« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »

2012年10月

2012年10月30日 (火)

お金持ちの社会貢献、庶民の社会貢献

クーリエ・ジャポン12月号の特集は「1%のエリートはこう考えている。」です。

『人口の1%が富の○○%を握っている』というのはよく聞くフレーズですが、この雑誌のIntroduction「世界は2つに分断されてしまうのか?」によるとアメリカでは、その1%の所得占有率は、2010年現在17%を超えている、資産の占有率では40%に上るとあります。
そんなお金持ち、雑誌ではスーパーリッチという表現をされていますが、そのお金持ちたちが関心を寄せるのは、いまや大邸宅や贅沢品ではなく、社会貢献であると書かれた「新世代のエリートたちは何を考えているか?」の記事を読むと『社会貢献への出資』という面で庶民は無力感を感じます。いまをときめくフェイスブックのマーク・ザッカ―バーグCEOはニュージャージー州ニューアークの公立学校を改善するために1億ドルを寄付した。投資家として誰もが名前を知っているジョージ・ソロスは自ら設立した財団を通してさまざまな問題に数10億ドルを投じてきた。
こういう記事を読むと世にスーパーリッチと言われる人たちがいて、自家用ジェット、高額の美術品、盛大なパーティーにおしげもなくお金を使っているってことには、(その光景が想像もできなくて)ふ~んと言っていても、社会貢献においてもやはり先立つものはお金だなあと常日頃から思っているが故に、出そうにも出すものがない庶民は無力感を感じます。
じゃあ、お金は出せないけれど、社会問題に何か自分ができることはないかと考えている者はどういう役割を担うか?
「お金が会っても実際に現場で動く人間がいなければ何も進まないでしょう!」なんて悔しまぎれみたいな発言をするのではなく、お金持ちができることと自分たちができること、どう整理していくんだろうとゆっくり考えてみてもいいのかなって思います。
富の偏在・・使いきれないお金を持っている人がいる状態の対極には、この瞬間の生存さえ危ぶまれるほど貧しい暮らしをしている人がいて、この状態を容認してはいけないけれど、富を集めた人たちを敵視するのではなく、その方々が社会に貢献するという気持ちをお持ちであるなら、彼らの役割、私たちの役割って分けてみて、私たちの役割を考え抜く。

お金ではできない社会貢献って何なのか?
お金を出さずにできることって何なのか?

考えてばかりではいけないけれど、こういう問いは基本の基本。原点に立ち返って考えることも悪くないんじゃないでしょうか。。

2012年10月27日 (土)

たとえ地方でも視線は世界~「おもてなし経営」推進フォーラムinちゅうごく

経済産業省が推奨している「おもてなし経営」のフォーラムが全国で開催されており、福岡の案内を見たので行こうと思っておりました。
そしたら申し込む前に満員御礼、行く気になっていたので、一日前に広島で開催される中国地区のフォーラムに参加してきました。
勢いで申し込みをして、交通費を調べると往復で一万円を超える結構な金額。私にとっては手痛い出費で福岡からチョイと広島までと考えていたのですが、日本って広いんだなっていまさらながら・・。北と南で日本を語ってもぜんぜん別のイメージで話をしてるかも・・なんてことも考えたりして。。
さて、時間をとってお金をかけて参加しましたフォーラムですが、行ってよかったです。
九州会場では聞けない企業さんのお話がよかったです。

建設現場で電気工事等を行う島根電工(株)代表取締役社長、老舗温泉の旅館(株)向瀧の代表取締役のお話を聞きながらいろいろ考えることができました。特別講演は旅館加賀屋の総支配人のお話でしたが、こちらはもう既に有名過ぎて自分は新しい発見ができなかったかな。。
島根電工にしても向瀧にしても、強調されたのは徹底したお客様視点と人材(社員)教育、そこまでやるのかというサービスと考え抜いて他とは違うことを生み出しているパワーが伝わってきて、ここだけが特別かもしれないけれど、世間一般に言われているように日本の企業が元気がなくなったなんてうそじゃないかなって思いました。
講演内容には満足したものの、ふと考えると起こってくるのが、「おもてなし経営」をいまなぜ取り上げるのかという疑問。

日本のきめ細かいサービスは海外でも定評があって、それをまだやっていない日本の企業に勧めるってことかな?

でも海外を相手にするんだったら、どういうお客様をターゲットにするかきちんと考えた方がいい。
世界のたくさんの人に日本のサービスを知ってもらうのであれば、お金持ちがターゲットではないだろうから、多少サービスは見劣りしても安く日本を知ってもらう方法を考えた方がいい。
もし世界のお金持ちを相手にするんであれば、最高の日本のおもてなしを提供するとして、それは選ばれたところがやればよくて広く普及する話ではない。

もし、お客様をまだ日本の中だけと考えているとしたら、もうそれは話にもならないかも・・まずは足元から固めないとと言われるかもしれないけれど、どうせ一生懸命何かを学ぶのなら、視線は世界を向いていたほうがいい。

経営には無縁の自分さえ、もう世界を意識しない経営なんてどの世界でもあり得ないような気がしているのに、かつて日本企業を牽引してきた(と言われてきた)経済産業省の事業が、こんな内向きでいいのかなあと寂しさを感じました。

おかげさまで反面教師にして、前にも書いたかもしれないけれど、自分たち、たとえ地域で活動するとしても視点は世界を向いていなければいけないと考えております。。

2012年10月24日 (水)

「ユーロ破綻そしてドイツだけが残った」竹森俊平著

ちょっと長めの移動時間ができたので、その時間を使って日頃はあまり手に取らない本を読んでみました。
ギリシャの危機が落ち着いたかのように見えていても、経済力、財政力が異なる国の通貨を統合したユーロという概念自体に最初から問題があり、ユーロを維持するため、加盟国内で財政力の弱い国を他の国が継続して支援していくことになる。
一度参加したものが離脱するあるいはさせるルールを定めていないため、ユーロを離脱するためにはEUから離脱をしないといけないし、それも時間がかり、その間に国の間で資産の移動が起こる。
稚拙な要約で申し訳ありませんが、さらりと読めるので詳しくは本を読んでください。

日本の財政問題が深刻で、日本人だから日本にだけ関心を持っているし、さらに地域を中心に活動をしたいと考えているとさらに視野が狭くなってユーロ危機については、気になるけれどまあ専門家が考えれば・・と思っていたんですが、この本を読んで背筋が寒くなりました。
ヨーロッパの景気が悪くなれば、日本の景気にも大きく影響します。そうすると当然自分たちの地域、生活もまた悪くなります。
地域の問題の問題の本質を理解するために世界で起こっていることも理解しないといけない時代になっているんだなと思いました。
経済学が苦手な人にもさらりと読めて、危機感が伝わる本でした。
地域、日本の立ち位置を自分なりに大局的あるいは客観的にみるために世界情勢にも関心を持たないといけないなと感じます。
関心事をぐっと深掘りする視点と世の中で起こっていることをぼんやりとでも俯瞰する視点、両方を持つようにしなければ・・

2012年10月21日 (日)

息苦しさ、変な人・・自分は何を求めているか?

8月に上海に行ってあの雰囲気が良かったなあと思っています。
街行く人たちが自分のことだけを考えてパワフルに動いている。
他人の目を気にすることもなく、目を輝かして明日は今日より良くなるんだって信じている・・ように私には見えました。
貧富の差が激しくて社会にいろんな矛盾を抱えていると聞きますが、そんなことよりも一人ひとりが精いっぱい生きていることに目がいきました。
それに対し日本の中の自分。人の目を気にしていて、社会全体が元気がないことが気になっていて、息苦しい。いつも怒っている。
上海でいっぱいマナー違反を見て、でもいやだなって思わなかった。でも日本では電車の乗車マナーが悪かったりすると思いっきりその人をにらんでいる。
なぜかな~って考えた時に、自分はマナーを守っているのに、あなたは何で守らないの?って考えてしまうからじゃないかなって気がつきました。
こうしなければならないっていうものにいつも囚われていて、それを外れることが許せない。
いつも周りを気にしていて、周りに自分の生き方を合わせている気もします。
これこれしなければならないってことから自由になれたら・・何故なれないんだろう?
同じように自分が人とは違うことが妙に後ろめたくて、変な人って思われたくないなって気持ちがあって・・
それが最近読んだ本で、自分の方向みたいなものが見えた気がします。
「頼れない国でどう生きようか」加藤嘉一、古市憲寿著
「創造力なき日本」村上隆著
「現実を視よ」柳井正著
3冊だけ挙げましたが、これだけに限らず、いま悩んでいること、知りたいと思っていることに近い本が読めています。
偶然かもしれないけれど、答えが欲しいと思っているから、自分が読むべき本に巡り合うのかなあと・・
緊要な課題があるのに保身が大事で何も動いてくれない政治家ばかりで、そんな人たちに任せてもどうにもならないから自分たちが何をするかを考える。
グローバル化が進んで、その中で地域とは何か、日本とは何か、自分の立ち位置はどこかを考える。
世界の人と関わるとすれば、日本人的な遠慮や心遣い、いつも気にする横並びを気にしなくてもいい。
生き残るために自分を磨かなければならないし、人とは違う優れた才能がないなら、人とは違う価値を身につけるために、つまらないこと、単純なことをやり続ける。
どの本からもそんなことを気付かせてもらいました。これらの本に共感する人も多いようですから、日本が変わってきているのかなとも感じます。
自分がどう見えるか気にせず、もう少し自分のままに過ごそうかなって思っています。
NAKAKIRA(ナカキラ)についても、管理人自身迷いがあって何をやっているか分からない状態でしたが、これからは変人、良くいえば他とは違う視点を活かして、自分のできることを地道にしつこくやって行こうかなと思っています。
そして、ナカキラを運営しながら自分と同じように考える人を見つけたい。
それからナカキラで、今の世の中、いまの地域、いまの日本・・・自分はそれを変えるほどの才能も能力も力もないけれど、このままではいけないなあと思っている自分の気持ちを少しでも納得させる活動しようかなと考えています。
もう国に期待するのは止めた方がいい。
国が豊かになってなんでもしてくれるようになって、いつの間にか国に頼るようになってしまっています。
でも本当は自分のことは自分で考えなければいけない。自分で考えることが当たり前だと思わなければいけない。
また、優秀な人たち、例えばこれからの社会の在り方を考えている専門家や研究者たち、あるいは政治家や経営者などのリーダーと呼ばれる人たちの視点や発想にも限界があって、そんな人たちだけに任せておかずに、優れた頭脳や経験がなくても、おかしいんじゃないか?と疑問を持った人だったら誰もいいから発言すること、行動することが、これからの社会に必要じゃないかなと考えています。

2012年10月20日 (土)

「編集長インタビュー リブセンス社長 村上太一氏」日経ビジネス2012年10月15日号

25歳の若さで東証1部に上場を果たした村上氏のインタビュー記事。20代の方からも学ぶことは多いなあ~と・・
企業経営だけではなくいろんな活動の参考になりそうなので、インタビュー記事の気になったところをクリップさせていただきました。
「私が起業したのは、人が不便に感じているものを便利にするとか、人の生活を変えられるようなサービスを提供したいからです。世の中に必要とされるものをいかに作れるか。それが自分が幸せだと感じる瞬間なわけで、(後略)」
「長期的にはニッチでなく、やるからには世の中にしっかりと影響を与え、存在価値が提供できるような領域でもっと事業を拡大していきたい。」
編集長のいつから会社を経営したいと考えていたかの質問に対して、
「小学生の時からです。両親双方の祖父が経営者で、人が喜ぶ仕事をする姿を間近で見る機会があったことから自分も会社を経営したいと考えていました。
転機の1つは小学生か中学生の時はまったゲーム「ドラクエ5」でした。ひたすら努力して、時間を投じて主要なキャラクターをレベル99まで上げたんです。これはある意味すごいことなんですが、ふと自分は何ができたのかと思ったら、何も生み出していない。消費から生まれるむなしさというか、消費から生まれる満足感の限界というのを感じたわけです。
もちろん、人は何か衝撃的な出来事1つで変わるものではありません。高校時代に文化祭の委員長をやって何かを創り出すなど、多くの人に来てもらい、喜んでもらう経験を積み重ねていく中で、自分は「何かを創り出す」立場でいたいという思考が深まっていった気がします。」
中学生の頃に何かを生み出していないことにむなしさを感じたなんてすごいって思いますが、案外同じくらいの年代でそう感じている人が多いかもしれませんね。
そういう人たちがむなしいって感じた時にそれを忘れないうちに、何に巡り合うか・・この辺り年長者が手伝えることありそう。。
「最近、学生によく言うのは、インターンでも何でもいいから社長さんに会ったり、いろんな人に出会うことが大切だということです。子供の頃考えられる職業ってやはり、見たことがある人しかないと思う。
いろんな人に会わないと、将来やりたいことなんて分からないし、実際今の学生は選択肢が全然ない人が多い。
私の場合、祖父たちの存在があったし、せっかちなので高校の頃からもう会社をやりたくて仕方がなかった。それでも高校時代に、経営者の方にもっと会っていたら、もっとレベルアップできただろうなと今、感じます。
その意味では経営者の方の話が高校で聞けるとか、ビジネスに生かせそうな思想や考え方を学べる授業を増やすなど、教育のあり方には改善の余地が大きいと感じます。」
編集長の日本ではベンチャーがなかなか育たないことをどうみるかの質問に対し、
「起業のチャンスは、日本はどの国よりもある気がします。大学生でも会社を興せるし、投資家から言わせると投資したい人がいないというくらいだから資金はあると思います。」
「むしろインフラの面で国への要望はあります。経済産業省は倒産した企業がどんな理由で破綻に至ったかを「83社に学ぶつまずきの教訓」と題して、経産省のホームページで公開しています。国が持っているこうした資産は貴重でありがたいですが、雇用などのデータを集めるのに、まだ非常に手間がかかります。
もっときれいに情報やデータをまとめて公開してもらえれば、市場分析をはじめいろいろ活用できる。スタートアップコミュニティーの整備という点では日本は、まだ道半ばなのでしょう。」
こういう発言があると、補助金って形で直接企業にお金を流す支援ではなくて、ここで上がっているようにデータの整備など国しか集められないものを利用しやすい形で提供するなど、それほどお金をかけなくてもできることがありそうだって気がつきます。
「私たちの世代は、世の中のしわ寄せが全部来ているので、ハンディを負った戦いを強いられていると思います。国の制度としても、人口構造上、選挙の関係上、年配の方が優先されています。どうしたら、せめて均等にできるのかというのはずっとテーマとして私も意識しています。」
だれかにしてもらおうと思うのではなく、自分たちでどうにかという発想・・見習いたいです。
「私たちは満たされた時代に生まれ、成長したことが影響しているのか私を含め、「お金」という価値観より「精神的満足度」を重視する傾向があります。これをもって今の若者は「勝負をしない」「勝負から下りている」と見えるのかもしれません。
私は国がお金の部分で若者に満足を与えられないから、教育を通じてそういう価値観を擦り込もうとしているのではないかと、陰謀説的な深読みというか分析もしています(笑)。」
ここのところは読んでいる方も笑ってしまいましたが、あながち冗談じゃないかも・・
社会貢献に関心があると「お金」の価値に疑問を持ってしまいがちだけれど、ほんとにそれでいいのか世に流れる説を鵜呑みにせずに自分でじっくり考えないといけないと思います。
それにしても村上氏、25歳にして既にこのようなことを考えておられて、今後どういう発言をされていくか、気になります。 

2012年10月17日 (水)

マイナス思考と困難回避

台湾に行ってきました。
直前でキャンセルになりそうな事態が発生し、時間を空けておいてくれた方にお断りを入れたため、その方が紹介してくださるはずだった本当の台湾らしさは見てないかもしれませんが、それでもハッとすることばかりでした。
初めての中国、上海でも感じたのですが、庶民はただ目の前の生活に一生懸命であればいい、国の方向性はきちんと一部の選ばれた方々が考えている。これぞ国の姿なんだなあと・・
日本ではしかるべき人が自分の保身だけを考えていて、結果庶民が国の将来を憂えなければならない…困ったものです。こうなりゃ、原点に立ち返って自分の将来は自分で守る。国がどうなるかなんて愛国心のようなものは忘れて、自分と自分の家族の身を国を当てにせずに自分で考えて行くしかないなと思うところです。
そんなことを考えていたら、彼の国と我が国の違いに気がつきました。
上海にしても台湾にしてもものすごく短期の滞在で会った人達は限られるのですが、みんな必死。
今日より明日がよくなると信じて頑張っている・・日本人の無知な旅行者にうまいこと言って稼ごうっていう人だって、明日が今日より少しでもよくなるようにって考えてることがひしひし伝わってきます。幸せになりますオーラが溢れている。
対して日本。
将来、国が破たんしてどうなるか分からない、国の技術力が落ちてグローバル競争から取り残されるなんて話ばかり聞かされて、みんな暗い顔をしている。
でもよくよく考えてみたら、国が破たんして生活が無茶苦茶になったとしても命を取られるわけではないし、たぶん生命を脅かすほどの貧困に陥る人はそうそう多くないでしょう。
深刻な事態になったらそこからまた頑張ればいい。それよりどんな事態になるか分からないことを心配して、いまの生活を楽しんでいない。きちんと生きていない気がするんですよね。
なるようにしかならないから、自分はいまやりたいことをしよう・・ハチャメチャなことをするっていうことではなくて、いまやるべきこと、いましかできないことをするって意味ですが・・。
電車に乗って周りを見回した時に何だか暗い顔をした人が乗っているんじゃなくて、自分のことを考えることで精いっぱいで人さまのことは構っていられないって態度だけど目をキラキラと輝かせている人がいっぱい乗っている。そうならないかなあ・・
暗い将来ばかりを聞かされて必要以上にマイナス思考になって、それなら頑張ってもしょうがないって難しいことから逃げている。
なんかそんな気がして、それってずるいなって思うし、短い人生、無気力に生きたらもったいないなあって思ったりもします。

2012年10月10日 (水)

「現実を視よ」柳井正著

限られた地球資源をむやみに消費して成長する経済は、そろそろ見直しの時期に来ているんだろうなと思います。
そもそも服は、人の体温調整や皮膚を守るために必要最小限度があればいいんじゃないかなっと思ったりします。
そう思いながらもひたすら成長を追うユニクロの柳井さんのこの本に共感をします。
日本の地方に居ても、ぼや~と世の中を眺めているだけでも、世界の中心がアジアの方に移って来ていて、これからは国内だけで発想していては駄目なんだろうなって感じます。急速に世の中が変わってきているように感じます。
そんな感覚を感じる中で、この本を読むと・・世界に目を向けてビジネスを展開している方が書いた本だからでしょう。さらに世界の動きが伝わります。
激しく動く世界の中で、止まったままの日本を感じます。
多くの日本人は、日本の悪い状況ばかりを言い立て、諦めの気持ちを強くし、言い訳だけをしているんじゃないか?
一部の政治家、財界人だけを批判し、自分たちは何ができるかなんて考えてもしていないことをおかしいと思っていただろうかと考え込んでしまいます。
世界に打って出て、ひたすら自社の成長を求めればいいはずの一大企業の経営者がなぜこの本を書いたのか?
例えばApple社のようにスティーブ・ジョブズ氏という一人の天才が新しい製品を生み出し、世界の人々の行動様式を変えることができても、いまある社会の問題を一人の天才だけで解決することは
不可能。社会を変えるとなると一人の力ではどうにもできない。
山口県の町の洋服店を一代で世界的なブランドにした柳井氏を持ってしても社会を一人で変えることはできない。
そんな気持ちで書かれたのかなどと想像しています。
著者の想いを強く出した本です。この本を読んでそのまま「そうだよね」で終わりにせず、書かれていることについて自分なりに考えてみる。自分はどう思うか、自分の行動に参考になるものがあるか・・・
これから厳しい世の中になりそうだけれど、自分は傍観者になりたくない。自分は何もせずにただ批判をする、与えられるのを待っている・・そんな人になりたくない。
この本を読みつつ、あらためてそう感じました。
ところで、柳井氏。すごく儲かっているから派手にお金を使ってそれを自慢しているよって嘘かほんとかわかりませんが、そんな話を聞きました。
それが本当でもいいんじゃないでしょうか・・自分が得た報酬を自分の好きなように使う。経営者としてものすごいプレッシャーがかかっているはずだから、公序良俗に反しなければどんなお金の使い方をしようがいいんじゃない? それから、リーダーとかいうと才能、性格、その他諸々、バランスある人を良しとするけれど、多少不思議なところや変なところがあってもそれは関係なしで才能だけを正当に評価しないといけないんじゃないかなと思います。・・くどいようですが、柳井氏がどうかはわかりません。

2012年10月 5日 (金)

国という概念が変わるのでは?

最近大企業の活動を見ているともう企業の国籍ってないですね。外国に出て行って現地の人を採用して、現地の人にモノ・サービスを売る。
トップが日本人じゃない会社もあるし、何を持って日本企業と言うんだろうって思います。
そうするとやはり国って何だろうって考えます。
日本は他国に侵略されたことがない珍しい国ですが、どの国も他国の領土になったり、植民地化されて必死に自国を守ってきた。
でもその国って概念がこれからどんどんなくなって行くような気がします。
元々国境なんて人間が作り出したもの。だから文明が進歩して行くに従いもっと違う概念が出てきてもいいのかなと。
交通機関が発達して、馬車や蒸気機関車が主な交通機関だった時代からすれば、同じ時間で移動できる距離は格段に広くなっていて、地球が狭くなったというのなら、自分たちの思考のスケールも自国だけじゃなくてもっと広く考えることも可能だと思います。
また逆に、各国の結びつきが強くなって、世界の情勢が必ず自国に影響を及ぼします。
そうすると自国だけを見ておくんじゃなくて、世界を見ていろんなことを考えた方がいい。
国を意識するのは、法や制度の違いを考えるときだけ、なんてなるんじゃないかなあ。
もちろん歴史や文化、言語が人種構成の違いはあるけれど、それは国というより地域の違いみたいな感覚。
九州と北海道の違いみたいな・・
自分が日本人を意識するのは、日本っていいよねって誉められて嬉しかった時とかオリンピックで日本を応援しているときとか、すごい才能の人が日本人だってわかった時とか・・
人間の征服欲から始まっただろう国っていう概念、あんまり考えなくていいなあって思うときは考えなくなるんじゃなるかなと思います。
行動は国を意識せずに・・そして国を想う時は、自分の生まれたところ、育ったところ・・つまり”ふるさと”的な大事なモノとして・・
「国って何なのか?」
わかってません・・まだまだ考え続けます。

2012年10月 1日 (月)

まず足元を見る

雑誌クーリエ・ジャポンの11月号が「こうすれば、きっと「社会」は変えられる!」という特集を組んでいたので買ってみました。
社会活動に関心のある方なら、きっと気になるタイトルだと思います。

まだ中身を詳しく見ていませんが、「反原発デモ」「経済格差」「政治不信」に市民たちが立ち上がっているという話で、社会を変える際の方法・道具について書いてあるようです。

これから自分たちがよりよく暮らすためにどのような社会を変えるのか・・について、ヒントがあるかなと思って手に取ったのですが、具体的な運動方法に関する特集のようですので、自分の求めるものとはちょっと違ったかなと思っています。

それで、しばらく表紙を眺めていて「立ち上がる市民たち」という活字を見ながら、片や、自分たちの問題に自分たちで立ち向かっている若者がいて、片や、日本の中で若者よ海外に出ましょう、外の世界を知りましょうと言われ続けて海外に出て行こうとしている若者がいるってことに何か違和感を感じました。

確かに日本と全く異なる世界を見るということは大事だけれど、はたして高校生、大学生(もちろんそれ以上の年齢の人も)が身近な問題を解決しようという行動を起こさずして、足元さえも見ないまま、海外に出ることに意味があるのかなと感じました。

外国語を身につけるには若ければ若いほどよい、若いうちでないと時間がない、失敗が許されない。

でも日本にはいろいろな問題があって、その問題はだれが解決するのか?
若い人が主役にならなくていいのか?
本来であれば、社会の問題に一番敏感なのが若者で、社会の矛盾にまず最初に気付いて反応するのが若者だと思っています。

保身や駆け引きなしにおかしいことに有り余るエネルギーをぶつけるのが若者だと思います。

それが、将来の自分の生活、自分のキャリアデザインだけを描いて海外に出る。

すべての分野でグローバル化が進んでいるとすれば、自分が関心を持った活動するにしても、あるいは学問的な研究をするにしても海外に目を向けなければならない状況だと思います。
否が応でも海外を意識せざるを得ない状況になるでしょう。
しかし、それは、まず自分がやっている活動や研究があって、そこで必要があるから海外に目を向けること。

グローバル化が本物ならば、そのうち時機がくれば海外が視野に入ってくる。海外に出て行かなければならなくなる。

海外に出ることも意味があるけれどもまず地元で問題になっていることに自分たちの問題だという気持ちになって、自分たちが活動して何か変化を起こさなければと考える。

高校生、大学生になったなら、いつまでも親、大人から守ってもらう存在ではなく、自分たちが先頭に立って社会を変えて行くという発想になってもいい。

海外に出ることを勧める人たちは、海外を見ていろんな経験をして大きな人間になるっていう言い方をするけれど、足元の問題に気付かず、それをほっといて海外に出ても、結局海外で何も気がつかないままってこともあり得るんじゃないかな。。

決して海外に出ることに反対しているわけではありませんが、ただ、そのまえにもっとやることがあるかも・・ふとそんなふうに考えました。

« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »