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2011年11月

2011年11月29日 (火)

福祉の財源 地域で探す~日経新聞夕刊2011年11月29日(火)から

日経新聞に福祉サービスの財源を民間団体が確保する取り組みが紹介されていました。

「高齢者も障害者もだれもが暮らしやすい地域をつくるには、これらの人を支える様々なサービスと、そのための財源が必要になる。」けれども「国や自治体は財政難できめ細かな対応は難しくなる一方」

千葉県鴨川市の取り組みは、高齢者のくらしのちょっとした困りごと、例えば庭の草むしりをしてくれる「なの花サポーター」
これは、社会福祉協議会が中心となってつくった生活応援隊だそうです。サポーターは希望する住民で一定の研修も受けているとのこと。

チケットを買って利用し、そのチケット収入は2分の1がサポーターに渡り、残りが事業の運営費になる仕組み。さらに地域の特産品を使ってジャム作りをして、事業の経費に充てたりもしているそうです。
それから、広島県安芸高田市は市内の商店街と組んだ「お太助サポート帳」サービスを実施する予定。これは商店街の売り上げも狙ったもの。

厚生労働省は、これら地域独自の福祉財源を「第4のポケット」と呼び始めたらしいです。税金、社会保険料、利用者の自己負担に続くものということだそうです。

自分が受けるサービスの費用は自分で賄うが基本だと思います。でも自分で賄うのが難しいかったら、そのサービスの費用を負担するのは・・・その方々がそこに生活することで有形無形の恩恵を地域に与えていることを考えると、その方々の生活の基盤である「地域」が負担するという考え方は、自然だと思います。

地域が知恵を出して財源を捻出する。知恵を出す過程、財源を作る過程が地域を活性化する、元気にするきっかけになるようにも感じます。

2011年11月27日 (日)

立ち上がらない日本の若者

アメリカニューヨークのウォール街のデモなどを見ていて、

若者の職が中高年に奪われている とか
若い方が多い非正規労働者の待遇がとても悪い とか
就活がとても大変 とか

聞いているで、日本若者は行動を起こさないのだろうかと考えていたのですが、

日経ビジネス2011年11月28日号に「立ち上がらない日本の若者」という記事が載っていて、
少しだけですが日本の状況が書いてありました。

早稲田大学や慶応義塾大学など、日本でも抗議活動をされているんですね。(知らなかった・・)
でもやっぱり拡がっていないともあります。

(日本の学生の活動は)社会全体の仕組みを変えるというメッセージが感じられないという大学の先生の厳しいコメントや
日本は諸外国に比べまだ恵まれているという見方もあるという分析も載っていますが、

大学を卒業して企業に就職してというレールを踏み外してまでも
手に入れたいものがないからなのかなあと考えたりしています。

それとも人生どんな生き方も「あり」ってことが想像できないくらい、就社することが当たり前だと考えている・・
大学卒業→就職が正解?
答えはただ一つ。これで小、中、高と進んできましたから・・

でもこれって既に若者に限ったことではないかも。

強力なパワーがなければ社会は変われない?
そうすると日本はもう手遅れでは?

強力なパワー・・集団のパワーがなければ、まだパワーを持っている個人が細々でも活動する。

そして共感を得てフォロワーを増やしていく。(=共感が得られるような活動をしないといけない)

それしかないでしょう!!

2011年11月26日 (土)

同じような感覚の人がいるってことは「いける」ってことではないか?

