« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »

2015年10月

2015年10月24日 (土)

仕事で外国語が必要なくても、外国語を学びたい・・・

巷では「知の巨人」という枕詞を使って紹介されることもある佐藤優氏の『知性とは何か』という本を読んでいて、「外国語習得に必要なのは「お金と時間」」という項目のところで、千野栄一氏の『外国語上達法』(岩波新書)の本からの引用がありました。

なるほどなあと思ったので、この本を手に入れて、ちらっとみたら、止められなくなって、『知性とは何か』をほっぽいて読んでしまいました。

目標と目的が明確でなければ、外国語が習得でいるはずがない。


当たり前なんだけれど、「目標」と「目的」、どちらも明確に意識してなかったかなと・・

英語を身につけたいと思っているけれど、全然進歩がない。
ノウハウ本を読んでる暇があったら、実際に英語の勉強しようよと思っていて、

この本も、また読むの?という気持ちで手に取ったけれど、ノウハウ本ではなくて。

外国語にまつわるいろんな方、主に研究者の方々のエピソードがたくさん書かれていて、どこも面白い。


さらにと読めるのに内容が濃い。
英語がんばろって気持ちになりました。

身近に置いておいて、モチベーションが落ちたら読み返そうと思っています。


ところで、私の英語、一向にモノになりません。

いい加減年だし、仕事は思いっきりドメスティックなので、必要ないじゃないと言われそうですが。

いま新聞とか、雑誌とか、もちろんテレビもそうだけど、情報が溢れているといいつつ、日本語の情報がすごく偏ってきているように感じています。

どの意見もあまり違いを感じない。紋切調で、同じ様な結論。

本当にそうなのかな~と思うけれど、凄く違った意見を見つけられない。

だったら、日本人以外の人の意見を聞いてみたい。読んでみたい。

ということで、最も使われている英語を・・なんですが、新聞、雑誌、評論諸々を読みつつ、自分の頭で考えてみるようになれるまで、遠い道のりです。

でも諦めずに続けます。

人が言ったことをそのまま信じるのではなく、自分の頭で考えて納得をする。そのためにできるだけ異なる情報に触れる。
自分が生きている時代を自分の頭で考えて自分自身で理解する。

そうじゃなきゃ、せっかく人間として生きている意味がないんじゃない・・そう思ってます。

2015年10月18日 (日)

日本の男女平等はもはや女性問題ではない・・

男女平等について・・ 

かつて、かなり優れた行動綱領を採択できた北京「世界女性会議」から20年ということで、この20年を振り返るイベントや記事をちらほら見ますが、そんなイベントの一つに参加しました。

ざっというと国連を中心とした最近の動きについての報告でした。

自分は一市民としてやや物見遊山の参加でしたが、基調講演は日本を代表する女性、参加者をざっと見まわすと現・前・元議員さん、かつて自治体の幹部だった方々、大学の先生方など、&ほぼ女性でした。

日本では「男女共同参画」といいますが、「男女平等」の実現に取り組んでこられた方々が多く参加されており、50代から70代が多かったような。

熱い発言を聞きつつ、会場の雰囲気に圧倒されるばかりの頭で考えたことをせっかくなので、残しておきます。

○ 女性の問題をもはや一括りにするのは難しい

発展途上国においては、いまだ女性への暴力や略奪婚、参政権、教育の機会など、まだ人として当然にあるべき権利が与えられておらず、その対応が緊急の課題。

これに対し、選挙権や教育を受ける権利などは当然であって、その有難ささえわからずいわば“平等ぼけ”している日本(先進国全般と言っていいかどうかはわからないので、取りあえず日本)でも、まだ男女間に不平等があり、それを解消していかなければならない。
両者を同じ「女性問題」という言葉で議論していいのか?

明確に分けて議論をしなければいけないところが整理されていないのではないか?

○ 日本はもはや男女均等の取り扱いという問題ではないのではないか?

