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2011年10月

2011年10月30日 (日)

誰が主役か?

昨日は、「地域と交通をサポートするネットワーク in Kyushu」という研究会を覗いてきました。
これは、地域と交通をテーマに大学研究者、交通や都市計画等の企業関係者、コンサルタントの方、この分野の行政関係者の方が集まって定期的に勉強会を運営されている研究会なのですが、今回講師に関心があり、場違いと知りつつ参加してきました。

今回のテーマは、「過疎地の交通問題」でしたが、私の関心のある講師のご専門は医療とか福祉の分野だと思っていましたんで、その方が交通問題をどのような切り口でお話になるかとても興味がありました。

とはいいながら、まったく場違いで終わりはしないかとかなり躊躇しながら会場に向かいました。

結果は、とても意義ある時間を過ごさせていただきました。

講演についても参考になることがいろいろあったのですが、

ナカキラとの関連で気になることだけを書いてみます。

講演をされた2人の先生ともに言われていることでしたが、最後の総括で整理された言葉を使わせていただくと

移動手段(交通手段・アシ)は
(1)生活基盤の一つである、
(2)社会的関係性を確保する手段である。

(1)はまあそうだなと割と出てくることなのですが、(2)まで思い至らないといけない。

何か事業あるいはこの場合はインフラ整備ですが、それをする際にそれにどういう意味があるかをきちんと考えないといけない。
表面的な現象だけを見て、交通の場合ですと移動さえスムーズにできればいいと考えてしまうけれども、深く考えるとそれはそこに住む人が移動先の人たちと関係性を持つことであって、そうすると移動の機能だけ考えておけばいいという話ではなくなります。

きちんと深く考えること・・何かを始めようとするときにとても大事ということを忘れないようにしようと思いました。

それからディスカッションのやり方

ナカキラの場合はサイトの中で行いますので、即参考にならないかもしれませんが、
始めて会った人たちが議論をする際に、特に何かを決めないといけないという際は、リーダーシップを発揮する人がいる方が話が早くまとまる。
しかし、それは逆に多様な意見が出にくくなるという欠点もあります。

そうするとリーダー(ファシリテーターなのかも)は、議論から出てきたものを次のつなげて行こうと思っている人がいいかもしれません。
ナカキラでいうと事業アイディアが出てきて、それを実現可能な事業にして行く際の議論は、その事業をやってみたいと思っている人がリーダーになって進める。
自分が主導してどんどん形にしていくのか、それとも多様な意見を引き出して、それを少し時間を使って練り上げていくのか。
最終責任者は自分ですから、おのずとやり方も見えてくるのではないかと。

それから、これが今回参加の一番の収穫ですが、

ディスカッションをしながら自分も考えていたことではあるのですが、

奇しくも講師の方が最後に言われたこと
「交通から入るのではなく、生活から入る」
「ひとりの人がどういう生活をしているか、寄り添って考える(その上でどう作るかを考えるということだと思います)」

専門家の方はあくまで特定分野の専門家に過ぎません。しかし、生活しているものにとっては、今回の場合でいうと「交通」だけが独立してあるわけではありません。
交通は生活のほんの一部に過ぎず、すべての生活はつながっていて、トータルで考えないといけない。

そうすると専門家に任せていればOKと考えてきたいままでって、ひょっとしたら違っていたのではないか?
行政に任せておけばいいという発想はもう捨てなければいけないのではないか?

例えば新しい公共交通手段を導入する際に、行政や専門家はその道のエキスパートが手間ひまかけて考えて、その方々なりの良いものを作ってくれる。
しかしできてしまえばその人たちはいなくなってしまいます。

整備されたものを使うのはそこに住む人たちだとすれば、そこに住む人に主導権があるべきではないか?
慣れた人に決めてもらえばスムーズだし、楽かもしれないけれど、でもやはり自分たちのことは自分たちで決める。

自分たちでやれることはやる。やれないことだって自分たちのことは自分たちでやるという気概を持つ。
ナカキラの基本的な考え方は間違っていないと一人納得した勉強会でした。

2011年10月29日 (土)

教育、人材育成について議論してみたい

昔、日本は天然資源がない国、優秀な人材が資源だと言っていました。
そして今、高い技術とサブカルチャーとか、まだまだ強みがあります。なんて言ってます。

日本の人材については、いまや疑問詞がついていますし、高い技術なんていっても、50代、60代あるいはもっと上の世代の職人とも言われる人たちの技術が優れている話だったり、サブカルチャーといっても、ゲームとかアニメの話だとすると、長時間労働でゲームを作っている人とか、低賃金で働いているアニメ業界の人とかで成り立っているんじゃないか?