「働きながら、社会を変える。」慎泰俊著を読みました。
著者は、企業で働きながら、児童養護施設の支援を通じて「子どもの貧困」について考えている組織の代表の方です。

本の中は、児童養護施設そのものの問題を語った部分と仕事をしながら社会貢献をすることについて書かれた部分がありますが、
ナカキラの管理人としては、仕事をしながら社会貢献をすることを肯定的にかつその意義を整理して書いているところがとっても有難かったです。この本をたくさんの人が読んで、同じように仕事を続けつつ、社会貢献もやってやろうという人が増えてくれないかなと思います。

「プロボノ」って言葉が最近良く聞かれるようになりましたが、慎さんは「パートタイムの社会貢献」という言い方をされています。
「パートタイムの活動でも世界は変えられる」という項目もあったりして、パートタイムで活動をしてもらうってことは、ナカキラでもやりたいと思っていたことで、同じように考える人、というより本をかけるくらいもう十分に活動をされている先駆者がいるってことは、私の感覚も案外間違っていないのではないかってちょっと嬉しくなってます。

いつも書いているように社会の問題、地域の問題を専門家(政治家や国・自治体など)に全面的にお願いできる時代は終わったと思います。
でも社会や地域の問題に専門家でもない者がどっぷりつかるのも無理。
それならみんながそれぞれ自分ができることをパートタイムで担っていく。

それってきっとできますよね。

2011年11月19日 (土)

本業と別に社会に関わることを勧めたい

私の組織では、来年度つまり来年4月の人事異動に向けて、各自の希望を尋ねる人事ヒヤリングなるものが始まりました。
今ごろからもう? 大きな組織だからなのか、丁寧なのか・・今ごろから始める理由はわかりませんが・・
その中で上司から、私が穏やかになったと言われました??
2年ほど前は自分が納得できないとどんどん意見を言っていたが、最近はそれがなくなったと。

自分でもそれは感じております。

どんなに自分の意見を主張してもわからない人にはわからないと諦めの気持ちがないこともないのですが、
それ以上に相手の考えが自分とは違う方法で出てきていて、そこを理解してお互い納得できるような「落としどころ」を見つけていくことが大事だなとか、
相手の方が言う方法でやってもらってみて、でも私の意見にも一理あったでしょうと言えるよう少し待ってみるとか、
もちろん私の意見が間違えていることも結構多いかもとちょっと自分を見る余裕も出てきました。

自分がそのように変わってきたのは、ナカキラを始めたからかなと考えています。

自分が率先してしないといけないことができていない・・いままで他人のせいだけにしていたのではないか?

絶対妥協できないところがあって、それを通すためにはどんなことでも試してみたい・・正面から正論を伝えるのではなく、いろいろな方法を試してみる。

ナカキラは本業と関連があると思っているのですが、本業でなかなかやらせてもらえなかったことが、ナカキラでは自分さえ気持ちを決めればできるようになる・・精神安定剤的なものかな

ナカキラで経験したことが本業にも活かせる。これは逆に本業が逆にナカキラにも活かせるってことも。

正式にはまだ始まったとはいえないナカキラですが、その中でもいろいろ考えることがあり、自分にプラスになったことがたくさんあります。

何か本業とは違うことをやってみて、そこで得たものが自分を変えて、そしてそれで本業にもいい効果を生む。これは私に限ったことではないだろうと思っています。

ですから、自分に良い結果が返ってくるという意味からも、皆さんに本業以外に、直接社会の役に立つものに関わって見ることをお勧めしたいと思います。

(くどいですが)ナカキラはまだまだ社会のお役に立つというところに届きそうにありませんが・・

2011年11月16日 (水)

実家の両親が気になる・・

最近やっとこの季節らしい気候になり、自販機の暖かドリンクが気になったりしています。

自販機を見るとすごくたくさんの種類の飲み物が並んでいて、特にコーヒーなんか、缶コーヒーでそこまでこだわる必要があるのかとか、
これを開発するためにすごくエネルギーが使われているんだろうなとか考えてしまいます。

さて、私、両親と離れて暮らしていますが、母親が2週間ほど入院をする事態に・・
幸い手術もうまくいって、順調にいけば予定どおり退院ですが、心配するのは、父親。

いわゆる後期高齢者の両親、引退後ほとんど二人の生活です。

父親は昔単身赴任も結構長く、家事OKと思っていたんですね。
それで母親入院初日に実家に行ってびっくり・・台所のどこに何があるのかさえわからない・・

昔気質の母親が、「お父さん、なんもせんでよかよ」なんて言って、ほとんど母がすべてをやっていたんでしょうね・・

母よ、こんな事態を想定しておいてくれ!っといまさら叫んでもどうしようもありません。

こんな時、コンビニとか食事の宅配とか、サービスが利用できないかと思うのですが・・
例えば、定期的にお弁当を届けるとか、コンビニでも一部高齢者向けの○○とかニュースなどで聞くのですが・・

なんせ人口の少ない田舎町。思い当たるサービスが・・

全国津々浦々、自販機の飲料は充実していて、宅配便は翌日配送・・

でも離れて住む子どもが、自分がどうしてもいけない時に生活の基本的部分を賄うために利用するサービスが・・

非常時だから子どもは何を置いても行くべきとか、
いろんなサービスができたから人間関係が希薄になったんだとか、
いろいろご意見はありましょうが・・

一部では、過剰とも言えるサービスメニューが揃っている日本で、本当に基本的なところで「困った・・どうしたらいいんだろう」と思うことがたくさんあるなと感じています。

ところで我が父親、結局は自活(?)と近所付き合いで乗り切るものと思われます。・・問題先送りです。。

そうそう、それから・・少子高齢化のこの世の中、男女性別に関わらず、一人で暮らすことになる可能性が高くなりますんで、一人で生きていけるように、本人もそのつもりで若い頃から準備しておかないといけないし、世のシステムもそう変わっていかないといけないなあと思うところであります。


2011年11月12日 (土)

お金のことを考える~社会貢献をするために

本当の豊かさとは何か~
それは簡単に見つかるものではなく、そして、万民に共通した解はないかもしれません。

もう何回も言っているかもしれませんが、
「豊かさ」は国が示してくれるものでも、みんなと同じようにすればいいものでもなくなったんだなと感じます。
例えば国は貧しくても国民一人ひとり(の気持ち)は豊かだと言われるブータン

日本人は、この国が豊かだという人とそうではないという人に分かれると思います。

国政を預かる人は国全体の幸せを考えるし、個人のくらしを考えると個人が豊かに暮らすために、個人の家計が豊かであればいいと考える人と個人が豊かであるために地域も国も豊かであるべきと考える人もあると思います。
その「豊か」という言葉でも、経済的な豊かさなのか、そうではないもの例えば自然の豊かさとか人の心の豊かさとか、個人によって意味が違うと思います。

それでも日本人が日々暮らしていく上でお金の問題は避けて通れない。
日本人は、お金の話をすることを下品なことと考えているとはよく言われることですが、

社会貢献をする際に、自分あるいはほかの人がいくらあったら生きていけるかというのは
是非きちんと把握しておきたいなと思います。

自分のための収入を稼ぐ時間、自分はいくらで生きていけて、そのためにどのくらい時間を使うかを決めた上で、それ以外を社会貢献に充てる。

自分には理想があってそのためには自分がどんな生活をしても・・は美談ではありましょうが、
やがて自分も年をとり動けなくなります。気持ちだけで一生が送れるはずがない。

社会貢献のつもりが周りの人に迷惑になってしまう。
だから社会貢献を考える人ほど、お金、特に自分の生活費にシビアになるべきと考えます。

そんなことしていたら、自分は社会貢献ができない。
・・そんな人は自分が生きることだけを考えていればいい。自分のことを自分で面倒見る。
最低限人さまの手を借りないことが、一番の社会貢献になると思います。

2011年11月11日 (金)