まず女性問題は最低限の人間としての権利、人権の問題から始まって、それからあらゆる分野への女性の参画が実現できて、男女平等が実現できると考えられてきて、平等の実現が女性側から男性と同等になることとして取り組まれてきたけれど、社会が急激に変化して、目指すところが変わってきたのではないかと感じています。

選挙や教育など男女の平等が法的には実現できている日本は、法は整備されたけれど実質不平等の解消、あるいは男性と同じようにあらゆる分野に女性も参画することが、少し前までのゴールだったかもしれないけれど、今は違うんじゃないか?

男性と同じように組織の中でトップになることが必要なのか? 子育てのために家庭にいることが問題なのか?

学校を出て企業に就職して、結婚したら、女性は仕事を辞めて専業主婦になる。男性は家庭は妻に任せて定年まで働く。

そんなモデルがとっくの昔に主流ではなくなって、今まで通りのモデルを生きる人もいれ
ば、リストラされて転職する人もいるし、女性もずっと働き続ける人もいるし、子育て後復帰する人もいる。

価値観が多様になって、男性型の生き方というものがなくなってきているのではないか?
標準というものがなくなって、どっかに合わせるっという考えはできなくなっているのではないか?

女性をリーダーにと言って政治家になったとして、一人の政治家ができることは限られている。政治家を目指すことが正解なのか?

仕事と家庭、対峙する問題なのか? 

「妻が仕事をする際に、夫がもっと子育てに関わるようになればいい」という発言が女性から出たけれど、子育てって妻がするもの? 

子は夫婦で育てないといけないし、もっと言えば、将来社会を背負ってもらうんだから、社会が、そして、会社の社員となるから、会社が育てないといけないんじゃない?

男性が家事や子育てに関わっていない、関われていないことが問題ではないか?

経済活動と同様に家庭内の活動も重要ではないか?

そういうふうに考えていくと女性問題はもはや女性だけの問題ではなくて、人がどう生きるかの問題で、男性に理解をしてもらうという問題ではなくて、男性も当事者。

結局は人間も動物で、個で生まれて個で死んでいく。だから野生動物が生きるために狩りをするように、個々の人間が生きるために経済活動をして、生きるために家事や育児をそれぞれができるようにする。

たとえ、ひとりになっても尊厳ある生き方ができるよう制度を整えておく。
というのが、男女平等が目指す究極の姿じゃないかなと。

個人のレベルで考えると
どう生きるかは個人の自由だから、妻が家事や育児に専念して給料を稼がないという選択をした時に、例えば夫が出て行っても死んでも困らないように夫婦で決めておく。

国家のレベルで考えると
一人になっても生きていけるように上手くいっているときはそれ相応の負担をしてもらって、一人になった時に生活できる社会保障制度を整備する。

こんな考え方、どうかな?

2015年10月12日 (月)

「M字カーブ 緩やかに  柔軟な働き方・保育充実… 育児期女性、4人に3人働く」2015.10.12(月)日本経済新聞朝刊

本当かな?と思いますが、M字カーブが穏やかになっているという記事が日経新聞にありました。

『出産・子育て期に女性がいったん労働市場から退出する「M字カーブ」。主要国のなかでもM字カーブが深刻とされてきた日本の風景が変わりつつある。25~34歳の女性に占める働く人は4人に3人に達し、35~44歳でも過去最高となっている。働き手の減少をにらむ企業が柔軟な働き方を認めるようになり、保育の受け皿も広がっているためだ。』

とまとめています。年齢階層別の労働力人口について、記事で言及されています(詳細省略:記事をご覧ください)が、

第1子を産む平均年齢30.6歳の階層、2人目の子どもが生まれて職を離れやすい世代である35~44歳の階層ともあまり落ち込みがないとしています。

この傾向の要因として

(1)仕事や働き方の幅が広がっていること・・・日本郵便の例として、「結婚や出産などで退職した女性社員が短時間勤務で復帰できる仕組み」を始めたことが紹介されています。

(2)保育の受け皿が増えて、子どもを預けやすくなってきたこと・・・イオンが「イオンモール内に事業所内保育所」を開いたことや第一生命保険が「全国13カ所で自社ビルの空きスペースに保育施設」を開いたことなどが紹介されています。

(3)女性の晩婚化が進んで、M字カーブが現れにくくなっていること
があげられています。

記事は全国的な傾向ですので、果たしてこれが各地方でも見られるのか、今後もこの傾向が続くのか、要経過観察ですね。

2015年10月11日 (日)

「東大名物教授がゼミで教えている人生で大切なこと」伊藤元重著

昨年8月に出版されていた本を久々に行ったリアル本屋さんで見つけて、購入、即、読みました(ネットの本屋さん、便利だけどたまには出かけないとと思いました)。

何でこんな題名をつけるのかな~ってちょっと残念。

帯には「成績優秀=幸せになる、とは限らない。人生だって戦略的に考えよう。 伊藤ゼミ31年間、400人余りが心に抱いて巣立った、教授がいちばん伝えたかったこと」 なんて書いてあり、

確かに本の中に “成績優秀=幸せになる、とは限らない。”というくだりもあるし、“人生だって戦略的に考えよう。”というくだりもあるけれど、伊藤先生が言いたかったことはもっと深いんじゃないかなって思います。

人生って何だろう、幸せって何だろう・・・先生が自分の経験を交えて語られる読書法や発想法は単なるハウツーではありません。

日本を代表する経済学者が自分が試行錯誤してたどり着いたものを読む人に伝えたいという想いで、決して上から目線ではなく、惜しげもなく書かれています。

書いてあることをそのまま真似るというよりも、その方法に至るまでの経過を読みながら、その意味やそのことをすることが、著者である先生ではなく、自分にとって意味があることかどうかなどを考えることができたことに意味がありました。

方法論の本なんでしょうけれど、自分の仕事の取り組み方だとか、人生の目的だとか、そんなことを考えさせられた本でした。

ずっとそばに置いておきたい本ですが、そうするとやはり「東大名物教授がゼミで教えている人生で大切なこと」っていうタイトル・・もっと違うタイトルつけられなかったのかなと残念です。

ところで、 本の中に働き方について、『「レイバー」「ワーク」から「プレイ」への変化』と表現されていました。

働き方がどんな職種も変わってきていると感じていて、それをうまく説明できませんでしたが、この表現を見て、すごくすっきりしました。

『もうずいぶん前のことだが、どこかの雑誌に書かれたあるエッセイの指摘に触発されたことがある。残念ながらこのエッセイの著者の名前は忘れてしまった。

それによると、「働く」という言葉には少なくとも三つの言葉が浮かんでくるという。「レイバー」、「ワーク」、そして「プレイ」である。レイバーとは、文字通り、肉体労働のことである。牛や馬と同じように、肉体を駆使して仕事をする。

(中略、産業革命のことが書いてあります。)

労働の主力はレイバーからワークに変わっていった。オフィスで事務作業をしたり、工場で機会を使ってモノ作りに励む。これらはみなワークである。肉体労働というよりは、組織の中で与えられた仕事をきちっとこなす。多くの人はワーカーとして生活を成り立たせていた。

私がここで強調したいことは、いま新たな技術革新やグローバル化の下で、仕事の中心がワークからプレイに変わろうとしていることだ。

プレイというのは遊ぶという意味もあるが、ここでは仕事のことである。ヤンキースの田中将大投手や識者の小澤征爾氏のことをプレイヤーと呼ぶが、彼らはけっして遊んでいるわけではない。仕事を楽しんでいるかもしれないが、仕事を真剣に行っているプレイヤーである。』

一部の才能ある人だけでなく、働く人すべてがプレイヤーにならなければいけなくなる。

自分が漫然と考えてきたことが、わかりやすく書かれていて、ああそういうことかと整理できました。

このくだりを読めただけでも私にとってはすごい収穫でした。

2015年10月 4日 (日)

仲代達矢氏~日経ビジネス2015.09.21 編集長インタビュー

日経ビジネス編集長の「問」とゲストの「答」で構成される編集長インタビュー。

ちょっと前のものですが、9月21日号は俳優の仲代達矢氏でした。
今年12月13日で83歳になられるそうです。


最近、ご高齢でも第一線におられ、鋭い意見を発しておられる方は多いですが、80代ともなると家族でもない方からも「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばれ、幼い子どものような扱いをされたり、高齢者自身も、もう老い先短いと考え、半ば諦めの気持ちで過ごしていて、現役の頃の面影がない。

自分も自然と仕方ないのかなあと思っていました。

しかし、この記事を読むと、人はやはり先に生まれてきた人の方がそれだけ長く人生を生きているのだから、若い人よりも多くのことを経験していて、若い者にとっては、その経験を聞ける機会をいただけることが貴重であるし必要だなと感じました。

また、ご高齢の方は逆に自分はもう年なんだからと言わず、いつまでも自分の経験を語っていただきたいと感じました。

仲代氏だから語るものに価値がある。そうかもしれませんが、平凡な普通の人にだって生きてきた分、他人に伝える意味があるものがある・・と思います。

記事から感じた前置きはさておき、

『「人間とは何だ」を問う』とタイトルがついていました。

役者で食べていくことの難しさについて

「みんな自分の技を持って職人芸としてやるわけだけれども、いくらうまくても社会から認めてもらえない役者はいっぱいいます。逆に「どうしてあいつが」というのが延々と売れたりする。非常に不条理な世界でして(笑)」

“芸”は上手い下手の世界かなと思っていましたが、そうじゃないんですね。社会は上手いだけを求めていないってことなんですかね。

「昔、俺が演技賞か何かをもらうと先輩に「賞を取った後が大変だぞ」と言われたんです。一つでも当たり役を取るとそれに引っ張られますから。今はそうだなと納得できるし、失敗作こそ次の勉強になると思います。それでも成功するといい気になっちゃうんですよ、人間って(笑)。周りがちやほやし出しますから。すると芸の習得や訓練がおろそかになっていく。」
当たり前のよく聞く話ではありますが、仲代さんさえそういうことがあったのかなと思いますし、それを克服されていまの「仲代達矢」があるんだなあと。

若者の気質について

「我々は中学で敗戦を迎えて、生きるか死ぬかという思いがある。けれど、とりあえず戦後70年間は平和でいて、それはとてもいいことなんだけれど、多少平和ぼけだなとも感じますね。

無名塾(仲代氏の私費俳優養成所)では早起きと同時に、まず人に対する思いやりを教えます。ほとんど芝居は誰かと絡みますよね。相手が何を思っているかを観察しなくてはならない。けれど人に対する気遣いを、親も学校も全く教えていないんです。だから人間修業から始めることになる。役者になるための人間修業、とでもいいましょうか。」

日本が平和であったことで、失くしてしまったものもある。

成功の話も平和の話も、それがいいものであるし、ずっとそのままであって欲しいけれども、その状態を当然と思わないことが大事なんだなと。難しいでしょうが・・

そのほか、作品制作に時間をかけなくなったことや次世代に残すものなどについても語られています。

こういうふうにあらためて拾っていくと50代の自分からすると当たり前のことばかりですが、最初に読んだ時にとてもインパクトがありました。

指摘をされてみて、あらためて考えてみると当たり前。・・・でも忘れています。
だから、大事なことを忘れないために、時々、経験ある方に真正面から実感を込めて語ってもらう。時々、そんな話を聞く、読む。 必要だなと感じました。

« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »