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2012年1月29日 (日)

「平成不況の本質」大瀧雅之著

経済理論的な本論はさておき、終章 いま何が、もとめられているかを読みつつ、ずっと疑問に思っていたことを改めて考えました。

私たちは未だ残っている狩猟を中心とした生活と自分たちの生活を比較し、自分たちの生活が進んだ生活のように評価していますが、果たしてそうなのか?

食べれるものを自然から手に入れて、家族、場合によっては集落でそれを分けて家族一緒にそれを食べる生活と
電気が止まれば高層階の自分の家に帰るのにも困る生活やそんな家を買うための高い所得を得るために小さいうちから勉強だけの生活。

どちらがより人間らしいのか?

いまの生活が正しいかどうかも考えず、日々を送る。

いまの生活、いまの価値観・・etc. 

生きること、生活することについて、いま、みんなが、じっくり考えたいと思い始めているんじゃないかな~

あとがきの最初を引用します。

「人は独りでも生きられると信じている人たちが増えている。これほどまでに社会的分業が進んでいてもそう感ずるのだから驚きである。しかし省みれば、社会的分業が当然となってしまい、自分が逆に生かされていることに気付いていないのかもしれない。本書ではそうした「真空化」した現在の日本社会のありようを、批判的に考察した。
・・・目には見えないもの、あるいはみなで守らなくてはならないものも、壊すことで、儲かるなら、それは「効率的」だというのが、この10年の日本である。・・・」

書いてあることは当たり前と言えば当たり前なんですが、ちょっと衝撃を受けた本でした。

社会に役に立ちたいと思った時に、困っている人が望むことを望むままにやみくもにするのではなく、ちょっと立ち止まって本当は何をすべきなのかを考えるとか・・
この本の感想としては飛躍し過ぎかもしれませんが、自分が生きること、活動することの原点を考えるのも大事かななんて思っています。

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