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2013年1月

2013年1月26日 (土)

当事者が本気になっているのか?

年末に靴が欲しくて、職場近くの商店街の靴屋さんに行きました。

はっきり言ってまったくのおばちゃんで、おしゃれじゃなくて、服や靴を買うときは気おくれがしています。
よし!買うぞって気持ちになるのは、本当に困っている時。さあ買うぞ~ってワクワク感は数パーセントです。

そんな時にお店に入って・・べたべたとくっついて来られるのも何ですが・・
まったくの無視をされてしまいました。
被害妄想なのでしょうが、「あなたはうちの客層ではない」と言われたような気分で、そそくさと店を出てきてしましました。
それが何と2軒も同じ対応。


私がよっぼど変な格好だった?
そんなことはないと思います。

そうするとちょっと腹が立ってきました。

商店街は大型店、郊外店に客を奪われて危機的状況だと言います。商店街なんとかというところが行政や商工団体に対して、どうにかしてくれって言います。

それなら、一人のお客も逃がさないように、どうしたらお客が喜ぶかを各店舗が必死になっていてもいいのでは?
かつて、そう30年とか40年前、昭和の時代。選択肢が少ない頃は品物を並べておけば、お客がやってきた。
私への対応はその時代とまったく変わっていないように感じました。
世の中変わっているのに・・

新しい形態の店舗が増えたから、消費者のライフスタイルが変わったから自分たちの町が落ち込んでもしょうがない。

誰かどうにかしてください。

本当に外部要因のせいだけか?何かできることはないのか?

当事者が気が付かなければ、一部だけが、周りがどんなに頑張ってもどうしようもない。。。と思いました。

2013年1月21日 (月)

オンライン講義という発想

本日、1月21日の日経新聞朝刊の大学欄に、「米で無料配信の講義サイト広まる」という記事がありました。
記者はスタンフォード大学の講義配信サイト「コーセラ」でゲーム理論を受けたとありましたが、「1週目は10本。1本2~12分で視聴後に小テストを受け、宿題もある。提出期限を過ぎると修了できない。」という内容で本格的。これを無料で?と思ってしまいます。

大学によると「「学生集めやコンテンツ販売が目的ではない。オンライン教育のあり方を探っている」(大学広報)」なのだそうです。

「オンラインでの受講のみで大学卒業資格を与える例はほぼない」そうですが、記事の指摘はまさにっという感じ→「高い授業料を払い、大学に通い、様々な活動への参加を通して得られる資格や人脈、経験をどう評価するか。米国で進む大学のオンライン化は大学・教員・学生の3者に「大学の価値とは何か」との問いを突きつけている。」
しかし、逆に言えばお金を払ってでも、あるいは払わないと手に入らないものを明確に出せたら、無料の講義配信サイトはもっと広がる可能性があって、お金を払わないと手に入らないものに興味がない人、もはや手に入れても意味のない人たちが自分の必要に応じただけの講義を聞けて、そこから得られた知をまさに今自分が取り組んでいるものに活かしていくってこともできるようになるのかも・・っとちょっとワクワクします。

2013年1月16日 (水)

「退職前に地域デビュー」日経新聞2013年1月15日夕刊

地域社会との関わりについて、昨日の日経新聞に記事がありました。

「今の場所に住み続けるのなら地域社会との接点は欠かせない。深く長い関係を築くためには、体力に余裕がある退職前から考える必要がある。」のだそうです。
長年会社で働いてきた男性は、近所の人と仲良くなろうとしてもうまくいかないようです。
ボランティアに参加すれば、地域コミュニティに入るきっかけになるのでしょうが、ボランティアやNPOは少しハードルが高くなかなか踏み込めません。そんな方に対してはどんな活動があるかを知ってもらおうという活動もされているようです。

昔は自分の住んでいる地域の活動には、否が応でも参加せざるを得なかったのですが、個々人の生活が多様化して、必ずしも参加を求められないと逆に参加したいと思った時にハードルが高くなるんですね。
今の世の中、何事をするにも“選択”がついてまわり、窮屈だなと思います。
記事に地域デビューのための五カ条があります。
○肩書を忘れる
○誰もが対等な立場だと心得る
○できる、できないを明確に伝える
○気の合う人を見つける
○特に女性の話をじっくり聞く
これを見るとまずは溶け込むのが大事で、間違っても会社で培ってきたものを地域に還元するなんて最初から思わない方がいいようですね。

2013年1月14日 (月)

社会貢献ってまず心に余裕を持つことなのかも

社会に役に立つって何なのかなって思った時に、以前にも書きましたが、営利企業であっても社会に役に立つ製品なり、サービスを提供していて、それでその企業は社会に貢献している。

社会貢献しようと思って緊要な社会の課題、例えば貧困であったり、環境問題であったり、に取り組むことも企業に就職してそこで製品を生み出すことも社会に役に立っているという意味ではあまり変わりはないように、自分は、思います。
それで社会貢献と言って何が大事かと考えた時に、「社会に役に立ちたい」って思っている気持ちそのものが大事なんじゃないかと考えています。
困った人がいたら、何かしてあげたいと思う。
社会の問題があって、それが問題であると気がついて、それに対し自分が何かをしようと思う。
社会というものに目を向けるためには、自分にある程度余裕がなければ無理かなとも思います。
自分が生きていくのに精いっぱいだったらとても人さまのことを考える余裕がないだろうし、自分のことしか考えてこなかった人は人がどうなろうと知ったことではない。
社会に役に立ちたいと思えるのは、日々の生活なり、もっと大きく生き方なり、自分自身について確固としたものがあって、自分の周りにも目を向ける余裕があるからかも。
社会の中で生きている自分のことは自分できちんと解決ができていて、それからさらに自分の周囲に対し、役に立ちたいという気持ちを持って接することができる。
自分では何も社会に役になっていないと思っていたとしても、自分がそういう状態になっているだけで、まずはいいんじゃないかなと思います。

2013年1月12日 (土)

「地域ブランドは、企業ブランドのようにつくれるか」石井淳蔵 文 PRESIDENT2013.1.14から

最近やたら雑誌を買っていて、家中雑誌で溢れているので、自粛しようと思っていたのに、この記事を読んで迷わずこの雑誌を買ってしまいました。

「地域ブランド」に関心がある者として、この記事に書かれていることをよく考えないといけないと思いましたし、この記事から地域ブランドだけではなく、“地域”について発想が拡がる気がしました。

記事の中では、まず企業のブランド構築の手法が定着したものになっているとして、
「第一に、当該ブランドについて、生活者の認知度を上げ、理解度を上げ、好意的な態度を確保し、購買意欲を上げることに注力する。そして、マーケットにおける確固とした地位(ポジション)を確保する。・・・第二に、継続的な売れ行きを確保するために、「ブランド・エクイティ」の構築を目指す。人気が増しその製品の売れ行きが増えても、それで事終われりとするのではなく、継続的な成果を得ることができるよう「市場資産」に変える。・・」と説明されています。

そして、このブランド作りにおいて、守るべき要諦があるとして、3つが上がっています。
「第一に、ブランドのアイデンティティ、ないしは市場でのポジションを大事にすること」
「第二は、統合性重視、つまりブランドにおける曖昧さや多様さの回避」
「第三に、ブランド・マネジメントの成果は、そのブランドが生み出す収益・利益で測られるが、もう一つ「ブランド自体のエクイティ」を育てることが重要」

これだけでは何かよくわからないかもしれませんが、企業のブランド構築に関することは詳しくは記事を読んでください。

それでそういう企業のブランド構築と同じように地域ブランドを構築できるかという問題に入ります。
地域ブランドを構築する際に、自治体が主導する場合は多いのですが、そこで難しい点が指摘されます。
一つは自治体がブランドづくりの音頭取りをしたとしても主体になるわけではなく、関係するメーカーやサービス業が集まって構成される集団が主体になる。
投資資金が非常に少ない。委員会方式が採用される場合が多く、細部まで任される権限や予算を持ったブランドマネージャーがいない。多様なメンバーがいて統一したアイデンティティを決めにくい。
それなら地域ブランドがつくれないかというとそうは言われていなくて、
企業のブランドとは発想を変えて、多様なメンバーが集まることをそもそもの前提におくこと、上から方針や理念を決定するのではなく、あくまで合意を取りつつ進めることなどが示されています。
そして地域ブランドであっても当然きちんと成果を測るべきとしながらも何を成果とするのかから考えないといけないとしています。

あんまり書いてしまうとほとんどパクリになってしまいますので、詳細は記事を読んでくださいで終わります。

でも自分がこの記事に引かれたのは、もちろん地域ブランドに対する考え方そのものが参考になるっていうこともありますが、その発想の仕方。
何かに取り組む際に、似たものがあるとそれをつい形だけちょっと変えて使ってしまおうとしますが、その前に”似てはいるけど、違っているところは何か、その違いがありながら、似ている者を使うとすれば、どこに気をつけるべきか、どこを変えるべきか”を考えて取り入れる方がいい。そして、そのあとは必ず成果を検証すること、検証する際は、成果とは何かを考えるべきこと。
これを読んで、読んだものが柔軟に発想するなら、いろんな取り組みで参考になる記事だと思いました。

2013年1月 9日 (水)

福岡にキラキラを感じなくなっている・・

北九州市で仕事をして3年、事務所が小倉だからかもしれないけれど、よく整備された綺麗な町で、ほどほど都会で落ち着いていて、いい都市だと思います。
昔は福岡市と張り合っていたけれど、いまや大きく水をあけられて、町の価値は地元の人が分かっていればいいんだっと思っているんじゃないかと思えるくらい独自路線を歩いているような気がします。活気がないのは残念だけれど、好きな街です。
それに対し、福岡市。だんだん嫌いになっているような気がします。
かつて、いつもどこかでビルの建設工事が行われていたように感じていたのが、ここ数年風景が変わらないところが増えたような気がして、停滞感を感じてしまいます。・・これは仕方ないかなあ。。
人の出入りも一段落した感があって、人が固定化してしまって、福岡市の規模になっても地元経済界は知り合いばかりで、お友達お付き合い。よそ者は入りにくい雰囲気ができていそうな感じがします。
人口が増えていて九州の中で唯一発展が見える都市で、それでさらに上を目指す。国際交流に力いれて世界の主要都市とさらなる発展を目指す。
発展している都市ならば、九州規模で他の都市、地域の発展を支援して、一緒に大きく成長しようという気にならないのか?
自分のところさえ発展すれば、それでいいとでも言いそうな雰囲気。
自分を牽引役にして、九州全体が発展するような方策を考えてもいいんじゃないかと思います。
近くにパワフルに成長している国があるから、負けずに発展して欲しいし、成長する国との近さをもっと活かしていいはず。
どんどん辛口になっていますが。目の前にチャンスがあるのに、どうでもいいことに一生懸命になっている。
福岡市をそんなふうに考えてしまって、昔は大好きだった福岡が、色あせてきています。
アジアを熱気をとりこんで、九州全体で発展する。そのリーダー役に福岡市が名乗りを上げてくれるのを期待しています。
キラキラしている都市のイメージを取り戻して欲しいです。

2013年1月 8日 (火)

社会活動のポートフォリオ

新年から弱音を吐いているわけではありませんが、本業と社会貢献的な活動の両立って難しいじゃないかと思っています。
仕事以外に活動をするからと言って仕事で手抜きはしたくありません。
そうすると気持ちの切り替えがうまくできないといけないですが、なかなか難しい。
まったく違いことを考えると一日が二つに分かれたみたいで、頭がついて行けていないと感じます。
さらに両方のために、ネタ仕込み、いわゆる勉強もしなくちゃいけないし、時間も足りません。
本業を辞めてから社会活動っていうのもありだとは思いますが、本業が一段落するまで待ってられません。
そうすると毎日の生活で、いくら難しくても仕事と活動を分けて考えられるようになるようにしなければいけないと思います。
しかし、あんまり器用じゃないので、当面は本業に近い領域の活動、つまり労働とか、雇用とか言われる部分を中心にして活動した方が無理か少ないかもしれないです。
しばらくちょっと偏りがでるかもしれませんが、けっして他の領域を忘れているわけではありません。

2013年1月 7日 (月)

もう少し日本の軌跡を検証すべきでは?

伊賀泰代氏著、「採用基準」をまだ読んでいます。いろいろ気になるところがあって、マーカーと(印の)耳折れだらけになっています。
繰り返しリーダーシップが語られていて、いま最も求められるものはリーダーシップなのかな・・というところまで理解しながら読んでいますが・・
本の180ページ辺りにある「カリスマリーダーではなく、リーダーシップ・キャパシティ」のところはなるほどと思います。
引用させていただくと
「リーダーシップに関して明確にしておきたいのは、日本に不足しているのは「リーダーシップ・キャパシティ」だということです。これは、「日本全体でのリーダーシップの総量」を意味します。
つまり、日本の問題はカリスマリーダーの不在ではなく、リーダーシップを発揮できる人数の少なさにあります。少数の傑出したリーダーは、日本でも各界に一定数現れています。しかしこの国では、リーダーシップの総量がまったく足りていないのです。」
著者は一人のリーダーがいくらすごくても一人でできることには限界があるというふうなことを言っています。確かにそうだなと思います。
そうして
「リーダーシップ・キャパシティの不足が特に大きな問題となるのが、非常時対応です。組織全体のリーダーシップ・キャパシティが不足していると、緊急時には深刻な問題が起こりかねません。」と言います。
とここまで読んできて、少しだけあれ?と考えます。
非常時というと災害を思い出しますが、東日本大震災が起こった際に被災地で暴動が起こらず、世界から称賛されたという話はあちこちで言われます。
この理由として日本人は官が自分たちを守ってくれるとわかっているから大人しく待っていたんだとかいう言い方をして、日本人自身が、“従順な日本人”などと揶揄をしますが・・
果たしてそうだったのか?
ひょっとしたら被災地でこの本の著者が言うようなリーダーシップを発揮した人たちがいたのではないか?と思ったりします。
いくら役所を信じていると言っても命の危険がある場合に、大人しく何も行動しないことがありうるのか?
それよりも一定の秩序を保つような力が働いた。力を使った人がいたと考えられないこともない。
もしそうだとすれば、日本では地方の末端にいざとなったらリーダーシップを発揮する仕組みがある可能性があって、その眠れる力を引き出せば、リーダーシップ・キャパシティが不足なんてことはないかもしれない。
被災地で実際どのようなことが起こっていたのか、詳しく知りたいです。
それにしても被災地もそうですが、日本全体について、グローバルな視点から見れば、足りないものだらけだというような論調がこの本に限らず多いですが、
それだけ駄目な日本人がもう既にずっと昔の話ですが、なぜ第二次世界大戦後に急速に発展し得たか?
ひたすら働いたから? 時代がよかったから? 
他の国がやらなかったことをやれたということは、それができる国民だったということかもしれないから、
本当に他国民は持たない優れたものを持っているのか? 持っているとして、それを今の日本人は持っていないのか? それはいまの時代には通用しないものなのか?
そんなことを検証してもいいのではないかと思うんです。

今がうまくいっていないから、よく検証しないまま、日本人そのものの何もかもを否定してしまっている。
そんな風潮があるような気がして、過去の栄光を懐かしむのではなく、今の時代に通用する強みを見つけるために、もう少し過去をしっかり見なくちゃいけないんじゃない?って思うのです。

2013年1月 6日 (日)

地方から情報発信

マッキンゼー・アンド・カンパニーの日本支社でコンサルタントの採用業務をなさっていた伊賀泰代氏の「採用基準」という本を読んでいます。
タイトルから企業の採用担当や人事部の方、あるいは採用される側の学生さんとかが読まれているかと思います。
しかし、著者自身が「はじめに」の中で「マッキンゼーが求める人材は、今の日本社会が必要とされる人材とまったく同じだ・・」と書かれているように、いま日本社会に何が必要かと考えている方が読んでいろいろヒントになることがあるんじゃないかと思います。
この本から感じたことはまた別に書くつもりですが、この本を読みながら感じたのは、(この著作とはまったくずれてしまいますが・・)

日本の頭脳の大部分が東京に集まっていると言っても間違いではない状況で、東京の人たちにとって「日本」のイメージは東京のイメージではないか?
そんなイメージの中で、優秀な人材がいれば、社会はうまくいくと考えてしまっているのではないか?
グローバルな視点とか、リーダーシップを持った人とか、イノベーティブな人とか、今の日本に必要なのはこんな人だよっていう話が氾濫していて、
それを乱暴に一括りにして「優秀な人」と言ってしまいますが・・
でも日本の大部分が地方で、そこで生活している人たちはすべてが高収入や洗練された

生活を求めているわけではなくて、そうするとそういう大多数が暮らす日本という国のこれからについて、都会の優秀な人が考えた方法に従って動かしていけばいいのか?
地方はただ、現場として・・手足として、都会の頭脳が考えたことを粛々と実行していけばいいのか?
それは何か違うような気がして・・
結局それぞれの地域の生活はそれぞれの地域の人が考えていく方がよくて、それが当然ながら人口規模に応じて優秀な人、優秀なレベルもそれなりかもしれないけれど、自分たちのことを考えるのだから、必死に考えれば、その地域になんの関係もない人、その人がたとえものすごく優秀であったとしても、その人が考えたものよりもいいものができるのではないか?少なくともその土地にあったものができるのではないか?
そうすると一地域で考えられたことについて、同じような問題を抱える地域に参考になるものがある。

地域にたくさん課題があって、それについて考えている人たちのアイディア、プランは、机上で考えられた素晴らしいアイディア、プランよりずっと参考となることだってあり得る。
高齢化、人口減少、独居・・現実に目の前にある課題に取り組んでいる中で、たくさんの知恵が生まれている・・はず。

自分たちは必要があって取り組んでいるんであって人様に紹介するものなんかない、社会問題の解決策は偉い先生方がすごいものを考えてそれを広めればいい。
なんて考えずに自分たちの知恵を広く発信していけば・・・


もしその地域が今後世界に広がっていくだろう課題を既に経験し、解決策に取り組んでいる地域、すなわち課題先進地域であれば、今後を憂える地域から注目を集めるはず。
地方に住んでいるから都会にはかなわない、自分たちなんかが教えらることはない・・なんて思わなければ、地方であっても他地域、他国から注目される地域になることだって可能な気がします。
東京に行かなければ最新の情報は集まらない、アメリカに行かなければ・・・本当にそうか?

いま地方で暮らして日々得ているものについて、住んでいる人自身が“つまらないものだ”と考えたりしなければ、世が注目する情報発信地になることだってできる・・
そう思います。
名もない一地域であっても、世界に情報を発信し、他地域の役に立つことができる・・そんな気がします。

2013年1月 5日 (土)

疑問に思うこと~営利と非営利、日本と日本の外

ブログのデサインを変更してみました。単純すぎるかもしれませんが、デザインを変えるとブログに対するこだわりもちょっと変ったりして・・
さて、新年というと今年どういうふうに過ごそうかとか、この1年をスタートにこれからの10年、20年がどう変わっているかなんて、何かとこれからのことを考えるかと思います。
管理人もご多分にもれず、いろいろと考えておりますが、ずっと考え続けていていまだによくわかっていないこと2つについて

○営利と非営利

営利を目指すか非営利であるか・・漢字で見ると明白ですし、ここでは何の疑問もありませんが、
社会に貢献する活動について、なぜことさら「非営利」と言わなければならないか?
特定の目的を持って既にNGOやNPOで活動されている方やその活動については何の疑問もないのですが・・

