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2015年2月

2015年2月28日 (土)

古さを感じたちきりん著「マーケット感覚を身につけよう」

2015年2月19日発売の人気ブロガー、ちきりん著「マーケット感覚を身につけよう」を読んでみました。

ちきりんさんの本はほとんど持っていて、今度も発売日前にアマゾンで予約をして、発売と同時に読んでいて、自分はちきりんさんのファンなんでしょうね。

さて、この本、これから、論理思考とマーケット感覚が必要であることとか、マーケット感覚を鍛えるための5つの方法等々、やはり慧眼だなあって思う反面、結局どうしたらお金を稼げるかを考えているだけのように思えて、ちょっと違うかなと感じました。

お金持ちになるための方法ではないけれど、ほどほど経済的に豊かな生活をするためにどんなことが必要かが書かれている。

基本ビジネス書に分類されるのかなって思いますし、経済がテーマなのだろうとは思うのですが、どこにもそう書いていないので、勝手に生きるために必要なことを考えている本として読むと、なんか寂しすぎる感じ、古いんじゃないかなって感じを受けました。
いまの日本、たぶんそこそこ豊かな生活をしていて、お金の苦労をしたことがない層の人たちだと思うんだけど、お金で買えないものに価値を感じる人が増えているんじゃないかと感じます。

豊かな自然とか、人との触れ合いとか、自分で何か経験して何かを感じること。

都会で感じられないものを求めて地方に移ってくる人たちは、ちきりんがいうように都会で身につけたスキルが田舎で通用するからっている理由もあるかもしれないけれど、都会にいればお金を稼げるのに、それを捨てて来る理由って、ビジネスチャンスだけじゃないんじゃないかな~


ちきりんさんは、地方でも・・って言うけれど、そのちきりんさん自体が関西出身だけど東京に住んでいて、いまのところ、東京を離れようかな~ってことは言っていない。

そうすると地方もいいですよって言いながら、でも自分は東京に住んでいて・・・

東京の人が地方のことを語れるはずがないんじゃないかな・・

時々行く地方はあくまで時々行く地方に過ぎず、自分の出身地の地方はかつて住んでいた地方に過ぎず、そこを離れた人は、今の本当のその地方を知らないわけで・・・

それはさておき、地方にいると、これから先、お金じゃないものをみんなが求めるようになって行くような気がして、それが既に地方では起こっていて、今までとは全く違う価値観が大切になっていくんじゃないかな・・


ちきりんさんの本はメモを残しておきたいところもあったけれど、この本を読んでみて、全体としてはたぶん著者の趣旨とは違うことを考えました。

2015年2月22日 (日)

「がっちりマンデー!!」を見ながら考えたこと

今日のがっちりマンデー!!の特集は、「儲かるロボット最前線」。

北九州の安川電機などが出てきましたが、森永卓郎さんの第四の産業革命の話。そうなんだ・・・でした。

がっちりマンデー!!のFacebookページから以下拝借

「『第四の産業革命とロボット』 森永卓郎さん  

 いまアメリカやドイツで、「第四の産業革命」という言葉がさかんに使われるようになっています。第一の産業革命は、蒸気機関の導入、第二の産業革命は電 気、第三の産業革命はマイクロエレクトロニクス、そして第四の産業革命がロボットと人工知能です。この第四の産業革命を制する国が、これからの世界経済を 制するとも言われています。  

 これまで続いてきた第三の産業革命は、ME(マイクロエレクトロニクス)革命とも呼ばれ、NC工作機械やマシニングセンタなどのFA(ファクトリーオー トメーション)機器、ワープロ、パソコン、コピー機などのOA(オフィスオートメーション)機器が、生産性の向上に大きな役割を果たしました。ただ、これ までの第三の産業革命では、機器の操作やメンテナンスを行うために、人間は不可欠だったのです。

 ところが、第四の産業革命で、それが変わります。人工知能 を備えたロボットが、工場全体を管理し、指示を出すことによって、工場から人がいなくなるというのです。これは、夢物語ではありません。実際に化学工場で は、工場にたった一人しか人間がいないというケースがごく普通に起きているのです。    

 第四の産業革命は、人間の知的労働をロボットと人工知能が代替してしまうことになります。そうした時代に、人間は何をやればよいのでしょうか。それは、 ロボットや人工知能が絶対にできないこと、すなわち「創作活動」に専念することになるのだと思います。つまり、国民全員がアーティストになるのです。」

一応全部引用しましたが、最後のところ、『国民全員がアーティストになる』は、なかなかそうはいかないかな~と思います。

人間、創造的な方とそうでない方が・・・そうでない方の部類に入りますから、創作活動ができない人はどうすんのよって気持ちが出てしまいます。

ロボットや人工知能が進化していったときに人間は何をするのか?

人工知能をコンピューターに置き換えてもいいかと思うのですが、情報をたくさん蓄えて処理する技術が進んで、さらにそれをモノに作り上げる技術も発達していって、人間は全く太刀打ちできなくなった時に、人間は何をするのか?

私は、アーティストになる必要はなくて、人間なりの能力で蓄えらえる情報を使って、考えていくというのが大事なんじゃないかなって思います。

人間は生活する中で、必要な情報だけでなく、一見無駄だと思う情報も覚えている。

人が、何かの問題の解決策を導き出す際に、ものすごく考えた時、それは、自分の脳にあるものすべてを使って考えるはず。

そんな時、その問題に直接必要だと思われる情報、知識だけじゃなくて、自分が経験したことすべての情報、知識が総動員されるんじゃないかなって思うんです。

ものすごく考えることで、新規なあるいは斬新な解決策が出てくる。そんなことがありますよね。

人工知能が発達して、自分で情報を収集して考えていく技術がすごく進んだとしても、最初に目的を持って作られた人工知能が、人間の発想方法を超えるには、まだまだ時間がかかるんじゃないかと思うし、ひょっとしたら超えることはないかもしれないなあなんても思います。

人は、特定の目的を達成するためだけに生きているんじゃない。

仕事をして、家庭のことをして、地域のことを考えて、などなど。

仕事の効率を上げるために、今まで切り捨ててきたこと、例えば、家庭のことであったり、子どものことであったり、趣味の時間であったり・・・つまり仕事以外の活動。

これから先、科学技術が急速に進歩する中で生きる人間は、24時間トータルで充実していることが重要になってくるんじゃないかな・・・なんて考えてました。

2015年2月21日 (土)

ボーダレスと地域

特集が「本気で考える海外移住&資産運用」だったので、久々に週刊東洋経済を買ってみました。

特集を読もうとページをめくっていたら、「この人に聞く 日本KFCホールディングス社長 近藤正樹」に目が留まり、そちらを先に読んで、ボーダレスと地域がキーワードではなんて思いました。

記事のサブタイトルに「コンビニの存在は脅威 柔軟な出店戦略で対応」とあり、ケンタッキーの近藤社長がコンビニエンスストアなどの中食市場を意識していることがまず書かれています。

ケンタッキーといえば、30年ほど前、実家のある田舎にケンタッキーのお店ができて、フライドチキンを買って食べた時の感動が今でも蘇ってきます。こんなおいしい食べ物があったのかあ(笑)。

それからいままで、日本人の食生活が豊かになって、どんどん多様化しているにもかかわらず、この会社が現在も日本で、ほぼチキンメインで続いているのが、すごいなあって思っています。

日本人には唐揚げというものがあって、トリの唐揚げはご飯のおかずになるけれど、フライドチキンは・・・ 

フライドチキンはパーティやクリスマスなど、家族だったら特別な時に食べるもので、同じ外食のハンバーガーと比べると利用頻度は下がるんじゃないじゃないかな~なんて程度の意識しかなくて。

そんな私にとっては、現在も日本でやっていけている秘密は何なのかなって、ずっと思っています。

それはさておき記事に戻って、

ケンタッキーのライバルは外食というカテゴリーだけではなくて、コンビニやスーパーなどチキン商品を扱っているところも入ってきて、市場がボーダレスになっていると社長さんは考えています。

それから、ライバルが増えて競争環境が変化する中で、どう対応するかについては、店長に権限を与えて商圏に応じた店舗運営を実践すると言われています。

すなわち出店地域のことを個別に理解しないといけないと考えておられます。
この記事を読んで、チキン商品を扱う企業の競争に感心したわけではなくて、

ひょっとしたらどんな分野でもいままでの自分が取り組んできた領域だけに限定せず、思ってもいない領域に目を拡げる・・「ボーダレス」な視点と多様化するニーズを普遍的なワードでくくるよりも小さく地域に分けてそこで共通の特徴を見つけていく・・「地域」という視点 が今まで以上に大事になっているんじゃないかと感じました。

自分が取り組む分野について、過去の常識にとらわれず自由な発想で、ベタに地域にこだわって考えて実行するのが当たり前になってきているんじゃないか。

一企業の社長さんの記事から普遍化するのは変かもしれませんが、しかし、ふとそんなふうに感じました。

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2015年2月15日 (日)

地方、「イクボス」よりもすることが・・

「イクボス」・・よく聞くようになりました。
昨日の日経新聞の女性欄もイクボスでした(2015.2.14朝刊 31面『「イクボス」こうつくる』。

労働相談でよく「東京と福岡は10年の開きがある」と言われます。いま福岡の労働相談で増えている相談内容は、東京では既に10年前から増えていた。

労働問題の発生度から職場の環境全般を判断するのは乱暴かもしれませんが、福岡(地方)の職場環境整備や人事・労務管理は東京に比べ10年くらい遅れているんじゃないかと思います。

わざわざ労働問題を持ち出すまでもなく、それは女性の活躍推進ということでメディアで紹介され、知ることが多くなった企業の女性の実態についても、福岡の実態とはちょっと違うな~と感じることでも言えるかもしれません。

あくまで首都圏のほぼ大企業の話よね・・です。

そんな中で、地方で「イクボス」の取り組みをしなくては・・となるとそれよりもすることがあるよねとがっかりしてしまいます。

もちろん、しないよりした方がよいし、地方の企業でも既に取り組む段階に来ている企業もあると思います。

でも、地方ではまだ、女性を職場の同僚としてきちんと認められていない。
子育てをしているいないに関わらず、女性を補助業務要員と見ている人が多い。男性のみならず、女性も。

男女雇用機会均等法や育児介護休業法の努力義務規定を尊重している企業もそれほど多くない。禁止規定さえ、危ない企業もちらほら。

いまだにセクハラ発言あり、深刻なセクハラが多数発生している。


地方では、かつて東京で行われたように、まずは、女性を男性と同等の労働力と見て女性を職場に増やすことから始めることが、必要だと思います。

男女にこだわらず採用することから。

また、上司段階ではなく、まだ経営者が女性の働き方を理解していないのでは? まずはそこから。
女性が働きやすいように、法に規定されている最低限の基準をクリアする。

「イクボス」・・・いい響きですよね。企業のPR効果も高い。

でもそれに飛びつくより、もっとすることがあるってことを忘れないでほしい。

それは当たり前で地味なことばかりだから、スルーされるんじゃないかと心配してます。

イクボスは増えたけれど、その対象は、(女性がいなくて)子育て中の男性社員ってことになるんじゃないかと・・。

それはそれで子育て世代対策としてはいいかもしれないですが・・・。

2015年2月14日 (土)

復活の兆し

大げさなタイトルですが、自分のことです。

日本が、「そうなの?」という方向に進んでいて、それに対してみんながあまり考えていなくて、かというと批評ばかりしたり、誰かがどうかしてくれると思っていたり・・・

もうこんな国どうにでもなってしまえ、どうせ落ちるだけ落ちても、人間どうにかして生きていけるはず!なんて思っていて、 とにかく自分だけは、後悔しない生き方をしよう、他人様のこと、地域のこと、日本のことは考えないようにしようと思っていました。

このブログも書く気がなくなって、それで別に気にもならなかった。

でも、前回書いたとおり、地域で活動をしている女性の方々に会って、気持ちが戻って来ている感じがしています。

皆さん、食の問題に取り組んでいたり、子育て、教育、環境等々。

自分の目の前で起こっていること、実際に目で見えていることに疑問や危機感を感じて、活動をされている。

皆さんの発言は、都会の評論家の方が、データを読んで、もっともな意見を述べているのとは全く違う。

そんな方々がたくさんいらっしゃることがわかりました。

確かに知識があって、著名な方の意見が影響力はあるかもしれません。

それが実際に活動をする人たちに受入れられて、大きな動きが起こるかもしれない。

地域でちまちまやっていても、せいぜいその地域の一部を少しだけ変えていくだけかもしれません。

でも、小さな地域であっても、行動をして実際にそこに何らかの働きかけをしている方が、高尚な意見を言って誰かに響くことを待っているよりもずっと意味がある・・と思います。

自分の関心領域に限られるけれど、熱心に活動をする人たちがたくさんいる。

ちゃんと見るべきところを見れば、日本もまだまだ捨てたもんじゃない。

自分も頑張らなくちゃいけないなあって思いました。

じゃ、どうするのか?

今まで通りやれることをやるだけですが・・・

2015年2月11日 (水)

問題意識を持った方々の力

今日は福岡県女性研修の翼第19回生の同窓会にオブザーバー参加してきました。

福岡県女性研修の翼は、福岡県が女性リーダー育成のために地域のリーダーを欧米などに研修に派遣する事業です。

第19回生は、2001年にドイツ、デンマーク、オランダに行く予定で事前研修を始めたのですが、アメリカ合衆国で9.11が起こり海外研修は翌年になってしまいま した。

その2002年から予算の見直され、期間を短縮して2コースに分かれて実施されるようになり、2001年度だったら3か国にだったものが、ドイツとデンマ ークまたはドイツとオランダのどちらかのコースに変わってしまいました。

当時そんなメンバーの事務局を担当していて、いまだに皆さんの集まりに参加させて いただいています。

この海外研修は、2001年で19回ですから、1980年代に始まって現在も続いており、もう30年以上も実施されています。

様々な海外旅行の企画が出てきて、この研修と同じような内容も見られる中で、この事業に存在意義があるのかと言われているようです。

しかし、それぞれが問題意識を持って地域の課題と取り組んでいるいわゆる地域リーダーを選んで一定期間事前研修を行った上で海外の施設を視察する研修は、参加した方々に大きな インパクトを与えるようで、研修後に政治家になられたり、活動を広げたり深めたりされる方が多く、波及効果が大きい事業だと思います。

事業の効果を数字で示すことができませんので、事業に否定的な方々への反論は難しいですが・・・
それから、女性だけでいいのか?というのはあるかもしれません。

さて、今日の同窓会ではそれぞれの近況を伺いました。皆さんが、年長の方は70代半ばになるのですが、それぞれいま取り組んでいることを熱く語られました。

教育、子育て、福祉などなど・・皆さんほとんど本業を別に持っていながら、それぞれ自分の関心ある領域でボランティアで活動をされている。

そのパワーに頭が下がりました。

政治家は選挙にお金がかかり、いまや選挙のために自分を支持してくれる団体の利益ばかりに目を向けているんじゃないかと疑ってしまうような状況です。

地域の課題に取り組むことを本業とする公務員は、行政改革で採用が少なくなって優秀な人=勉強だけをやってきた人しかなれなくなってしまうのではないかと思っています。
人が減って一人の業務が多くなって、じっくり考える時間がなくなってもいます。

ですから、政治家や公務員よりも地域で課題と向き合っている人たちに、地域を任せてしまった方がいいのではないか?

皆さんの話を聞きながらそう感じました。

活動をしている方々にお金を渡して自分たちで課題を解決してもらう。

政治家や公務員はそれぞれの活動をつないだり、事務方、裏方を引き受ける。

政治家や公務員が机上で考えたことを事業として下ろしていくのではなく、実態をわかった人がやるべきことを考え、実行していく。

そんなふうにした方がずっとうまくいくんじゃないかな~、そんなふうに思えてきました。

2015年2月 7日 (土)

情けない国日本での自分の生き方

素人が触れてはいけないかもしれませんが、日本人人質事件がヨルダン人パイロットの殺害報道以降、日本人人質事件が日本のテレビニュースの中であまり触れられなくなったのに気持ち悪さを感じています。

どこの放送局からも一斉に消えた感じで、どこを見てもヨルダン国内の状況であったり、報復の話ばかりが取り上げられています。

日本の報道だけを見ていたら、世界、どころか日本国内さえ見えなくなるのではないかと不安になります。

ネットを見ても感情的な意見やどうでもいい意見が目立っていて、あまりネットになれていない自分は、要領よく必要な情報が取れません。

この件に限らず、日本人の多数がきちんと考えるためには、情報を伝える仕組みがもう少ししっかりしていないといけないんじゃないかと感じます。

視点を変えて、日本人人質事件での指導者層の発言を見ると

「テロに屈しない」ですかね。

でどうするかというと、約束した人道支援を行うとか、自衛隊が海外でうんぬんかんぬん。
人道支援は必要だけれど渡してしまったお金をコントロールできないから、軍備に使われることもありうるという話をどこかで読みました。

それじゃ武力かというと武力で平和は実現できない。

いま日本がすべきは自国の情報収集能力を上げることであったり、海外の友好国の人たちと個人的な人脈を作って日本という国を大切な国の一つとして忘れないでもらうことじゃないかな。

特にリーダー層の方々の人脈形成って大事だと思います。国の利益のためににわか仕込みで関係を構築するのではなくて、学問や仕事を通じて人間関係を作り上げていく。時間がかかりますよね。
支援ということでお金でそういう関係を作るっていうこともあるだろうけれど、お金だけじゃないものが必要だと思います。

いろいろ考えていると

日本は世界に誇れるおもてなしの国なんて言って得意になっていていいのかなって思えます。

伝統や文化も大事だけれど、国の基本ができていないんじゃない?

マスコミ、指導者・・変わりようがないような気がして、これじゃこれからの日本、駄目だよねって諦めが出てきてしまします。

なるようにしかならないと思うけれど、それじゃ何もしないでおくかというとそれじゃ駄目な人たちと同じになってしまうので、

・ 無駄だとわかっていても発言を続ける。
・ 過去のとらわれないよう、今起こっていることをできるだけ把握するよう勉強を続ける。
・ 目の前のものにこだわり過ぎず、大局的な視点を持って、常に考える。

というのは、できるだけやってみたいなと思っております。

2015年2月 1日 (日)

「百寿者のメッセージ 権藤恭之さんに聞く 心身衰えても幸福感 周囲の支えが源泉」2015年1月31日日経新聞(夕刊)

高齢者がどんどん増えて、若者が高齢者1人を1人で支える社会が来る。
高齢者のことを語る時、暗い話ばかりが先になります。

それは、高齢者は活躍を終えた人、心身が衰えるばかりの人と考えるからだろうと思います。

そんなふうに考えるのは間違っているんじゃないか? 

そう思わせてくれる記事を見つけました。


記事は

『 「お元気ですね」「健康で長生きしてください」……。高齢者にかける定番の言葉だ。背景には、健康であることが幸せという常識、言い換えれば健康でなければ幸せでない、という強い信念がある。』と始まります。

しかし、100歳以上の高齢者の調査を通じ、『老いのかたち』を研究されている大阪大学人間科学研究科の権藤恭之准教授は、
「心身の機能が衰えても幸福感が高い高齢者は多い」と語られるそうです。


『世界一のスピードで高齢化が進む日本は、4人に1人が65歳以上の高齢者で、既に『超高齢社会』に入っている。百寿者は6万人近くに上り、増え続けてい る。15年前に百寿者研究を始めたのは、寿命の上限近くまで生きた人の身体的、認知的、心理的な状態を明らかにすることで、高齢化が極限まで進む近未来の社 会を垣間見ることができる、と考えたからだ』だそうです。


『百寿者の実態を把握するため、権藤さんらは対象者を、全く障害がない「極めて優秀群」、視聴覚に問題はあるが障害はなく自立している「正常群」、認知機 能か身体機能に障害がある「虚弱群」、両機能に障害がある「非常に虚弱群」――の4グループに分類した。  

「その結果、百寿者には寝たきりや認知症の人が多く、健康で心身の機能を維持している人は約20%にすぎないことが分かった。また、80%の人に高血圧、骨 折、白内障など何らかの病歴があった。いつまでも健康を保ち、認知症にならず、介護も受けずに高い機能を保ち続ける『元気で長生き』は、誰もが理想的な老 いの姿と考えるが、やはり容易ではない」 その調査で「心身の機能が衰えても幸福感が高い高齢者は多い」ということがわかった』そうです。


『「こうした高齢者に数多く出会ううち、体は衰えても幸福感を保つ『老いのかたち』があることに気づき、私たちの関心はおのずと『なぜ百寿者は、様々な喪 失を経験し、必ずしも健康とはいえない状態で生活しながらも幸せなのか』という疑問に集まっていった」  辛い現実に適応しようと、心が変化する  謎を解くカギが、人は残された時間が短くなると、気持ちを安定させる方向に内的エネルギーを使う、という考え方。  

「人は虚弱になっていく過程で、辛いことでなく楽しいことに目を向けようとする心の変化が起き、辛い現実を受け入れ、適応している、というものだ。精神 的、物質的世界に対する認識が加齢に伴って変化する『老年的超越』といわれる心理的変化が生じている、と見ることもできる」  


「見栄(みえ)を張るなど、周囲によく思われたい欲求がなくなり、若い頃のような自己中心性や自尊心が、よい意味で低下する。無理しない、何事も自然に 任せる『無為自然』の人生観を持ち、友人の数や交友関係の広さより、少数の人と深い関係を結ぶことを重視するようになる」』


中高年になると自ずとこれからの人生を考えるようになります。

他人様にも家族にさえも迷惑をかけずに生活できて、そして静かに死ねたらいいなと思います。
しかし、年を取っていくとそれさえも思うようにできなくなってきます。

それならせめて、いただいた命を大切にどんな状態であっても明るく前向きに暮らしていたい。


これからこの研究がどのように発展していくかとても楽しみです。


ところで、 『「ただ、百寿者が自分一人の力で幸福を手に入れているわけではない。調査で出会った人の多くは家族や周囲の人々に大切にされ、それが幸福感の源泉になっ ているように見えた。家族との関係がうまくいかず施設に入っている人は概して不満から幸福感が低く、施設でも周囲と良い関係を結んでいる人は幸福感が高い 傾向がある」
インタビューの最後に、権藤さんが強調した。「幸せな高齢者の近くには幸せな人々がいる。人生の終末期をうまく見守ることで、支える側も心の豊かさを共 有できるのではないか」。超高齢社会を生きる希望、といえるかもしれない。』


人間けして一人では生きられないということでしょうか。  

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