか)で”識者”と言われる名だたる人が考えたことでしょうが、そうであれば・・ちょっとさびしさを感じました。
自分がいまネットやその他メディアの中で見聞きすることからかなり遅れた感覚を感じてしまってます。
二次情報に触れてもそうなんだから、話題の中心地に行ったら、すごい後進感感じるかも(もちろん我が地域の)。

日本の一地域の良さなんて、世界レベルで見れば、ドングリの背くらべ。
少しばかりの強みで世界に打って出るなんてとてもできない。

議論をするとすれば、数少ない、わずかな良さをどう組み合わせて新しい価値を生み出していくか?
いまはないけれど、新しいものを創るために地域でどういうことができるか?

地域って視点から考えるなら、福岡(もともと福岡自体知られていないですが・・)なんて、日本なんてどうなってもたいして影響ないって考えるようになっている世界の状況をどう変えるかって議論をすべきではないかなあ。

世界企業を創るような尖がった人をどうしたら連れてこれるか生み出せるか?とか、個人はそこそこ中の上くらいだけど、集まったら、上の中(ほんとは上の上って言いたいけど・・)になるか?

いままで築いてきたいわば「過去のもの」を活かしてうんぬんじゃなくて、いまあるものをどう作り変えて、あるいは組み合わせてどう新しいものを作っていくか、それをどう売り込んでいくか・・の話じゃないのかなあ?

まず新しいものを作る仕組みを議論するんじゃないかなあ?

それこそ、一からやり直し、再生の議論を・・自分だったらしてみたいな。。

それから、その先・・フォーラムの中で成長を目指すってところばかりが目立って・・

価値観が変わった我々としては、成長の先に何があるか?何のために成長を目指すのか?を考えてしまう。
もはや成長率なんて数字を追いかけてもねえという気持ちがあって、その先に見えている地域像を話して欲しい。

そうはいいながら、そうだなってキーワードも出てはいました。
「ベンチャー」・・組織を動かすことにエネルギーを割かれてしまう大きな組織ではもうどうにもできないというのは同感。
「個のネットワーク」・・そうだと思います。自分の中だけかもしれないけれど、例えば大企業の社長さんであるとか、○○大学教授とか急速に価値(権威?)を感じなくなっています。
逆に名もない個人がすごいこと言っていることが、名もない私にも届いてたり、名もない個人が言ったことでも、優れているものはすぐ拡がるし、名の知れた方がそのことを取り上げてさらにいいものにしていくなんてこともある。そのことにすごい価値を感じます。

う~ん・・
国のお金が使われて、そして地元の大手企業が関わっていて、
大手企業がそこそこ利益を上げるための戦略で、国への報告義務にあわせた形だけがきれいに整う報告書=「完成形」。国のお金を使っていて、著名な企業が絡んだら失敗できませんよね。

いつもながらの結末にならないのか・・。

まあ一個人が心配することではないですね。しかし、納税者及び地域を愛するものとして、自分の予想が外れることを願っています。

おかげさまで、NAKAKIRA(ナカキラ)としては、参考になるところ満載のプロジェクトのようです(申し訳ないけれど、反面教師)。

ところで、会場からの質問というか要望

若い方から・・「福岡には若い人のイベントが少ない。少ないながら細々とやっている人もいる。そんなところをこのプロジェクトで取り上げてもらって盛り上げて欲しい。」

もう「はあ~??」ですよ。何言ってんだ!まず自分らでやること考えてくださいよ。
福岡だって結構、いいことにはお金出してもいいってお金持ちがいると思うよ。
若者の文化だっていいものはいいってどの世代だってわかるはず。

自分でアプローチでしょ! 

そもそもこの発言者、大きな会場で発言した勇気は買うけど、あなた自身はその中のイベントで、いいと思うものあった? 
イベントに何か貢献してる?

まずはお願いしてみる・・この依存体質、同じように考える人が多くないことを願ってます。

2011年9月 8日 (木)

母国日本~どんな将来像を描いていますか?