大多数の人がきちんと経済に寄与するシステムじゃないと健全に経済が発展、少なくとも維持されないのではないか、どこかに特化していびつに発展してもそれでいいとは言えないんじゃないかと思います。

それでまず考えるのが人材。

「会社を辞めたんですが、働いた分の給料を払ってくれません」
「どういう状況ですか」
「2日働いて、自分に合わないと思ったので辞めました。」
「どういうふうに辞めたんですか?」
「会社には連絡せずに行かなくなって、会社から連絡があって辞めるといいました。」
「・・・」

特殊な例ではなく、よくある話です。
雇ってもらって、仕事が合わないので連絡もなしに辞める??

どういう教育受けて来たんだって思います。

かと思うと私、よく書いているかもしれませんが、成績優秀な生徒が集まる高校、その生徒たちの電車の中での行動。
満員電車に乗ったと思ったら、バックを下ろして立ち止まり、後に乗る人のことはどうでもよし・・他人のことに考えが及ばない?
知識や理論だけで人は動かせんよ。若いうちから人のことを考えて、人の気持ちを理解するようにならないとリーダーになれんのでは?


働くモチベーションを考えても
ある程度の収入が保障されたら、当然生活の充実を考えるから、プライベートの時間を大切にするようになります。当然長時間労働はいや。
とにかく生活の向上を目指して、一生懸命働いている新興国の人たちのモチベーションと比較のしようがありません。

これでどうやって世界と競争せよというのか?

大概の人は、日本が経済力で何位になろうが、それってどうでもいいと考えているんじゃない?

いくら経済界の偉い人と政治家、評論家、マスコミが騒ごうが、みんな「そうですか・・」じゃない?

でも、きちんと働いてきちんと財・サービスを生み出していかないと生活が立ち行かなくなっていくのは間違いない。
働かざるもの食うべからずです。
いまの生活レベルと維持することが難しくなってくるだろうから、やはりもう一度考えを整理して、自分の人生、一日の生活を仕事と生活でどのように分けるか。
自分の能力を社会が財・サービスを生み出すためにどのように活用するか、どのように自分の能力を磨くかという
ことを考えないといけないと思います。=自分を題材に人材について考えてみる。

日本の教育という大きな視点から人材について考えてみるというのもあり。
教育の見直しが言われているけれど、いまの教育の目的って何? 社会に貢献する人材を育てるようになっているのでしょうか?
日本中どこでも同じだけれど、改革と言われているから、目につくところだけちょっと変えてみるかで終わってないか?

そもそも教育って大事な部分を教育委員会とか学校とかに任せっぱなしでいいのか?
教育は学校に通う親たちだけが関係する問題なのか?
これから育つ人たちに大きく影響を受ける人たちが子どもの教育に関わらなくていいのか?

特に小・中・高校の教育は教育関係者と言われる人たちの聖域になっているような気がしますが、もっと社会で議論をしてみたい。
学校が開かれておらず情報が得られないなら、当事者、例えば学校の通う子どもたちの保護者、問題意識を持った先生方から情報を得て、社会で議論をするってこともできるんじゃないかと思うのです。

雑然といろんなことを書いてしまいましたが、教育や人材育成について、みんなで議論してみたいですね。

2011年10月26日 (水)

ナカキラホームページ打ち合わせ

ナカキラホームページの打ち合わせをしました。
管理人の怠慢のありまして、なかなか運用が始まらないホームページ。

でもナカキラにとってホームーページは議論をする大切な場所!
早く完成して、反応を見てみたいと思う反面、最初の作り込みを大事にしたいとも思うのです。

皆さんにホームページの中で議論をしてもらうのですが、もし書き込みがあったとして、書き込みがあるということは、それを書きこんだ人が必ずいるわけで、

一つ一つの書き込みを大切に、書き込みからまだ見ぬ方の置かれた背景までも想像しつつ、双方向のやり取りが効果的にできるように、ホームページ公開の準備が整うまで、管理人として精進せねばと思うのであります。

