« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »

2012年7月

2012年7月29日 (日)

情報の重要性~「報道の脳死」を読んで

烏賀陽弘道氏の「報道の脳死」を読んで、新聞やテレビを通じ、私たちに提供される情報が非常に偏ったものになっているのではないかと感じていたものが、やっぱりそうなんだなとわかりました。
この本を鵜呑みにするわけではないですが、東日本大震災の復興の情報が九州にいる自分たちのところに伝わってこないとか日頃官制の情報が多いんじゃないかとかいう感覚はこの本の中に書かれていることにつながるような気がします。

この本を読んで私たちの「知る権利」がかなり脅かされているのではないかとハッとしました。

「知る権利」は守らなければならない・・報道機関にしっかりしてもらうことも期待しつつ、自分たちが手に入れたインターネットという手段などを活用し、自分たちなりに情報を手に入れていかないといけないと大変なことになるのではないかと感じています。

既存の報道機関が持っている資金力や装備、深く調査を行う時間や鋭い視点を持った記者の方々、真実や価値ある情報に辿りつくためには、気概を持って情報を収集し発信する報道機関の存在は欠かせないし、素人が報道機関と同じレベルの情報を発信することは無理。

無理だけれどかつて報道機関が担っていたような役割を新しく作っていかなければ、私たちは時の権力者たちの都合の良い情報の中で、何も知らずに過ごすことになりそうです。
私たちが私たち自身の生活を送るために、過去の歴史にあるような悲劇を招かないために、情報を入手するツール、仕組みを構築しないといけないと思います。

著者の記述を引用します。
『・・「民主主義社会にジャーナリズムは不可欠である」という点では「インターネット派」も「既存マスコミ派」も、一致している。
が「インターネット派」が唱えるほど、現実は楽観的ではない。2012年現在、インターネットに、権力と持続的に対峙できるような「仕組み」はまだ見えない。まだそれができるほどの人材とシステムはインターネットメディアにはない。人材を支えるマネタイズ(お金を生み出すこと)の仕組みもない。』

インターネット派側の仕組みはできるか?

現時点ではかなり厳しいようですが・・
できそうもないことをやるのが、いまどき流行りの「イノベーション」だし、お金を稼ぐことよりも社会のために何かをと考えている人たちが増えているいまだったら、やれるんじゃないでしょうか?
逆に自分たちの行動の指針となる情報を入手する仕組みを作ろうとしないんだったら・・もっと言えば、情報収集を軽んじる活動なんて、その先にある行動や実行が果たして意味があるのかどうか・・なんて思うのは過激?

さて、当面自分は何をするか?

自分で情報を探り出す時間もお金も、そして能力もないので、NAKAKIRA(ナカキラ)ホームページやNAKAKIRAのFacebookページに公表されたデータを集積していこうと考えています。

いままでもそのつもりだったけれど、なかなか実行できていない。
情報スカスカ。コツコツ努力が足りないです。

きちんとできたとして、それが何になるの?って言われそうですが、複数の公表されたデータ、何の関連もないと思っていたデータを重ねると真実が見えることもある・・意外とそんなことが本当にあると思っているんです。


2012年7月26日 (木)

行動するって何だろう?

昨年来、活動の仕込みをしているということになっていますが、いつまで仕込みをしているんだろうって感じですよね。
いろいろと情報を仕入れて、単にそれをため込むんではなくて自分なりに考えてという作業をして、それを例えば管理人ブログにアウトプットしているんですが、その際に最近よく書いているのは、「行動」が必要、「行動」しなければ・・ってことです。

じゃ、書いている本人が行動しているかというと「ナカキラ」のホームページもコンセプトがはっきりしないままだし、現実の行動があるかというと・・自分で積極的に出かけて行って具体的な鼓動をしているってことないし、どこか社会活動をしている団体に所属して定期的に活動しているってわけでもないし、九州北部豪雨の被災地にボランティアに行く予定もないし・・

それじゃ、最近ものすごく増えている社会貢献やソーシャルビジネスのセミナーや講座に参加するかというとそれはやはり情報収集の話であって、出かけて行ったとしてもそれで行動しましたとはちょっと違うと思うし・・

結局いま自分にできることは、やはり情報を拾って、それを発信することかなと・・家の中でパソコンに向かって原稿を作っているだけだけど、それで何かが変わると思うほどの原稿はぜんぜん作れていないけれど、いまできることはこれかなと思います。

書き方として管理人の考えを入れた感想文みたいなのを書くより、もっと純粋、客観的な情報を集めて発信する。管理人が一日の大部分の時間を使っている労働の分野で、普通はあまり気付かない情報を発信する。当面この二つに取り組んでみようかなと考えています。

受け取った人が利用できる情報を発信する。当面の「行動」としては、これを目指してみます。

これを「行動している」って言えるようになるためには、たくさんの情報が集まるネットの中で、”気付いてもらう=訪問してもらう”情報を発信するっていうのも大事ですね。

2012年7月25日 (水)

”自国”とか“公益”とか大きな考え方が抜けているんでは?

アメリカの垂直離着陸輸送機の日本国内配備の話があるせいか、防衛に関する話題を頻繁に目にします。

それで自分のぼんやりそのことを考えつつ、日本人が普通に”自国”とか”主権”とか考えないのは、軍隊に関する議論がタブー視されているかなと思ったりします。

評論家の間では盛んに議論されていますが、一般人はあまり話題にしない。例えばみんなで楽しくお酒を飲んでいて、仕事の話はすれど、軍備の話はしない。国際紛争の話だってあんまりしない。
外国の話をするのは旅行や為替・株の話くらい?

第二次大戦、戦後直後を知らない者は、日米安保があって、日本の中にはたくさんの米軍基地があって、武力で国を守るっていうのは日本人があまり考えることではないって発想になっているような気がするんです。

国の発展を考えるときに、経済のこと、国内制度のこと、人材のことなどを考えてきて、対国外のことになるとそれは自分たちで考えられない。アメリカが日本を守っていて、自衛隊が素人にはわからない整理の仕方で守っていて・・なんて発想になって、平和を大切にしている日本人は軍事のことを考えるのは・・と躊躇している。

でも歴史を振り返れば、結局人間の歴史は、あんまり肯定はしたくないけれど、他国を武力で支配してどう自国を発展させるかに終始してきた。
それがいまあからさまに軍事力を使うことはなくなったけれど、抑止力という言い方をして、いざという時のために、軍事力をどのくらい備えるかというのは、”国”がどうあるべきかを考えるときに必ず考えなければならないし、日本人以外は考えているように見えます。
(普通の人がしょっちゅう考えているかどうかは、わからないですが・・)

自国と他国との関係を考える際に防衛の視点からは考えないとすれば、また、そこは日米の高度な政治的判断をする人たちで考えてくださいと思考停止になっているとすれば、”国”がどうあるべきかについて、考えるべきところが不足しているような気持ちになって、結局”国”がどうあるべきかについて考えることそのものを自分を含めた普通の人が止めてしまっているんじゃないかなと思っています。

そしてそれが、国と言えば政府という考え方になって、国は国民のために何かをしてくれるところ的な発想しかできないんじゃないか? 自分たちが国を作っていく当事者であることを忘れているんじゃないか?

かつて植民地だったところが、大きな犠牲を払ってやっと独立して、今後こんな目に遭わないために、自国のことをしっかり自分たちで守っていくって発想をする国民とは全くレベルの異なる”国の在り方感”を身につけてしまっているんだろうなと考えています。

それが結局は公的な活動をする際も、自分たちが活動することで国あるいは地方がどう変わるかという視点をもつ組織よりも、自組織の活動目的に固執して他組織との連携とか自組織活動の地域的な影響なんてそっちのけの活動とか、社会を良くしたいといいつつ自己実現、生きがいづくり的な活動になってしまうのかなと考えています。

ところで・・対他国を考える際に、軍備のことを考えないとすれば、いかに情報を握って、あるいは人的な関係を築いて自国を守っていくかという視点もあるだろうと思うのですが、日本はそれも弱いようですね。。

さらに・・・
日本人が海外に目を向けていないっていうのも、言葉の問題よりも、日常的に海外のことを考える習慣がないからじゃないかなって思ったりします。

ついでに・・
なぜ国を守るために命をかけなければならないのか、死んでしまえば何もかもおしまいなのになぜ命をかけるのか、国って何なのか・・等、できれば武力行使とか戦争とかがなくなって欲しいと思っていますから、もっともっと本質的なところについて、『なぜ?』が深まります。


そうそう・・これは、中国で活躍されている加藤嘉一氏の「いま中国人は何を考えているのか」を読みながら、同じ日本人でも中国で暮らしている方の発想って違うなと感じて、ちょっと考えたことです。

2012年7月18日 (水)

「社会貢献と自立」

村上龍氏の「無趣味のすすめ」という文庫本を読みました。いろいろ参考になるところがあって、いろんなことを考える際のきっかけとしてこの本を使ってみようかと考えています。これから時々ブログに取り上げるでしょう、たぶん。

さて早速、この本の中に「社会貢献と自立」というテーマがありまして、日頃自分が思っていることが書かれていたんで、メモをして記録しておきます。

「「誰かに何かをしてあげたい、だれかに何かをしてあげることができる存在になりたいという思いが、どれだけ普遍的で、切実なものかをこれから日本人は思い知るようになると思う」
『希望の国のエクソダス』という小説の中でそう書いたのは10年(いつかわかりませんが、2002年より少し前でしょう:管理人注)ほど前だ。
その当時に比べると、社会貢献への関心や興味は明らかに増えている。社会貢献を柱とする会社やNPOは増加しているし、地震などの被災地へ赴くボランティアの人々も増えているようだ。社会貢献はむずかしいことではない。その気になれば、個人でも、企業や組織でも、いつでもどこでも「社会」に「貢献」できる。」
村上氏は社会貢献に否定的かなと思っていたんですが、積極的な評価ですね。・・・ただし条件がつきますが。。

「ただし、一つ条件があるのではないかと思う。」
「社会に貢献する主体は「自立」していなければいけない。個人の場合は、一人で生きていける経済力がなければいけないし、企業は利益を出していなければいけない。どんな人でも、社会に役立つことはできる。公園で寝起きするホームレスでも、ゴミを拾ったり花壇の雑草を取ったりベンチを掃除したりできる。だが、公園を掃除するより、仕事を見つけて社会に復帰するほうが社会にとっては価値が大きい。」

「金銭的利益以外の価値観を持ち、社会貢献につながる仕事がしたいという人は年齢に関係なく増えていて、繰り返すが、それはもちろん良いことだ。だが、金銭的利益以外の価値観を持つためには、金銭的利益がなければならない。」

「社会貢献がしたい個人や企業は、まず自立しなければならない。被災地へ支援活動に赴くニートは一見美しいが、実際は仕事を得て税金を払うほうが社会により貢献できる。」


引用部分が長くなってしまいましたが、営利企業が儲けを出して税金を納めることも社会貢献だと思うし、その企業が作るものが人々の生活を支えていて、それも社会貢献だと思います。

社会貢献をしたいからと自分と家族を養うだけの収入がなくて、やみくもに取り組むんだったら、人を助ける前に自分の面倒をみたら・・かっこいいことだけやろうとしないでよっと思います。
いくら志が高くても世の中お金がないと何もできないから、それをどう集めるか、事業が持続していくためのお金の算段がなければ何やってるんだって思います。

さらに言ってしまえば、NPOさんにやってもらった方が人件費などが抑えられるからって、いままで公がやってきたことを代替してもらおうとして、志だけが高くて経営スキルがまったくない組織に税金を投入してどうにかしようなんて国や自治体が考えているんじゃないかと危惧します。

自己満足のために社会貢献事業を始めて、結局は自分さえ面倒見切れないって状態にならないよう、自立だけはしておきたいたいと肝に銘じるところです。

ホント、この項目、村上氏の意見に全面的に賛成です。


2012年7月14日 (土)

誇りを取り戻した地域

最近、メディアによく登場される梅原真さんの「ニッポンの風景をつくりなおせ 一次産業×デザイン=風景」を読んでいる・・というより眺めています。
梅原さんが手がけた地域の商品を写真と文章で紹介した本です。

地域の産品のパッケージデザイン、それからコンセプトそのものを考えて、売れる商品にしていく。

梅原さんの仕事もすごいですが、自分たちの周りに当たり前のようにあるものが価値を生み出すことに気がつくことで地域が誇りを取り戻しているんだなあと感じます。

かつては、みんなが都会に出ることにあこがれていたけれど、マスメディアやインターネットが発達して、都会と地方の情報格差がほとんどなくなってきて、日本の中だけでなく世界に目を向けるようになって、住みたい地域は世界中にあって、それなら自分が生まれた地域を拠点にして活動してもいい。若い方の中には住みやすい地域を拠点にしようと都会から地方に移り住む人も増えているそうですね。

何にもないところだと思っていたのに、実はそれはそう思う人に見えていなかっただけ。

自分が生まれた所をしっかり見れば、違ったものが見えてくるんですね。

でもそのためには、自分がよそに行って新しい視点を身につけてくるとか、梅原さんのように人が外から入ってきて良さを見つけてくれるとか、きっかけが必要かもしれません。

では、きっかけづくりを・・なんて言わなくていいくらい、もう既に、みんながおらが故郷を見直しているようですが。。。

Photo


2012年7月13日 (金)

「今どきの産業スパイ」日経ビジネス2012.7.9号特集

日本でちゃんと処遇されない技術者、研究者が中国、韓国、台湾の企業に引き抜かれる。
そしてその人たちから日本の技術が漏れてしまう。

日本の企業から評価されず、悶々としていた人が数段いい条件を提示されれば、それがどこの国の企業であろうと個人の生活のことだけを考えれば誘いに応じてしまう。
日本人としてけしからんなんて言ってもそれだけ価値あるものをきちんと処遇しなかった日本の企業が悪い。
当然かなと思ってしまいます。

でも国というレベルで考えると非常に大きな損失。移転した技術もそうだけれど、他国に出て行ってしまった人材がもっとおしい。

じゃ個人が常に日本人であることを意識し、そのことで海外の企業に就職するせっかくの機会を諦めないといけないのか?

それはおかしい。。

個人は個人として各自の生活の充実を求めればいい。

常に国家を意識しておくのは、国の政治・行政にいる人たち、社会的に影響のある企業の経営陣など限られた人。

その人たちが自分個人はさておき、国家としてどのような道を歩むか、結果例えば技術流失にはどう対応すべきかを考える。
「私」の幸せと「国家」の幸せというか求めるものは違う。

政治家や企業トップの人たちは、個人を超えて国家の将来を考える。個人と国家の利害が違うこともあるだろうけれど、国のことを考えるとなったら、一個人ではなく国家を背負って国のことを考える。

個人と国の目指すものは違うから・・

国の目指すべきことを考えるのは誰なのか?

本来考えるべき人たちがほとんど考えていないですよね。。。

次期選挙の自分の議席を守るだけの行動にしかみえない最近の政治のドタバタを見るにつけ、かつて外国の脅威に日本を守るために懸命に日本の体制を整えた人たち、公益を優先して生きた人たちがたくさんいる国なのに、どうして自分のことしか考えられない人たちばかりが表舞台に立つ国になったんだろうって思います。

産業スパイとはずれてしまいましたが、「国のために」って考え行動する人がたくさん出てくる社会にしないといけないですね。

草の根の活動が国の方向性を決めるような影響力を持つのは難しいから、将来、国を動かす人を育てる活動に取り組む必要があると思います。

前にも同じようなことを書いたようですが、あらためて思います。。。


2012年7月 9日 (月)