首相が替わって、内閣支持率が上がって、マスコミは様子見で期待モードの論調・・毎回繰り返されることが繰り返されています。

私たちは、その時々、国の政策にすごく期待したり、個々の政策が違うなと思うと批判したりしていますが、
そもそも自分って日本にどんな国であって欲しいと思っているんだろうと考えてみました。

そんなことは、リーダー、政治家・財界人が考えておけばいいんじゃない?って思う方々もおられますが、私はやっぱり一人ひとりが常日頃考えておいていいことじゃないかなと・・・

では!

日本・・

強い国であって欲しいか・・経済成長率や世界の中でどのくらいの位置にいるのかを気にしつつ、とにかく経済発展を考えて活動する?→ 数字は大きくなっても個人が豊かさを感じなければ意味がないのでは?

住みやすい国であって欲しいか・・福祉の行きとどいた、高齢になっても安心して暮らせる国? → 誰がその費用を負担するの?

大きな国、小さな国って言いますが、社会保障が充実してその分負担が重い形?、社会保障は小さく、自己責任にして国民負担もそれ相応の形?


今後新興国がますます元気になった時に日本が世界の中でどんな国になるのか?どんな国を目指すのか?

私が考える日本は、一言で言えば「尊敬される国」

経済力で世界を引っ張っていくってことはこれからますます高齢化が進み、人口が減っていく日本にはできないことでしょう。

日本の技術力はまだまだ高いとか、サブカルチャーが強いなどと言っているけど、日本だけがその分野に強いなんていうことが今後も続くと考えにくい。

今後経済的に、普通の国になっていくんだろうけれど、過去繁栄を謳歌した国だったと過去形で語られたくない。

「尊敬される国」・・日本が過去に築いてきたもの、いままだ強みを持っている分野を大切にして、まだまだ支援が必要な国々と一緒に、各国の発展を考えてながら世界全体が今後どうあるべきかを提案し、行動する国。

経済発展を遂げるために何をなすべきか?平和を実現するためには?貧困をなくすためには?

尊敬を受けるためには自国がしっかりしなければいけません。
当然お金も必要だから、世界第何位であるかはどうでもいいけれどもしっかり稼ぐ国であり続けなければいけないとも考えます。自国が食っていくのがやっとではなく、他国に支援ができるくらい稼げる国でありたい。

財政の問題をどうするか? 安全保障をどう考えるか? 環境問題は? もちろん震災からの復興は? エネルギー政策は?

課題先進国という言い方をされるけれど、課題が他国より早く出ている国だから、日本の取り組みが後に続く国の参考になる。
さすがと言われるために、課題から逃げずにしっかり考えていく。

そんなこと政治が考えることと言わずに、一人ひとりが考えて、みんなのアイディアを集めて最適解を見つけていく。そしてそれを日本自身及び後に続く国が活用する。

それから・・
独自に発展してきた分野は、これからも大切にしていく。
アニメ、ゲーム、日本食、「おもてなし」、繊細な伝統工芸・・なぜ日本独自のものができたか、今後も世界の中で認められ続けるためには何をすべきなのか。

それから・・
日本人一人ひとりが自立して生きる。大きく変わる世界の動きについていけるように、生涯を通じて学び続ける・・・etc.

「尊敬される国」を目指す!

この考え方、どう思われますか?

2011年9月 5日 (月)

大前研一さん著 「新版「知の衰退」からいかに脱出するか?」で見つけたもの

2011年2月20日発行の「新版「知の衰退」からいかに脱出するか?」の第5章「ネット社会と脳」でちょっと嬉しい記述を見つけたので、抜粋で引用させてもらいます。

「私(大前さん)のやっているSNSは、このアゴラとガイア(地球)を合わせて「アゴリア」と名付けた。”地球規模で議論をする”という願いをこめてそう命名したのだ。
このアゴリアに集まった人々がディスカッションを重ね、そのうえで、うまくいった人・失敗した人のノウハウを交換し合い、それが蓄積されていけば、集団知はどんどん磨かれるはずである。いまは、知は個人で磨くものでなくコミュニティで磨くものと考えるべきなのだ。」

それからちょっとこの後のページに『サイバーコミュニティの可能性を追求する』というのがあって、
「サイバーコミュニティを運営していて私が思うのは、前述したように驚くほど優れた人間がいるという事実、そしてそのなかからなら集団知を形成して高められるという事実である。それで私は、このサイバーコミュニティによって世の中を変えていくことにトライしたほうが、リアル社会を変えていくよりも可能性があると思っている。
双方向性の場合、一方向とは密度も時間も違う。」

まさにNAKAKIRA(ナカキラ)でやりたいことではないですか・・

多くの知を議論の場に集め、そこで新しいものが生まれる。

サイトの中に「議会」を作って、そこでみんなで議論して新しいものを生み出していく・・って話をすると「そんなのできっこない」とか「意味がわからない」のような反応されることばかりだったので、(私の読み違いかもしれないけれど)「ディスカッションを重ねて集団知がどんどん磨かれるとか」「サイバーコミュニティの可能性」なんてあって、そうよねやれるよね、やってみる価値あるよねっとちょっと・・かなり元気が出てきました。

アゴリアの場合は、大前さんがシスオペをやっていて、NAKAKIRA(ナカキラ)がそういう人物を見つけられるかって大きな問題があるけれど・・まあそこは走りながら考えましょ!!

2011年9月 4日 (日)

いまの私たちが「天草・島原の乱」と同じパワーを出すことはないだろうけど・・

NAKAKIRA(ナカキラ)のホームページ作業が少しずつ進んできましたので、これからはNAKAKIRA(ナカキラ)に関することだけでなく、社会や地域に関する記事を増やしていきたいと思っています。
管理人の勝手な思い込み記事ですが・・

9月に入り、天草に行ってきました。自然が豊かで新鮮な魚があってというのが九州福岡に住む私のイメージ。

熊本市から天草市まで、車で2時間強くらいでしょうか。
海という観光資源があっても外から人を呼び込むのはなかなか難しそうです。
この地域が生き残るために何をするのか・・簡単に答えは見つかりそうにありません。。

さて・・
天草ではのんびりと、例えば日頃、私があまり行きそうにない「天草キリシタン館」など立ち寄ってみました。
島原の乱・・高校生の時に日本史を学ぶ際に、他の歴史的事象と同様、何年に何があってふうに一言で学んで、それで終わっていました。

しかし、この施設で展示品一つひとつを眺めながら、
弾圧されてもキリスト教を信じ続ける、天草と島原、島原湾を挟んだ二つの地域の農民が武士を相手に戦いを挑む・・
なぜそれができたかを考えました。

信じる宗教があった、勝つ見込みのない戦いであっても立ち上がらざるを得ない逼迫した状態があった・・
映画やドラマであまりにも「生き死に」が扱われていて、「闘いを挑む」なんていっても、それがどれくらい覚悟がいるものなのかピンとこないですが、やはり命をかけて何かをやろうとすることはよっぽどのこと。

そうすると現在を考えてみると

例えば中東・・武器を持って政府と闘わざるを得ない状況があった・・

日本・・多くの人が不満を口にするけれど、食べていけないというけれど・・当分暴動がおこることはないでしょう。みんなそう思っていると思う・・(1)命をかけるほどの状態にならない、(2)命をかけてでも自分自身で手に入れるなんて事ができる人がほとんどいない。

それはそうと、いまの日本
いまは大丈夫だけれど、今、将来の設計をしておかないと取り返しがつかなくなる。
確かに今の生活は続けられないだろうけど、そこそこの生活はこれからも守られる。なのにマスコミなどの言うことに惑わされて、しないでもいいことをじたばたやろうとしている。

どっちなんでしょうか?

今後、人口の高齢化が進むことは間違いなくて、何もしないままでは日本は先細り。
贅沢に慣れた我々が、餓死しない程度に食糧があったらいいなんて状況に耐えられるはずがない。

だったらどうするか?

