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2013年1月 7日 (月)

もう少し日本の軌跡を検証すべきでは?

伊賀泰代氏著、「採用基準」をまだ読んでいます。いろいろ気になるところがあって、マーカーと(印の)耳折れだらけになっています。
繰り返しリーダーシップが語られていて、いま最も求められるものはリーダーシップなのかな・・というところまで理解しながら読んでいますが・・
本の180ページ辺りにある「カリスマリーダーではなく、リーダーシップ・キャパシティ」のところはなるほどと思います。
引用させていただくと
「リーダーシップに関して明確にしておきたいのは、日本に不足しているのは「リーダーシップ・キャパシティ」だということです。これは、「日本全体でのリーダーシップの総量」を意味します。
つまり、日本の問題はカリスマリーダーの不在ではなく、リーダーシップを発揮できる人数の少なさにあります。少数の傑出したリーダーは、日本でも各界に一定数現れています。しかしこの国では、リーダーシップの総量がまったく足りていないのです。」
著者は一人のリーダーがいくらすごくても一人でできることには限界があるというふうなことを言っています。確かにそうだなと思います。
そうして
「リーダーシップ・キャパシティの不足が特に大きな問題となるのが、非常時対応です。組織全体のリーダーシップ・キャパシティが不足していると、緊急時には深刻な問題が起こりかねません。」と言います。
とここまで読んできて、少しだけあれ?と考えます。
非常時というと災害を思い出しますが、東日本大震災が起こった際に被災地で暴動が起こらず、世界から称賛されたという話はあちこちで言われます。
この理由として日本人は官が自分たちを守ってくれるとわかっているから大人しく待っていたんだとかいう言い方をして、日本人自身が、“従順な日本人”などと揶揄をしますが・・
果たしてそうだったのか?
ひょっとしたら被災地でこの本の著者が言うようなリーダーシップを発揮した人たちがいたのではないか?と思ったりします。
いくら役所を信じていると言っても命の危険がある場合に、大人しく何も行動しないことがありうるのか?
それよりも一定の秩序を保つような力が働いた。力を使った人がいたと考えられないこともない。
もしそうだとすれば、日本では地方の末端にいざとなったらリーダーシップを発揮する仕組みがある可能性があって、その眠れる力を引き出せば、リーダーシップ・キャパシティが不足なんてことはないかもしれない。
被災地で実際どのようなことが起こっていたのか、詳しく知りたいです。
それにしても被災地もそうですが、日本全体について、グローバルな視点から見れば、足りないものだらけだというような論調がこの本に限らず多いですが、
それだけ駄目な日本人がもう既にずっと昔の話ですが、なぜ第二次世界大戦後に急速に発展し得たか?
ひたすら働いたから? 時代がよかったから? 
他の国がやらなかったことをやれたということは、それができる国民だったということかもしれないから、
本当に他国民は持たない優れたものを持っているのか? 持っているとして、それを今の日本人は持っていないのか? それはいまの時代には通用しないものなのか?
そんなことを検証してもいいのではないかと思うんです。

今がうまくいっていないから、よく検証しないまま、日本人そのものの何もかもを否定してしまっている。
そんな風潮があるような気がして、過去の栄光を懐かしむのではなく、今の時代に通用する強みを見つけるために、もう少し過去をしっかり見なくちゃいけないんじゃない?って思うのです。

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