夢を語っているモノに救われる

今日は仕事でがっくりしてしまうことがありました。

私たちの仕事もそれなりのスキルが求められる仕事なのですが、スキルアップの話をしていて・・こういうときはいわゆるベテランさんが話をリードします。

それで、どうも高度なスキルアップの勉強会をするみたい。

まあそれはそれで必要なんでしょうが、「私たちが本来目指すべきことを考えて、その勉強会をどれくらい深く追求するものにするか、もっと優先されることもあることと理解しつつ時間を使いたい。」見たいな発言をしたら、そのベテランの方からすごく反発をされてしまって・・

でも高度なことを求められる難しい案件って件数が少ないので、高度なことをやってもそれを使う機会は少ない。それなら、事務所のみんな初心者から中級、上級者までそれぞれ違うレベルがいて、お客様が初心者に当たって満足しなかったという話にならないように、できるだけ遅れている人のレベルを上げて平均化する方が大事のような気がしたんです。。

まあここからは自分の心が狭い所でして、
その方自分がやりたいことをこの機に乗じてやる気では?とか、
結局自分のスキルアップのためじゃない?
と疑ってしまって・・
どうして本当に大切なことがわからないんだろう? 何を目指して仕事やっているんだろうって悲しくなって、がっかりしてしまって・・・

モチベーション大幅ダウン

でも気持ち切り換えようと帰りの電車の中では、無理やり本を開いて読み始めると。。

読み始めたのは「武器としての交渉思考」。
「武器としての決断思考」や「僕は君たちに武器を配りたい」の瀧本哲史さんの最新刊。
基本、20代、30代の若者に書いた本ですが、表紙オビに「交渉によって仲間と手を組み革命を起こせ!」なんて書いてあるとおり、若者が世の中を動かすために交渉が必要だよって本。

大切なのは「ロマン」と「ソロバン」なんて章から始まっていて、”若者たちよ!あんたらがその気になれば世の中動くよ!!”って終始語っているようで、自分はそんな若者を沿道で旗を振って応援することになるかななんて思っている世代もすごくポジティブになります。

単なる活字の世界かもしれないけれど、自分の周りはホントがっかりすることばかりの中で、同じように若者にあなたたちががんばればなんでもできるよみたいな本がたくさん出てきていて、ひょっとしたら世の中いままでとは違う、いい方向に動いているんじゃないか?
いままでおかしいよねっと思っていた人たちが主役になれるんじゃないかと元気になれます。

自分がそうだから周りの人も同じと考えるのは「あなたのように単細胞じゃないよ」とお叱りを受けるかもしれないけれど、がっかりする現実に折れそうになったら、思いっきりポジティブな本、壮大に今後を語る本を読んで、おかしいことをおかしいと言ってそれを少しでも変えようとしている自分って間違っていない!!って思いましょう!

2012年7月 8日 (日)

2012年上期_ナカキラ日記

地域に関わる仕事をしているから、仕事とは別に地域に貢献できることをしてみたいと考えて、ナカキラ(初めは名前もなかったし、いまでも名前はあってないような状態)というものを始めました。

しかし、がんばり屋というわけではないので、仕事をしてからまた他に何か打ち込むというのはなかなか難しい。

立ち上げ前は、話を聞いてくれそうな方に無理やりお願いして話を聞いてもらって・・すごい駄目出しも多くてめげそうだったけれど、それでもやろうという気持ちは揺らがなかった。。
参考になりそうな講演を仕事が終わってから、多い時は週1、2回聞いたりしていたけれど・・

いま考えるとどっちもすごいな~と我ながら思います。いまはその元気ありませんね。

ここ半年以上、一緒にやってくださいと協力をお願いした方々とも会っていないです。
このまま会うきっかけがなくなってしまうのではないかと心配しています。

そんなこんなで全く順調に見えませんが、自分の中では気持ちも続いているし、人さまから見ればぜんぜん動いてないように見えて、自分なりに試行錯誤をして最初とは少し方向性が変わるかもしれないけれど、もう少しわかりやすい形にできるんじゃないかと考えてもいます。

2012年の半分が終わったので、いま、考えていることをブログに残してみました。

2012年7月 7日 (土)