日本において(他の国の事情を知りませんから)、国や自治体がNPO活動の振興と称し、例えばNPO団体を集めたフォーラムを開催したり、なんだか目的は決まっていないけれど社会に貢献したいという人の活動について支援をする必要があるのかなあ?と感じたり
結局フォーラムを開催することが目的になっていたり、自己実現のために活動をしているんじゃないかと思える人のために助成をしたり・・必要ないんじゃないかなって・・

必要な活動だけれど、お金を生み出す仕組みがないためにその活動自体が継続できないとすれば、何らかの支援は必要。
例えば税制上優遇するとか・・

でも社会に必要な活動だけれどお金が儲かる仕組みがあればそれで組織や活動が継続できるし、そもそも組織を運営できる人たちが集まっているから動いているんだろうから、そこで公共機関は何もすることがないし、何もする必要がない・・のではないか?

社会に必要な活動という言い方をすると営利企業の活動こそ、社会に果たしている役割は大きいですよね。・・負の部分があるかもしれないけれど、それよりプラスの部分が大きい時にどう考えるか?

今時点の自分的な結論は、お金を稼ぎだす仕組みがないけれど社会に必要な活動について、それが何なのか、誰が担うのかなんてことを考える時に限定して「非営利」を考えればいいのかな・・ってところ。まだまだ考え整理していきます。

○日本と日本の外

日本人は内向き指向とはここ数年マスコミ等でよく言われて、若者よ海外へ出ていきましょうとなりますが・・

果たして???

海外に出ていったら、日本にいないから日本の経験ができない。住めば都とも言うように海外の暮らしがメインになってしまう。
そうすると出ていった人が「日本」にこだわるのか?
日本企業よ、海外に出ていきましょうも・・大企業なら連結で日本に利益があるかもしれないけれど、日本を捨てた企業は現地で税金を払って現地の人を雇って・・
果たして日本の国としてのメリットは?

何事も単純化はいけませんが、どうもよくわかりません。

なんかどれもこれもグローバルに活動しましょうと言ってしまって、それ以降は思考停止のような・・
日本にこだわる必要ないじゃないっと言っていれば納得できますが、最初に「日本が生き残るために・・」なんて枕詞がついているとよくわからない。
創業が日本だった企業の生き残り策・・に過ぎないのではと思うのは間違い?

年明け以降、新聞や雑誌を見ていると今まで以上に若者、あるいは企業に海外進出を勧めていて、“ひょっとすると今後、国の概念がなるかるかも”なんて錯覚を起こすくらいで、そうすると日本と日本の外というよりも国とは何なのかということを考え続けないといけないかなって思います。

以上、何言ってんだという方もいるんじゃないか・・いたらその方の見解を聞きたい・・と思いますが、2013年初めに当たってずっとよくわからないなあと思っていることについて、書いてみました。

2013年1月 1日 (火)

年の始め

あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
年の始め、NAKAKIRA(ナカキラ)の記事はやはりよく見ている日経新聞から始めます。
1月1日の日経新聞はいつも楽しみにしています。
今年一年を占うような記事があり、いつもワクワクして待っています。
でも今年は気のせいか、少し地味、ワクワク感が少ない。
一面トップ記事「世界の5割経済圏」の中で日本については、「日本、ネジ巻き直そう」「日本はついて行けるのか」などマイナス表現がたくさん。
日本を代表する経済新聞だから、世相を映しているんだと思います。
いま、日本は縮み思考。
でもそうじゃない兆候もたくさんあるはず。
2013年初頭、まだまだマイナス思考の日本・・でもこの1年が終わった時に、日本は変わったよねって言えるようになるはず。
勝負の年のような気がします。
一日本人に過ぎないナカキラ管理人もがんばります。
一粒一粒の動きが大河の流れをつくります。自分の力を過小評価せずにできることは何でもしてみることが大事かな。。

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