2011年10月24日 (月)

「コミュニティデザイン」山崎亮氏~人がつながるしくみをつくりたい

NHKクローズアップ現代を見て、慌てて読んでみました。
著者は、情熱大陸にも出演されたことがある方なんですね・・。

日本人約1億3千分人の1人ではと思うくらいどこにもいない人。
本を読んだだけでも想像できる豊かな発想力とたぶん大概のことは許してしまう許容範囲の広さが、テレビも注目する事を成し遂げているのだろうと理解しました。

そして、この方もすごいけれど・・
企業、評論家、政治家、そして行政も経済力を落としていく日本を数字でしかみていないけれど、地域ではそんな人たちが見落としている変化が起きているのではと感じました。

経済成長率なんて関係ない。
お金では買えないものを求めて活動する人たち。
地域で活動するのに精いっぱいで情報発信しないから、多くの人はその変化に気づいていないけれど、日本は本当の豊かさを手に入れつつあるのではないかと思いました。

危機の大合唱の中で私たちの目は曇っているかもしれません・・
国民一人ひとりが作っている日本は元気のない冴えない国じゃないのかもしれません・・

もっともっと山崎さんの活動を調べて、丸ごと真似をして、その上で自分たちの工夫をプラスして・・
自分が住む地域を一緒に住む皆さんと一緒に創っていきたいという想いがものすごく貯まりました。

みんなで一緒に地域を作っていく。
そういう活動をすることで、今後の日本の進むべき道を探していけるような気がしました。

本の副題は「人がつながるしくみをつくる」です。
稚拙ですけれど、自分も人がつながるしくみを作りたいです・・

2011年10月23日 (日)

自分や家族だけ良ければいい・・じゃ嫌!

ちきりんさんの10月22日のブログ「Chikirinの日記 どこの国もホントにアホ」を読んで、本当に日本に限らず、どこの国もまずい政治をやっているなと感じます。
どこかのまずい政策で、世界が同時に大変なことになる日も近いのではないかと感じているのは私だけじゃないでしょう。

Chikirinの日記 どこの国もホントにアホ

でも、どういう事態になっても、自分や自分の家族だけを考えるのではなく、日本という国の中で、地域や日本のこれからを考え、何らかの行動をしつつ、あがいていたいと思っています。

お金持ちが日本を見捨てて海外に出て行くっていう話がありますし、日本を脱出して海外で働くことを考える若い人も増えているみたいだけれど、それはそれとして、自分は難しいから、希望がないから・・諦めるではなく、難しくて、希望がないから、本当に難しいか、本当に希望がないか、自分で確かめてみたいですね。

選択肢がないから日本にこだわるのではなく、あえて日本にこだわる。
高齢化が進み、且つ人口減少。経済が縮小する中で、希望を持って生きるとは?

いままで常識と考えてきた価値観を見直すことになるかもしれません。

日本は課題先進国という言い方をする方がいますが、そうであるなら、トップランナーとして、人間が希望を持って生きるとはどういうことなのかをしっかり考えていくのもいいんじゃないかと。

満足に水や食糧が手に入らない地域や日常的に武器が必要な地域がある中で、
平和を実現し、大多数の人が日々食べるに困らない生活をしている国で、幸せを感じないのはなぜか?

その意味を考えていきたいし、それを同じような気持ちを持つ人と一緒に考えていけたらいいなと思っています。

2011年10月22日 (土)

人さまの困ったことや地域の問題に共感できる人

「明日のコミュニケーション」佐藤尚之著アスキー新書を読んでいますので、しばらくはその本を読みつつ感じたことを書くことが多いと思います。

本の中に情報が広まるには条件があって、それは「その情報が「共感」を纏っているかどうか、である」とあります。

ソーシャルメディアでつぶやく場合、それを見る人の多くは、知人・友人になります。その人たちにその情報を広めたいかどうか。自分が共感を持たない情報をわざわざ友人に伝えたいと思わない。
そういえばそうですよね。

そうすると自分がとても困っていることをソーシャルメディアでつぶやいたり、自分が社会や地域に対し、これ問題だよね、どうにかしないといけないよねと感じてソーシャルメディアに書きこんだ時、

そのことをリツィートしてくれて、あるいは「いいね!」をクリックしてくれて、「その困っている、こういう解決策あるよ」とか「その問題、一緒に考えてみたい」という人につなげてくれるには誰か?

それは、その困ったを自分のことのように感じてくれる人、社会や地域の問題を自分のこととして感じられる人だろうと考えています。

遠く離れたふるさとに年老いた親を残し、その親のことが心配という書き込みに対して、親の寂しさや子どもが心配する気持ちを想像して、自分の心がきゅっと痛くなる人。

災害が起こった時に、避難した人の不便さや不安を我がことのように感じて心配する人。

他人の困り事や自分が住んでいない地域のことについて、その人たちの気持ちに共感できるというのは、例えばある商品があって、いいなとかおもしろいなとか感じるより、さらに高い感度、繊細な感度を必要とするのではないかと考えています。

だから、生活の中で出てくる困ったことや社会・地域の問題について考える場に共感してくれる方は、ひょっとしたら限られていて、巡り合うのが難しいのではないかと感じたりもします。

でも、今年、数度の大きな災害にボランティアをしたいと考え、行動した人たちがたくさんいたことを考えると、

日本の中には感度の高い人たちがたくさんいるはずですよね。


2011年10月20日 (木)

『関与する生活者』「明日のコミュニケーション」佐藤尚之著から

「明日のコミュニケーション」という本に『関与する生活者』という言葉があって、社会への関与の仕方に大きく分けて3つあるとしていますが、これは実感としてよくわかります。

「『関与する生活者』とは、問題意識を持っている社会的な事柄や、当事者意識をもっている問題に積極的に関与・参加し、意見や感想を表明し、実際に行動する人たちのことである。」そうです。
その『関与する生活者』は大きく3つにわかれているそうです。

○アクティブ関与層
元々関与するタイプだった人たち。問題意識と当事者意識が強く、すぐに行動を起こし、能動的かつ積極的に物事に参加・関与する人たち 

○潜在関与層
関与したかったけど今まで関与する方法を持たなかった人たち
アクティブ関与層と同じく問題意識は高いが、行動する方法やノウハウももたず、じりじりしていた(人たち)

○プチ関与層
深く関与はできないけどちょっとだけ関与したい人たち。
元々行動的でもないし問題意識や当事者意識もそんなにないが、良心的で影響を受けやすい人たち。

プチ関与層は日本人にすごく多いタイプと筆者は書いてます。

社会の課題を解決する際に、いいことをやっているんだから、志高い人がついてきてくれる・・と楽観的に活動している非営利の組織が結構ありそうに感じていますが、
いくらいいことをしていてもそれだけでは駄目で、貢献したいと考えている人の気持ちをひきつけ、その人たちにもメリット・・この場合だと貢献しているなという達成感・・を示すことが大切ではないか?

この3つの分類をきちんと考える、特にプチ関与層をどのような方法で惹きつけるか?

プチ関与層のことをしっかり考えて、さらにアクティブ関与層、潜在関与層のハートもがっちりつかむ。

言うのは簡単ですが・・・難しいですね。

しかし、大事なことのような気がします。

2011年10月18日 (火)

NHKクローズアップ現代10月18日「地方を変える“コミュニティデザイン”」

ちょっと早めに帰って、NHKのニュースを見ていたらクローズアップ現代が始まりました。
コミュニティデザインという手法の紹介でしたが、
魅力がないと思っていた自分たちの住む地域を再点検して、良さに気付いていく姿。
地域を見直した人たちが集まって、地域を活気づけようといる姿。
お金をかけるのではなく、各自が持ち寄ってアイディアで地域を変えていく。

お金をかけてハコモノを作ることに疑問を感じている私たち

この手法が、これからどの地域にも広がっていくんだろうと感じました。

詳しい方のお話を聞いてみたいですね。

一緒に地域の姿をデザインしてみたいですね。

2011年10月17日 (月)

本音と建前・・とてもマイナス思考

スティーブ・ジョブズ氏が亡くなってから、例えば氏のスタンフォード大学卒業式でのスピーチが繰り返し話題になったり、彼の人生そのものが熱く語られているのに・・・

現実の日本は、組織防衛で一生懸命だったり、手に入れた地位を守るのに汲々としていたり・・

カリスマの生き方を称賛するけれど、自分とは別の世界。

同じ地球、同じ時代に起こっていることなのに、何か映画やテレビの中で起こっているように感じているのでは?

ひたすら堅実に生きるのもいいのだろうけど、
天才の生き方に感動しつつ、うつろな目をして仕事をこなしているのが、どうも納得いかないんです。
ジョブズ氏のように生きられないとしても、もう少し、素直に本音を出して生きいてもいいんじゃないかな・・?

安定した生活に慣れてしまうと「どうせ一度の人生太く、短く」なんて言うことに覚悟がいりますね。

でもやはり「どうせ一度の人生・・・」と思わないといけない世の中になっているような気がしているのは私だけではないのでは?

う~ん、本日非常にマイナス思考です。

プラスに持っていきたかったんですが、まだ脱力しています。


2011年10月16日 (日)

子育て中の女性の就職の応援をする

子育て中の女性で、子どもが少し大きくなり、保育園に預けて働けるかなと思えるくらいになった方以上をメインターゲットに自治体は仕事復帰の支援をしています。

それは、例えばハローワークの求人紹介+その方の希望や過去のキャリアに応じた仕事の紹介(カウンセリングを含むことも)であったり、働きたいけれどまだちょっと躊躇している女性に対し、面接の受け方や働く心構え、マナーなどを教える講座を開いたりとかいう方法が取られているようです。

しかし、自治体が子育て女性の就職を応援していても、自社で働いていた方が育児休業を取られて、復帰に当たってどう対応していいか、まだ確固とした復帰プログラム、あるいは職場の対処法ができていないような中にあって、本人の実力さえわからないのに、さらに育児中って方を採用するっていうのはなかなか勇気がいるのかなと「そうは言ってもなあ」と思っている企業側の戸惑いも理解ができるような気がします。

また、経済状況が厳しい中、ハローワークの求人を見ると正社員の募集というのは少ない。
高度な専門職に近いような仕事になると独自の人脈で探すのかなと思ったりします。

そうすると前の会社と縁が切れてしまった子育て中の女性だと出産前にバリバリ働いていてもなかなか仕事が見つけられないのではないかなと感じたりします。

それから女性の側には、子育てしているから多少会社に迷惑をかけるのは当然という発想をする方(ごく少数だと思いたいですが)も、いらっしゃって、それでは就職してもうまくやっていけないよって思ったりします。

否定的なことばかり書いているように見えますが、育児をしている女性が働くっていうことは、社会にとっても、会社にとっても、家族にとっても、そして本人にとってもプラスになることだと私は思っています。

行政の支援方法も会社の受け入れ態勢もそして本人自身の心構えも、まだまだ見直す・・というよりこれから作っていくところがいっぱい。
子どもがいて働くのは難しいと決めつけずに「どうすればいいか?」をみんなで考えれば、アイディア次第で大きく改善が進んでいくところだろうと感じます。

2011年10月15日 (土)

豊かであることを自覚して本当の幸せを考えていく

少し前になりますが、福岡について考えるシンポジウムのパネルディスカッションで、「福岡はどういう都市だと思いますか?」のような、地域をテーマにしたシンポでありがちな質問に

高校くらいの年齢から10数年(たぶん)を海外いろんな国で過ごした女性が答えた回答は、自分たち日本が恵まれていることを思い出させてくれた印象深い回答でした。

「福岡がどういうところかはよく分からないが、日本は豊かだと思う。世界には水を汲むために何時間も時間を使う国もある。日本は(水汲みなどの)生活のために使う時間を節約できているのに、その時間を有効に活かしきっていないではないか?」

日本はさまざまな問題を抱え、大変だ大変だと言っているけれど、地球全体に目を移せば、日本はとっても豊かな国でいまある問題も大したことないように思えます。

そしてそれは地球の資源を使って豊かな生活を送っているってこと。

そうであるなら、しっかりといまある豊かさを理解して、いま私たちがなにをすべきかを考えないといけない。行動しないといけない。

豊かであるのに幸せを感じていない意味を考えないといけない。

海外で生活した人の発言すべてに共感するわけではありませんが、この方の発言は忘れていたことを気付かせてくれました。

そこで、その「水」について、クーリエ・ジャポン2011年11月号の特集「世界を「もっと良くする」仕事」の中で、ハリウッド・スター、マッド・デイモン氏の活動が紹介されています。

詳しい内容は記事を読んでいただくとして、記事の中から気になるフレーズを抜き出してみます。

まず、彼は、寄付だけをするのではなく、「具体的な援助の内容や手法を取り決める段階から関わる「メソッド型の慈善活動家」」だそうです。お金持ちが関わる慈善事業に寄付だけでないものがあり、とんでもないお金持ちがなぜ寄付だけで終わらないのか?
その「何故」を考えることがお金持ちの支援をうまく引き出すことにつながるのではないかと感じます。

それから、「水問題の仕組みを理解したかったら、現地に赴いて、地元の人から自宅で話を聞くに限る」というフレーズもあります。
現地に赴くこと、事務所やホテルではなく自宅であること、地元の方の生活そのものを見ないと援助方法はわからないということだろうと想像しています。

そして事業はトップダウンではなく、ボトムアップで行うこと。問題を抱えた人自身が主体的に自分たちの方法で取り組むということが大事なのだろうと思います。これは貧困の問題解決だけでなく、日本にもある身近な問題解決についても同じように考えなければいけないはずです。「自分たちの力で成し遂げたことに誇りを抱く」という書き方もされています。

そのほか、マイクロファイナンス機関が担保の代わりとなる商品のない事業に貸し付けない話や女性にプロジェクトを担わせる方が成功率が高いことなど、活動のいろいろなヒントがあります。

そして、「啓蒙は募金活動と同じくらい重要だ。複雑な水問題のあらゆる側面を知ってほしい。」
問題があることを広く知らしめること・・効果は見えにくいですが、まずはそこが大切。そしてそれを担えるのは、彼のような有名人。でもそれだけか?皆さんに伝える方法を考える。これもかなり力を入れるところですね。

2011年10月10日 (月)

ICTと柔軟な発想・視点が未来を明るくする

私たちは、いまあるものの価値を見極めらるかどうかで、いまあるものをうまく使えるかどうかで、未来が大きく違ってくるのではないか?
まさにいまその転換点にいる!と感じる経験を本日しっかりさせていただきました。

「ICT教育の未来を考える佐賀セミナー」に行ってきました。
数日前に師と仰ぐ方(私が勝手に仰いでいてたぶん迷惑だと思いますので名前は伏せて)からこの講座を御紹介いただきました。

もちろん師が行けというから行くというような律儀なところは持ち合わせておりませんので、決める前にキチンと内容を見てみました。

まず、メインの講演が「IT社会が変える障がいと教育」となっていまして、私がいま障害に関する問題にほとんど知識のない段階ですので、この講演会が障害について考えるものであるなら、いまは聞いても自分に残らないのではと感じました。

しかし、講師が東京大学先端科学技術研究センターの教授とあって、東大の先生がICT教育についてどのようにお話になるのか、また障がいと教育というテーマではありますが、もっと広い話が聞けるのではないかと感じて参加することにいたしました。

午後3時までの講演会でしたが、午前中だけ参加させていただいて、それでも、その東大先端科学技術センター 中邑賢龍教授の30分強の講演に目からウロコでした(あなたはいつもこの表現を使うが、目に何枚ウロコが張り付いているんですか?・・と言うことなかれ)。

障害の知識がないと書きましたが、常日頃から障害ってなんだろうと疑問に思っていました。

何かができないこと?

私たちは飛べません・・飛べる鳥たちからみれば私たちはみな障害があります。

では標準的な人ができることができないこと?

でも標準ってなんなのか?

私はメガネやコンタクトレンズがなければ本も読めないし、歩くのに不便を感じます。
運動不足と余分なお肉のせいで、階段の上り降りもきつい。

でも障害を持っているとは普段考えていない。

障害者と障害を持たない者を分けているのは何なのか?

先生はまずこのことを指摘されました。そして私たちはハイブリディアンであるとも・・
ハイブリディアンとは携帯やパソコンを自分の能力の一部として使っているということかな。
先生は例の一つで家族全員の携帯電話の番号を暗記している人は少なく、知っているといいつつ自分の携帯で番号を見る話をされました。
私たちは脳に記憶しておかなくても携帯電話に記録しているので大丈夫と考えています。つまり機械に依存しています。

それは障害のある方が車いすを使ったり、補聴器を使ったりすることと何の違いがあるのか?
そこからICT(情報通信技術)を使って障害を代替するという話に移っていくのですが、

障害の分類がICIDHからICFに変わっていることや
医学的に機能を少しでも回復させていくことよりも障害を代替する技術を使って、その人の持つ他の能力を活かしていく、引き出していくという考え方など、初めて聞くことばかりで、
それが自分だけの勉強不足かもしれないけれど、もし多数の人が知らないことであるなら、もっと皆さんと共有したい話だなと思いました。

見方をちょっと変えれば、マイナスと思っていたことが、決してマイナスではないこと。

今回はICTでしたが、いままで人が生み出してきた技術が、発想次第でいろんな事に活かせること。
いま必要なのは、技術の高度化よりも(もちろん高度化も必要でしょうが)、それをどう使うか。

固定観念にとらわれない使い方を考えていくことが、これからもっと私たちの可能性を拡げていく。
柔軟で専門域にこだわらない発想。
既存の価値観を疑って、1人ではなくいろんな人と情報交換をしていく。
あえて自分の専門から遠い分野の人の話を聞いてみる。

ひょっとしてそんなことから思いもしない新しいことが生まれる、そんなことを考えさせていただいた講演でした。

さらにICTについて考えると、さまざまな技術の中で比較的お金がかからずいろいろな試行ができる分野で、専門外の者にも身近な分野になっていて、人に役立つ技術としてさらに急速に発展するのではないかと感じました。

強引かもしれませんが、

NAKAKIRA(ナカキラ)もソーシャルメディアというものを使って・・と考えています。

計画の事業スキームを創りあげて行くことも大事ですが、せっかくITを活用するのであれば、準備を進めて行くうちに見つけた新しいアイディアをどんどん取り入れて、それがどういう効果を出すのかを見て行きたい。

新しい試みを躊躇することなくやってみてもいいのではないかと感じました。

2011年10月 7日 (金)

クーリエ・ジャポン11月号 「世界を「もっと良くする」仕事」

11月のクーリエ・ジャポンの特集は「社会の“大問題”をビジネスで解決!世界を「もっと良くする」仕事」です。

クーリエ・ジャポン・・まず残念だなあっと思うことから。

紙質がいまいち。表紙が堅いんですよね。中もちょっと集めで読みにくいし、持ち運びにくい。
気になる記事があって買おうかなと思う時も手にとってがっつりした質感を感じるとやっぱり止めとこになってしまいます。

改善されないかなあ・・

さて、最近刊の11月号の特集は「世界を「もっと良くする」仕事」

特集の扉にある「東日本大震災を機に、価値観が変わった人は多いだろう。」とか
「世界を良くするために働く社会起業家たちの「哲学」や「理念」は、厳しい困難に直面している現在の私たち日本人に、多くのことを教えてくれるはずだ。」なんてところは、余計なお世話だって感じますが、

それはさておき、欧米の方々の社会起業の取り組みについて知ることができて、なかなか面白いと思います。

それにしても社会貢献って言葉を聞くたびに、同じ疑問がわいてきます。

企業が普通に事業活動を行っていることって社会貢献ではないのか?
ボランティアでやることが社会貢献なのか?
戦争とか貧困とか、非常に深刻な状況を解決しようとすることが社会貢献なのか?

もちろん私もいろんなところで、その定義を見ていますが、いまだにどれもしっくりこない。

定義に従って、活動をしている人を「あの人は社会貢献をしている」というのはまだ許せるにしても
「私は社会貢献活動をしている」とか「私は社会貢献活動をしたい」っていうのはちょっと抵抗があります。

私も緊張して「社会貢献活動」をしたいと間違って言ってしまうことがありますが、

正確には「社会活動をしたい」

同じに聞こえますが、社会→地域(範囲は自分で考えられるところかな、世界規模で考えられる人、自治会程度しか考えられない人さまざまだと思います。自分はまだよくわかっていません)の問題を解決する活動という意味で私は使っています。

結局クーリエ・ジャポンの記事に触れていませんが、それはまた今度!!

それから、
クーリエ・ジャポンの記事を見ながら、さまざまな社会貢献(といわれる)事業について、自分が気になるものをいろんなところから拾ってきて、ブログに残してみようかと考えています。

2011年10月 6日 (木)

もう一日経ってしまった

昨日ホームページの打ち合わせをして、もう一日が過ぎてしまいました。
もうすぐ議論の場、ナカキラギカイを皆さまの前にお披露目できそうですから、その前に自分で考えているものに目処をつけておきないのですが、何もせぬまま一日が経ってしまいました。

まずは一番に議論したい人材育成や雇用=働き方について、議論が活発になるように準備。

そしてプロボノ(ビジネスなどで培ったスキルを活かして社会活動をサポート)について整理。

ぼやぼやできませんよ。。

2011年10月 5日 (水)

ホームページの姿が見えてきた!!

もう昨日になってしまいましたが、ホームページの打ち合わせ、終了です。

おおよその骨格が固まり、これから実際にページを作り込んでいただきます。

どのようなでき上がりになるか楽しみですし、でき上がったら運用ですので、気を引き締めないといけません。

夜道をボチボチ帰りながら、ちょっと乾杯をしたいなんて思っていたんですが、

きっちりした経営者の方なら、一段落したらもうそこは振り返ることなく、次を考えているんじゃないかと想像したりして、休みたがっている自分は、つくづくつまらない奴だなあ、根っから怠け者だ~と寂しい気持ちに・・

そうは言ってももう半年を軽く超えて続いている作業の一つのヤマが見えてきて、ここまで一緒に歩いてくれている皆さんにとても感謝してます。

ホームページが完成したら、一緒にやっている皆さんだけでなく、使ってくださる方(こちらが優先されますね)が喜んでくださるようなものを提供したい、是非するつもりです。

また次の勉強が始まります。

2011年10月 2日 (日)

ソーシャルメディアに求めるもの=「情報交換」と「関係構築」~「ソーシャルメディア進化論」武田隆著より

「ソーシャルメディア進化論」を読み始め、感動して2日目。
NAKAKIRAの教科書になりつつあります。

ソーシャルメディアを使って何かをやりたいと思った時に、どうすればそこが活性化するのかというのは誰でも気になるところですが、武田さんがエイベック研究所で行った調査で整理されています。

(以下「」は本から引用させてもらってます。)
「ソーシャルメディアは、場に求めるものの違いで、情報交換と関係構築の2つに大別される。情報交換のソーシャルメディアは、大きく有意義な集合知を求め、関係構築のそれでは、小さく親密な思いやり空間を求める。」そうです。

そうすると情報交換を目的とする場合は、合理的であるから、「現実生活でつながる場を情報交換で使おうということは、交友関係そのものに利便性や有効性を求めることになる。」

そうするとネット内で情報交換を目的に集まってきた人たちに現実生活でつながって、つまり交友関係のようなものまで持たせてしまうと・・・。

交友関係という信頼関係のようなものを築いていて、単に利便性や有効性を求める行動を取ることは難しい。

ソーシャルメディアの中で、情報交換を行いながら集まる人たちの関係を構築をすること、両立させるってことはできないってことなのか?

ソーシャルメディア内でいままでは「情報交換」と「関係構築」という使い方があって、それはお互い相反するくらいなものであるということを理解した上で、これを両立させる。

情報交換を行いに来た人は、目的を知った上で交友関係とは違う、NAKAKIRAで言えば、地域の一つの課題を解決するために同じ目的を持った人の関係を築いていく。
そういう関係を作れるような仕組みにしておく。
少なくともべたべたした交友関係を作るところではないことを示しておく必要がある。それからどういう仕掛けが必要か?

難しいけれどきちんと整理しておかないといけないところですね。

こういうところを気付かせてもらえて、この本、「ソーシャルメディア進化論」を教科書と呼ぶ所以です。

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