あるがままの日本をどう活かすか~「第四の消費」三浦展著を読んで

ちょっと前に日本が嫌いになるって書きましたが、

「どんどん日本が嫌いになる」

キチンと言うと嫌いになったのは、「日本っていいものたくさんあるから、まだまだ大丈夫」って言っている評論家の人とか、安心しきって何にも考えてない人たちかな。

温暖な気候に恵まれ、島国で特異な歴史を刻んできて、でもやはりアジアの一員としての特徴も持っていて、日本ってなかなかいい国だよねっと思います。
でもそれって世界中どの国にもその国の良さがあって、その国に生まれた人は自分の国が一番好き。日本人だから日本のいいところが分かってきて、いい国だと思っているってレベル。。

そもそもは日本が元気がないとか、日本の存在感がなくなるとか、すごく危機感を感じさせられているんだけど、それがどうした・・

人間として生まれて、日本という国に住まわせてもらっている。

そしたら、せいぜい自分らしく生きて、自分が使っただけの資源を元通りにできないから、その代わりに生きて身に付けたことを次世代につないでいく。
そうした中で日本という国が少子高齢化で世界のトップに走っていて、環境問題に目を向けていて、それがいずれよその国でも同じような問題が出てきた時に参考になる。日本は、いわゆる「課題先進国」って言われている国。

そういう国にたまたま生まれたから、じゃ個人はどのように生きるか・・

ここで最近読んだ「第四の消費」が出てくるんですが、私たちはいまや個々人がモノを消費することよりも、もっと違うもの。人とのつながりを求めていて、それにお金や時間を使うようになっているようです。

バリバリ仕事をすることよりも、仕事をそこそこにしつつ、仕事以外の時間を別のことに使おうとしている。それは例えばボランティアであったり・・

経済発展とか、日本が世界の中でどんな位置を占めるかなんて事を考えている人たちにとって、それはゆゆしき事態で、そりゃ資本主義の世の中でもっと生産に寄与することしないと駄目じゃないですかということになるかもしれないけれど、元々単なる定義だから、いまの状態、まだ定義ができていない新しい社会だとも考えられるし・・

過去、日本に生きてきた人たちが築いてくれたもの、失敗したものを活かしつつ、お金儲けや人気取りの評論、意見を気にせず、といっても国としては財政的に破綻状態で、政治家人材不足で国全体で立て直しましょうってことは起こりそうにないことをしっかり肝に銘じて、自分の生まれた大好きな日本を自分ができる方法で守っていきたいなと思うのであります。

2012年7月 4日 (水)

今どきの価値

人が人生をかけて頑張る、成功したいっていう時、何を目標に頑張るのかなって考えると、みなさんは既に感じていることなのかもしれませんが、もう「お金持ちになること」じゃないのかなって思います。
お金持ちになって、いいものを買って、いい車に乗って、いい家に住んで。。。
それが、あんまり魅力を感じない。車は走ればいい、普段は持たずに必要な時に借りるだけだっていい。
お家は家族が寝る部屋があって、食事をしたり、話をしたり、それとバス、トイレ。贅沢なものは必要ない。

じゃ、偉くなるため、社会的地位を手に入れるため?
社会的地位を与えられるって、その地位を活かして何かその地位にふさわしい大きなことをするためであって、地位を得ただけでは何の意味もない。

昔は○○の社長さんとか、○○の理事長なんて肩書だけでもありがたかったかもしれませんが、いまは大企業のトップでさえ、平気で不正を行うから、肩書だけ尊敬を得るなんてこともない。

お金でもなく、地位でもなければ何か?何を求めてがんばるか。。

みんな人さまのお役に立つこと、感謝されることに価値を見出しているんじゃないかなって思います。

自分と家族だけでなく、まったく縁もゆかりのない人のお役に立つ。人間だからできることでは?

相手に役に立ったと思ってもらわなければならないから、自分がいくら役に立つと思って行動しても相手がそう思わないと駄目、親切の押し売りではいけない。
とっても難しいことです。

お金持ちになるより、社会的地位を手に入れるより、身近にいる人の役に立つ。

みんなの価値観がそんな風に変わってきているように感じます。

« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »