« なぜ「エリート」にこだわる? エリートではない働き方 | トップページ | 「第3の教育-突き抜けた才能は、ここから生まれる」炭谷俊樹著 »

2012年4月 7日 (土)

「さらば、GDP 検証 脱・成長論」週刊東洋経済2012.4.7号

こんにちは、ナカキラ(NAKAKIRA)管理人です。今日は雑誌を読んで感じたことを書いてみます。

経済成長よりも心豊かに生きる社会を目指すということが言われていて、長年成長、成長と言われ続けて、それがよいと考えてきた者には、「そうかな?」という想いが・・

戦後日本が経済成長を遂げてインフラを整備して、稼げる産業を作ってきたから、今の豊かな生活があります。

バブルがはじけて20年以上たって、成長の時代を知る人が減ってきました。
というのは確かにそうだろうけれど、蛇口をひねればお湯が出て、電化製品が一通りあってという生活は、経済を成長させてきて、実現したもの。

心の豊かさをという人たちが、果たして浴槽にお水を張って石炭あるいは薪でお湯を沸かしてやっとお風呂に入る生活とか、そもそも近くに川に水汲みに行かないといけない生活をするなんてことを想像しているかどうか。。

極端過ぎるけれど、今日本の中で心豊かという時に想定しているのは、いまと同程度の生活レベル、あるいは少しだけ不便を我慢する生活レベルなんじゃないかと思っています。

これ以上稼がなくていいじゃない、もっと身の回りのことを大事にしようよ。。くらいかな。
身の周りに欲しいものがなくなって・・なんてことをいうけれど、その欲しいものって例えば車であったり、テレビであったり・・
食糧や洗剤、毎日着る服等などの生活必需品のことではありません。

経済活動に力を入れなくなったら、お金はなくなるわけで、どれくらいの生活レベルになるかはわからないけれど、心が豊かになる代わりに、物やサービスを「我慢する」ってことも考えておかないといけない。

そこまで考えている人は多くないかも。。

そうはいいながら、同じ労働でも、家事サービスだとGDPに貢献して、家庭の主婦がやったらGDPノーカウント。

物が売れたら経済が動いたということになって、物を大切にせずにどんどん買った方がGDPに貢献する。そのGDPが増えたら、経済が成長していて、豊かになっている。っていうのも変な感じ。

限りある地球資源、GDPを大きくするために、いつまでも無駄遣いをしていいの? というのも確か。

結局はバランス。

経済を成長させるという掛け声の下、自分の時間を犠牲にし、そのために家族や地域のことも構ってこなかった。「それっておかしいよね」と思った人が、社会貢献をしたいと思って、自分の生活はまあボチボチ食べれる程度を維持しながら、経済成長を達成する中で切り捨てられてきたモノ、人のために活動する。

そして、自分の能力を発揮して、いまの一般的な価値基準=「経済活動に貢献」したいっていうギラギラした人は、そちらで大いに貢献して、日本を経済的に支えてもらう。

な~にも考えていない人は今までどおりの生活をして、徐々に変わっていく社会にちょっとだけ翻弄されながら、それでも順応していく。経済にまあ貢献して、家庭や地域にもそれなりに貢献して・・

そういう日本になるのかなあって、これからの日本の姿が私みたいな普通の人にも見え始めてきたような・・

« なぜ「エリート」にこだわる? エリートではない働き方 | トップページ | 「第3の教育-突き抜けた才能は、ここから生まれる」炭谷俊樹著 »

備忘、メモ(考えたこと、感じたこと)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1460910/44786964

この記事へのトラックバック一覧です: 「さらば、GDP 検証 脱・成長論」週刊東洋経済2012.4.7号 :

« なぜ「エリート」にこだわる? エリートではない働き方 | トップページ | 「第3の教育-突き抜けた才能は、ここから生まれる」炭谷俊樹著 »