ちょっと以前の日本でも、現在の世界の他の地域でも命をかけた戦いが行われた。
それなら、これから先の日本だってそういう事態にならないとは限らない。

これから、人口減、高齢化という経済にとってマイナス要因が進む中で、今後どのような生活を求めるのか、続けるのか。
国に将来を考えてもらうのではなく、自分で未来を描き、その未来図を目指して一人ひとりが行動を起こしたいですね。

危機が見えてからジタバタしても間に合わないのは間違いないですから・・

しかし、上り坂の時は簡単だった・・また頂点を極めてないから、それが欲しいし、それを目指せばいまよりいい生活ができる・・
でも下り坂は・・いまよりいい状態はたぶんない、がんばっても現状維持。目指すべきものがない。
そんな中で頑張るのは本当に難しい・・

やはりいままでと違う価値観、いままでと違う目標を持たないと新しいパワーは生まれてこないですね。

これからどういう生き方をしていくのか、どういう地域・日本・世界を作っていくのか、皆さんどのように考えてるのか知りたいです。

2011年9月 1日 (木)

自分の小さな経験から大きな話を自分なりに考えてみる

今週、人間ドックに行ってきました。「ぼんやりと待つ」ということに慣れていませんが、本はロッカーの中だし、備え付けの本はマニアックな私の趣味に合うものがなく、検診そして病院のサービスを観察してました。

人間ドックを受けた病院は、以前は国立の施設で、施設としては古いなあというのが正直な感想。

検診センターの受付は。。

受付の前に番号札があって、それを取って待ちます。しかも番号札手作りだし・・・そういえば本館病院の受付は磁気カードを入れればそれで終わり。検診センターはローテクです。

しかし、ローテクであってもいろいろ工夫されてまして、なぜか後から来た人が先に終わってしまう、空いているのに担当者が気付かずにいつまでも待たされるなんていう不満を受診者が起こさないようになっていました。

検査部門であっても個人の確認は徹底されていて、何度もフルネームで呼ばれるのには参ってしまいました。

さすがです。

問題点があってもなかなか改善が進まない組織(我が組織含む)に比べて、利用者に目に見える形で改善をしている医療機関。
なぜ目に見える形で成果を出しているのか?

過去、医療ミスにより失われる必要のない命が失われたという教訓を活かし、事故が発生した病院だけでなく、全国的に取り組みが進んでいること。→お国の指導もあるでしょうが、自分のところもやらなくてはというプレッシャーが働く。成功事例を参考にできる。
また経営の問題・・命の大切さを尊重しながら、経営の効率化をいかに図るかという視点が求められていること。

などがあるのかなあと勝手に考え、そして乱暴に改革全般について考えてみました。

改革を進めるためには(自分が見た「改善」から無理やり「改革」を語っている??)
(1)改革を行うべき強い外的要因(医療の場合は尊い犠牲も伴っていることに胸が痛みますが・・)
(2)お金の問題(問題がなくてもしっかり財務状況を捉えて考えてるかどうか→金銭感覚)
がなければいけない。

外的要因が見つからない場合も・・
なぜ改革を行わなければならないか? わかったつもりになっている「なぜ」をきちんと考えてみる。
→改めて分析してみると問題点があぶり出される。
→問題点がわかったらそれをメンバーに周知する。
→みんなで危機感を共有する。それをエネルギーに改革を進める。

それから財務。現場末端まで財務状況を伝えていく。お金のことばかり考えて本質を見失ってはまずいけれど、お金がなければ何もできないことを理解して、無駄を省いていく。

自分の経験から、大きな話を考えてみました。
改革については、いろんな本が出ていてそれを読めばいいかもしれませんが、自分の頭で自分なりに考えてみる。
稚拙な結論でもいいんじゃないかな・・

考える機会が減ったと思いませんか?
どんな行動を起こすにも、自分なりに考えることが大事だと思っています。

なんてことを書いていたら、NHKニュースでヒヤリハット(重大な医療事故に繋がりかねないミス)が過去最多56万件に達したと報じられていました。
私が見た病院が一部の例に過ぎず、安全への取り組みは全体で見ると進んでいないんでしょうか?それとも医療機関を利用する人が増えているせいでしょうか?この問題は現場の工夫では解決できないのかもしれませんね。

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