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2015年6月

2015年6月26日 (金)

「高齢化、地方移住という処方箋」2015.6.25日本経済新聞朝刊

東京圏の高齢者の介護施設が将来的に不足することが予想されるので、高齢者の地方移住を と日本創成会議が提言したことに違和感を感じていました。

地方の自治体にはこの提言を歓迎するところもあるという報道もあって、さらに違和感。

6月25日の日経新聞にニュース複眼として日本創成会議座長の増田寛也氏と慶応義塾大学教授の片山善博氏の大論が載っていたので、ゆっくり読んでみました。

増田氏は岩手県知事、片山氏は鳥取県知事、どちらも地方の知事を務めた方ですが、その二人の意見がかなりちがっているのが面白いです。

増田氏は、提言を出した日本創成会議の議長ですから、当然提言の推進派。
記事の見出しにあるように「東京圏の厳しい将来像を冷静に見て、セカンドライフを考えてもらいたい」と仰っています。

それに対し、片山氏はこれも同じく記事には「地域の介護は地域でするのが自治でしょ。できないから出て行け、では「棄民」だ 」と。

地方にいる者からすると片山氏の意見がすんなり受け入れられて、増田氏の意見は、国の有識者会議にいると立場上こうなるのかなと感じます。

増田氏の記事のまとめにある「地方でも、移住した元気な高齢者のノウハウを生かせれば、地域が活性化する。高齢者がいつまでも活躍できる社会を目指したい。」。これには、はあ?と思います。


提言は高齢者が元気なうちに移住と言ってはいますが、介護不足を問題視している議論である限り、あくまで介護の問題。


それを都会にいる人はノウハウがあるから、元気なうちは地域活性化に活かせるではないですかと言われても、地方からすれば介護が必要な高齢者を受け入れてもらうけど、介護が必要になるまでは十分使える人たちですよ(だから受入れなさいよ)と言われているみたいです。

移住する高齢者にしても移住するなら元気なうちは地域貢献せよってことかな?それは、移住する人たちは東京圏の介護不足のために、自分の第二の人生、地方への貢献を決められちゃっているみたいですね。

そもそも東京圏の人がノウハウを持っているって何よ!って思います。


優秀な人は東京に集まっていて、その人たちがいないんで地方の活性化ができないんだ・・・ですか? 

地方の活性化は人材がいればできるという簡単なものじゃないと思います。

地方にもそれなりに人材はいるけれどできていない。


確かに中央には優秀な人たちが集まっているけれど、そこで使える能力と地方活性化で活かせる能力って違うんじゃないかな。

優秀だと思っている人が地方に来て、地域のこともわからないままいろいろやってみてかえって混乱するかもしれないし、いままで優秀だったからといって高齢になって気力が落ちた人が、介護不足で仕方なく移住してきた地方で地域活性化で活躍できるなんて思えない。

地方移住って、その地方に惚れ込んで移ってくるもんじゃないとうまくいかないものなのに、東京圏のご都合で地方に追いやられても・・・って個人から見ればわかることなのに、行政的な都合からしか語っていない。

そういう点からみると片山氏も「地域の介護は地域でするのが自治でしょ」っていう視点からの反論だから、この対論は行政の問題としての議論ではありますが。
いずれにしろ、この提言、お国のシステムをうまく回すために個人は自分の気持ちよりも国の現状を見て考えよと言われているみたいで、

「お国のため」と言う言葉が浮かんできます。

高齢者の地方移住については、提言が出たすぐに若者に人気があるブロガーさんが、よくぞ言った、消滅が危惧されている地方はこれをチャンスにできるみたいなことを書いていらっしゃったけれど、仕方なく移住してくる人が増えてもねと思うし、

日頃は個人は自分のために国を超えて行動せよなんて書いてらっしゃるのにな・・

なんて思ったりもしました。

ついでながら、このブロガーさん、基本好きなブロガーさんですが、専門外の分野ではちょっと違っているなと思ってがっかりすることが多いので、専門外の分野ではあまり発言して欲しくないかな。


特に地方の問題とか、“公”の問題とかは・・・。

がっかりが大きかったんで余計なことまで書いてしまいました。

2015年6月21日 (日)

「超プラス思考で、モチベーションを高めてまちづくりを実現!」月刊ガバナンス5月号 木村俊昭氏

どこに行ったか分からなくなっていた雑誌が見つかったのでページを開いてみるとメモを残したくなる記事が載っていました。

自治体職員の業界誌(?)「月刊ガバナンス」、ごく一部の地方公務員しか読まないかもしれませんが・・
東京農業大学教授、木村俊昭氏の記事です。



木村氏は1984年に北海道小樽市に採用されたのですが、2006年に内閣官房・内閣府企画官に。一自治体の職員さんが全国の仕事を任せられたということでどれだけすごい人な
のかがわかります。

○地方創生に係る「地方版総合戦略」について

自治体が15年度中に総合戦略を策定することになっていますが、
『これまでの自治体の計画は現場をよく見ないで、数%の人たちの意見を聴いてつくることが多かった。その人たちが現場の実情を把握し、その意向を反映してくれるならばいいが、必ずしもそうとは限らない。すると数%の思いが中心になってしまう。そして、そのようにしてつくられた計画を自治体は住民にいきなり広報する。そこで初めて住民は計画を知り、驚くことになる。』

『選ばれた人だけでなく、自由に住民が参加できる場づくりが必要だ。そこでは要望も多いが、対話によってこれまで出てこなかった意見や、全く声を上げなかった人たちが自分のまちに関心を持って動き始めている。
今回の総合戦略は広聴重視でつくるべきで、自分たちのまちは自分たちで悩み考え抜いて創っていくんだと再認識する機会になると考えている。』

すごくわかります。学識の方であったりとか、長年取り組んでいる専門家の方が自治体の委員として意見を言って、立派なものができていく。でもまちはそんな人ばかりが住んでいるわけではなくて、大半は普通の人。できるだけ多くの、まちのいろんな人がどんなまちをつくるかを考えることが大事だって思います。

『首長と議会が対立することがあるが、住みやすいまちづくりをしたいという思いはみんな同じなはず。大事なのは、自分たちのまちの暮らしぶりをどうするか、それを子どもたちにどのように継承していくかということだ。
これまでは、決まったことだから了承してくれという説得の行政が主だった。そうではなく、まず広聴し、行政だけではなくみんなでつくり上げた政策や計画を、案段階でもう一度広聴して意見を聴き、でき上がった計画を広報する手法が求められる。
するとこれまでとは何が異なるのか。まず、住民がまちの現状と課題を知って気づく。人は自ら知り気づかないと行動に移さない。』

世の中が複雑になって、いろんな価値観の人がいて、それを上からこれで行きましょうというのはもう無理な状態になっています。当事者が自分で気づいて、自分で考えて、自分で行動していく・・・しかないと思います。

○「全体最適」に必要性について、企業誘致を例に

『順番を間違え、最初に企業誘致から取り組む自治体がある。一番大事なのは地元の主産業、基幹産業だ。地元の主産業が地域内のどこと取引し、外と取引しているのであれば、地元内企業にできないか徹底的にお手伝いしていく。まずは地元の主産業に情報をしっかり伝えていくことが必要だ。2番目にそれに関連する業を起こす。(略)
その上で、3番目に企業誘致なり、必要な人財に来てもらうための展開をしていく。』

『・・・地元企業こそだ大事だ。そこを重点的にヒヤリングして産業の活性化を考えるべきであり、企業誘致はあくまで3番目。3番目から始めると地元の主産業はガタガタになってしまう。
これが「全体最適」。まちの企業や農業、商店街、中心街、温泉街がそれぞれバラバラに動くのではなく、同じまちで一緒につなぐことはできないのかを考えていく。』

○職員としての二つの目標

小樽市の職員になるときに二つの目標があったそうです。

『もともと公務員になろうと思って大学に行き、1年から3年までの間、全国を回っていく中で、自分のまちのことを知らな過ぎると感じた。
二つの目標の一つ目は、まちの産業、歴史、文化を徹底的に掘り起こして研きをかけて、世界に向けて発信するまちづくりをすること。二つ目に、それをやるときには、大人だけでなく、未来を担う子どもたちが一緒になって地元への愛着心を持てるように育んでいく人づくりを行うこと。』

○自治体の職員に対して

『役所では出る杭は打たれるし、抜かれる。でも、何も悪いことをするのでなければ、超プラス思考で取り組んでいった方がいい。そうでなければ孤立し、くじけてしまう。一人ではできないのでパートナーが必要で、多様な世代と交流する。そして、急がず、焦らず、慌てず、近道せずに、決して諦めないで取り組んでいけばいい。』

『よく「何から始めたらいいのか」という質問を受ける。大事なのはまず自分の仕事。仕事を通じて、住民のみなさんのために何か改善できることはないか考える。ライフワーク上のことについては、行政職員になったらこれだけはやるぞ、というバケットリスト(死ぬまでにやりたいことのリスト)を定めて取り組んでいくことが大事だ。
希望とは異なる職場で、異動したいと思っている職員もいるかもしれない。でも本業は仕事と人生と考えれば、仕事上では改善をしながら、より住民のために取り組んでいく。
ライフワークとしての目標は、休日に行えばいい。こういう形で自分のモチベーションを高めていく。』

○定員削減で厳しい状態の自治体の状況について

『まず自分たちの仕事を整理し、再検討する。行政職員の中で欠落しているのは、人件費換算をせず、費用対効果を考えないこと。もう一つは、「自分は異動して来たばかりなものですから」と言うこと。』

・・・『この点は、民間から見ればまだ甘い。』

どの項目も何度も読んで、考えたいと思うことばかりです。

2015年6月20日 (土)

人たらし

自分のことって見えないですね。

鏡で確認ができる外見にしても、全く同じ体型の二人がお互いを見て「自分はあんなに太っていなくてよかった」と医者に言うというよく聞く例えがありますが、鏡で見ている部分が一部だからそうなのか、自分を完全に客観的に見られないってことなのかわかりませんが、それを聞いただけでも、他人から見える自分を見ることは永遠にできないんだろうなと思います。

ましてや内面も含めた自分とはどういう存在かなんて・・・
しかし、年を取るとそれなりに自分が見えてきて、そこで見えてきた自分の器から考えて、昔はその自分が見えずに無謀なことを考えていたなと感じることが多くなりました。
他人から見るとあの人がそれをやっても絶対に成功しないとわかっていることをあえてやる。

それが大方の人の予想に反して成功する。

想定内のことばかりだと世の中大きく変わりませんので、無謀な挑戦をする人って絶対必要だと思います。

そして、その無謀な挑戦は年を取っていろんなものが見えてくるとできなくなってくるって言いますが、それが肌感覚でわかるようになってきて、ちょっと寂しさを感じます。

それはさておき、

ちょっと前まで仕事とは別に何かをやってみたいと思って、自分なりに動いて、結局挫折してしまいました。

できなかった理由として、やりたいと思っていたことのビジネスプランといいますか、仕組みがうまくなかったとか、やると決めたことを地道にやるというところが不足していたと結論付けていました。
しかし、自分が見えてきた今、自分のことに限らず、何かをしようと思った時にその人に絶対的に必要な要素があり、それは「人たらし」であることではないかと考えています。

何かをやろうと考えたときに、思いついた人は一人でも一人では何もできない。

周りの巻き込まないといけない。

やること自体に魅力があって、それに関心を示してくれるというところもあるけれど、やはりそれをやりたいと思っている人に魅力がないと駄目じゃないかと。
面白い人だな、この人が言うんだったらとか、この人のためにちょっとやってみるかとか。
人を巻き込んでなんかやる人って、幼稚園や小学生の時からみんなの中心にいた子じゃないかなんて思ったりもして・・・
じゃ、人たらしの要素がない人は駄目なのか・・・
そこは、そうじゃなくても自分はそういう人間だという勘違いだとか、自分がやりたい気持ちがとっても強くて、そのために普段の自分とは違う自分になってしまってそれが他人を惹きつけたりとか・・そういうことはあるのかなとは思います。
言い訳ですかね。
自分には人たらしの要素がないけれど、何ができるか? 
年を取って自分が見えるようになっても、日々決められたことをこなしていけばいいっていう生き方はやっぱりいやかな、問題意識を持っておかしいと思うことを変えるために自分にできることはしていきたいですね。

2015年6月13日 (土)

自分で仕事を見つけること

自分の中で時間が飛ぶように流れています。

2015年ももう半分が終わろうとしていますし、6月も既に中盤です。

いついつまでにこれを実現したいとか、何をするんだという発想で先の目標ばかりを見て、(あまりに時間が早く過ぎるので)「これじゃ間に合わない」と思うより、もっと足元を見て、目標を達成するために毎日何をしないといけないか、毎日のノルマを決めて、それを地道にやって行くようにした方がストレスが減るなと思っています。

さて、お仕事の話です。

最近難しいなと思うことは、「仕事の守備範囲を知ること」。

製造業のラインで働いていれば、やるべき仕事は明確なんですが、事務職、自分の仕事で言えば“求職者の方に仕事についてもらうための支援をする”ということが求められる中で、相談にのって、求人を紹介して、スキルを上げるために訓練を受けてもらったり、モチベーション維持のためのセミナーを企画したりとメニューは決まっているのですが、

じゃ具体的に何をするかとなると

例えば、求職者の方が今どういう状態でいるのかを把握することを取り上げると

担当者によって、「自主的に動かないと就職はできないから、ちゃんと動いている人だけをご支援すればいい。連絡を取ってくる人だけをしっかりフォローすればいい」と考える人もいれば、

「仕事を探す気はあっても、なかなか自分一人では何していいかわからないと思う人も多いから、定期的にこちらから連絡を取るべし」と考える人もいる。

同じ組織の中でそれぞれが自分の考えで仕事をしてしまうと利用者は同じ組織を利用しながら、たまたま当たった担当者によって結果が違ってきてしまいます。

それじゃいけないから、そこを束ねるものとしては、我々はどこを目指すべきなのかを明確にして、各担当者に仕事のやり方を考えてもらわないといけない。

「それぞれが目的達成のために何をすべきか」を考えてもらわないといけない。

社会状況や利用者の変化に応じて、やるべきことも変わってくるから常に考えて、仕事をしていかなければならない。

それなのに、いままでこうして来たからとか、自分のスタイルはこうだからと、考えようとしない人がいると・・・

日々やるべき仕事を常にこれでいいのかと考えること=自分のやるべき仕事を見つけること。

上司であれば、部下に対し、常に自分のやるべきことは何なのかを考えるくせをつけさせること。

それが大事なんじゃないかと思いつつ、それができずにいます。

2015年6月 7日 (日)

「「他人に迷惑」墓石残さず」 2015.6.7 日経新聞 日曜に考える

今日の日経新聞は読みたい記事が満載です。

休日の日曜日にじっくり読んで考えるという意味で設けられているのかなと思っている「日曜日に考える」の数ページの中にも 「財政健全化をどう進める」「製造業 落日と再起」「「自分」探すシンガポール」など、気になる記事がいっぱいで、明日も日曜日の新聞を読んでいるかもしれません(笑)。

そんな中で、「「他人に迷惑」墓石残さず」というタイトルの記事、私も自分が死ぬ時のことをそろそろ考える年代ですので気になります。

『新しい葬り方が増えている。他人のお骨と一緒に納めたり、樹木の下に埋葬したりと様々。少子化で「他人に迷惑をかけまい」と墓石を残さない人が増え、墓文化が変わり始めた。』らしいです。

個人のお墓を残さず合葬墓を選択する人、散骨を希望する人、増えているようです。

『戦後教育で育ったいまの70歳代以下の世代には個人主義も浸透。墓にこだわらない自由な埋葬を好む人が増えた。「個人主義は自立も含む。他人に迷惑をかけ ず、自分のことは自分でするよう育てられた人が多い」(森教授(茨木キリスト教大学 森謙二教授)  

マイボイスコムを通じて葬り方に関するネット調査(20~60歳代)をしたところ、「自分の遺骨をお墓に入れるつもりはない」と答えた人は36.8%。3人に1 人は墓にこだわりを持っていない。  

国立社会保障・人口問題研究所の将来推計では、日本の年間死亡数は現状の約127万人から30年代に約167万人まで増える。出生数は現状約100万人で、50年代 に50万人を下回る。首都圏では高齢化や地方出身者による故郷からの墓の移転などで墓不足が問題だが、将来は新しい葬り方がさらに存在感を増す。  

一方、跡継ぎ不足や価値観の変化は無縁墓の発生にもつながっている。墓を新設したい人には墓地内の用地不足を引き起こす。空き家と同様に難しい問題とな っている。  

家族社会学が専門の千葉大学の米村千代教授は「近年は『家』よりも、自分に近い人を大事にする意識が強い」と指摘する。従来の墓は要らないが、残された 身近な人に配慮して、お参りが容易な合葬墓や樹木葬を選ぶ人もいる。葬り方の新たな文化が生まれている。』 (『 』は記事から引用)

歴史を作った人と違って、庶民は自分が生きた証を過去に残す必要はないと思っていますから、自分もやっぱりお墓を作って、後々子や孫に迷惑をかけたくないなと思います。

でも死という人生最後の一大イベントに当たってみんなと同じようにという気持ちを持てるか、そもそも死に直面した際に自分が意志を表示できる時間が残っているのか、ボケてしまってわからなくなっている可能性も高いですし。

まだまだと思っても、死はいつ訪れるか起こるかわからないですし。

100%誰にでも訪れる死ですが、自分の死に方、死後残された者のための準備、考えられるかどうかが、その人の人生に対する考え方・・・いろいろ経験してきてほぼ最後に近いところで到達する考え方・・を表すんじゃないかなって思います。 

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