これから求められるモノ

最近、本を読んでも、テレビを見ても、そして道行く人を見ても、これからの日本で皆さんが欲しがるものは、お金で買えないものではないかと感じています。

皆さん、以前ほどお金に関心がなくなったのではないかと思っています。

もちろんそこそこあった方がいいと思っているだろうし、ガツガツ欲しがっている人たちもかなりの数、いるとは思うのですが・・

鍛えた肉体とか人とは違う能力とか、お金を出してもすぐには手にはいらないモノ。もっと言えば人を助けるとか、自分の存在意義を感じられるモノ。

そんなものに魅かれていくんじゃないかと感じています。

高度成長からバブル期まで物が求められた時代、その後からいままでのどちらかといえば物よりもサービス、それも自分に対するサービスが求められた時代、そしてこれからお金を出してでも自分が何かを誰かあるいは何かに対してしてあげることを求める時代・・自分の生きる意味づけをしてくれるモノやコトを欲しがる人が増える・・ような気がしています。

ナカキラについて、困った人、つまり何かをしてもらいたい人が必要なモノ・サービスを提供することを主眼に活動をしたいと考えていますが、ひょっとすると何か人さまの役に立つことをしたい人にその場を提供することの方に力をいれるべきではないかと考えています。

2011年11月 6日 (日)

企業による寄付文化の可能性~日経新聞2011年11月4日特集から

11月4日金曜日の日経新聞で「新しい日本へ」という約5面の特集記事が組まれています。
東日本大震災からの復興、これを機にした日本の再生についての特集です。

「強い経済」「省エネ・節電」「新しい街づくり」「社会的責任」の4つに分けて記事が書かれていますが、ナカキラ管理人はやはり「社会的責任」のところにまず目が行きました。

企業からの派遣や学生さんたちのボランティア活動が被災地の復興を支えているという記事は、記事の中にもありましたが、阪神・淡路大震災以降、ボランティアが日本に浸透してきたことを感じさせます。

それぞれの組織が派遣あるいは支援を決定するまでの過程も今後の社会貢献の在り方に参考になるかもしれないなどと考えながら記事を読みました。

そんな中で誌面の左上に別枠を取って紹介されていたヤマトホールディングスの「仮設魚市場の費用寄付」の記事の結びは、「今回の大震災を節目に、『企業による寄付文化が生まれる可能性がある』と予感している。」となっており、本当にそうなってくれたらと思います。

記事には、ホールディングス内の公益財団法人、ヤマト福祉財団が仮設魚市場の建設費用の4割、約8千万円を拠出したことについて書かれています。

その際に透明性を確保するために支援先の決定を財団内の第三者委員会に委ねたこと
宅急便が被災地の生活を支えているという実感から、復興に向けた支援は中途半端な額ではなく100億円を目安にしたこと
顔が見えることにこだわり、グループの福祉財団を通じて自ら支援先を決めることにしたこと
直接自治体への寄付ではなく財団への寄付であったために非課税とならず、寄付金の大半が税金の支払いに消えたこと(ヤマトは大企業なので財務省と掛け合って無税化を認めさせていますが・・)
日本赤十字などを通じると事務処理に手間取って支援が遅れること、自ら出したお金の使い道がわかりにくいこと

など、寄付についていくつかの問題点が記載されて「寄付」という制度を考える上で参考になります。

このなかで寄付を受ける側からも検討すべきこととして、

寄付の使い道の決定について、透明性が確保された方法で行うこと
寄付されたそれぞれのお金がどのように使われたかが見えるようにしておくこと
税金の問題について、もし出す側があまり詳しくなければ受ける側がきちんと説明すること

があると考えています。

お金の問題は皆さんシビアに考えますから、わかりやすい仕組みを作ることが大事ですね。
阪神・淡路で「ボランティア」が定着したように、今回の震災が「寄付」について考える機会になることを望んでいます。

2011年11月 5日 (土)

心の平安を保つためにも仕事以外に社会に役立つことを・・

最近、自分の周りで仕事で心を壊す事例が増えています。
労働相談を受けていても、はっきり「(心の)具合が悪い」と言う方、ご自身では気付いてなくてもお話を聞いていてこの方そうではないかと思う方が増えています。

ある本を読んでいて大企業では「空気を読む力」と「我慢する力」が強い人が出世するとありました。(出典「自分のアタマで考えよう」著者ちきりん、ダイヤモンド社)

組織の暗黙のルールを読みとり、理不尽なことにもじっと我慢する。
そんな人が重宝されるんでしょう。
大企業に限らず、日本の組織すべてがそんなふうになっているんじゃないかと感じます。

そんな現状とは裏腹に世間、マスコミではおかしいことをおかしいと言える人をもてはやす(まあ当たり前ですが)風潮があって・・

そうすると現状と理想、自分の想いと組織運営のギャップが許せないものになって、次第に我慢の限界を超えてしまう。

矛盾を軽く受け流せる人は大丈夫だけれど、真面目な人ほど矛盾に潰されてしまう。

これだけ心の病が増えているのは、そんなことも原因にあるんではないかと考えています。

そうであるなら、我慢しない場所を他に作ってはどうか?
自分が理想とすること、本当はしたいことを仕事以外の時間を使って実現する。

社会活動をして本来自分がやりたかったことを実現することで、矛盾を少しでも解消する。
仕事はあくまで生活の糧を得る手段と「とりあえず」は割り切って、本来の自分を別のところで発揮する。

社会があまりにも高度に発展して、複雑に制度が入り組んでしまい、既存のルールや組織が既得権益に守られ、なかなか変更できなくなっているのが、いまの日本の状況では?

それなら、大きなものに立ち向かうという正攻法ではなくて、できることからやっていく。
それが自分の想いにも叶う。
自分の仕事と社会活動を分けて割り切って考えるとはいいましたが、小さな社会活動を取り組む人が増えたら、それは既存のモノを変える力にもなると信じています。

心折れている人はそこまで考えなくても、まずは自分の気のすむ活動をしてみる。

社会に役立つ仕事を自分のために始めてみる。

そんな始まりがあってもいいと考えています。

2011年11月 3日 (木)

そろそろ生活の見直し?

ギリシャの財政危機とか、タイの水害とか、世界経済あるいは日本経済の先行きを暗くするニュースばかりが続いていて、この先どうなるのだろうと考えずにはいられませんですね。

そうは言っても食べるものも満足にない地域に比べると日本はなんて恵まれているんだろうとも思います。

でも幸せを感じない・・お金を稼げば稼ぐほど、欲しいものができて、贅沢な暮しをしたくなって、例えばそれが家のローンであったり、次々に新製品が出る情報機器への出費だったり・・それでまたお金が必要になって・・・

地球環境が悪化する中で、欲しいものをどんどん買っていいのか?
あくせく働いて手に入れるものが本当に必要なものなのか?

そろそろ自分たちの働き方について、いままで当たり前としてやってきたことをこれからも続けていくのか一人ひとりが、考えないといけないのではと思っています。

でも働いてお金を稼がないと生活できません。
それはそうだと思います。しかし、生活するためにいくらが必要?

自分たちの生活で最低いくら必要なのか?
適当な収入があってもお金が残らないのはおかしくないか?

今日、一週間、一か月、一年、一生、自分はいくらお金が必要なのか?

それを把握して、それに見合う収入を得られるだけ働く。
そのほかの時間は、自分がやりたいことをする。

そんな生き方だっていいと思います。

国の経済力の話ばかりが取り上げられていますが、経済成長をするために個人の生活を犠牲にして働くことを求められます。
しかし、私たちが働くのは自分の生活を豊かにしたいからでは?
国が成長すると個人の生活が豊かになる。成長することで個人の生活を豊かにすることを目指すのが本来の姿であるはずなのに、個人の生活を犠牲にして国の成長を実現しようとしているのでは?

個人の生き方は本来どうあるべきか?

先行きの見えなくなっている今、ゆっくり考えてもいいのではないでしょうか?

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