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2014年9月17日 (水)

「土光敏夫 無私の人」上竹瑞夫著

「正義」とか、「大義」とかいう言葉が死語になってしまったのではないかと思います。

社会のため、とか未来のためとかいう言葉があちらこちらで使われているけれど、結局は自分の利益のためではないか? 

ごく身近な仲間内のことしか見えていないんじゃないか?と思うことばかり。

そんな人たちでもまだまし。

はなから“社会”なんて概念がないんじゃないかと思うくらい、自分のことしか考えていない人たち。

自分が傷つくのは過剰に反応するのに、人を傷つけていることに気がつかない。

人として社会に生まれてきたからには、なにがしか社会に役に立つことをしなければいけない・・なんて教わってきたけれど、本当にそんな気持ちを持って生きている人が今の日本にどれくらいいるんだろうか?

ふと「土光敏夫」という方を思い出して、読んでみました。
どうしてこういう生き方をできる人が出てきたのか・・・

特に80代のご高齢になられて以降に取り組まれた行政改革については、失礼ながら、自分は長くは生きられない年になって、のんびり老後を過ごそうと思うのが普通なのに、働き盛りの方よりも強い意志をもって行革のために働かれた。

母の影響で信じた法華経の教えから来たものなのか。

それとも女性が業を興すなどということが考えもされなかった時代、60を過ぎて学校を作ろうと行動するようなその母親の教育があったためなのか。

メザシの土光さん・・・高級車に乗って、高価な服を着て、おいしいものを食べる。十分に贅沢ができるだけの資産や収入があったはずなのに、質素な生活を守られた。

こんな方がまた現れるだろうか?

誰もが求めるリーダー像ではあるけれど、自分がそのように生きたいと思うか?

土光さんのように生きようと思う人、生きることができる人はでてくるのか。

どうしようもなくなった今の日本にまたこのような人物が現れて欲しいけれど・・・その可能性がほとんどないとすれば、どうやって日本を変えていけばいいのか?

読後、ちょっと暗い気持ちになりました。

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