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2015年12月 6日 (日)

「本の小径「文学はなぜ必要か」 文科省の通知へ様々な反論」2015.12.6日経新聞(朝刊)

日経新聞の読書欄に掲載されていた記事「「文学はなぜ必要か」 文科省の通知へ様々な反論」、文学にはあまり興味がないので、普段なら見出しを見ただけで読み飛ばす記事なのですが、ちょっと気になって読んでみました。

著者は編集委員の宮川匡司氏です。

『書名を見た瞬間、「心の叫びが聞こえてくるようなタイトル」と思った。万葉集など古代文学の研究で知られる古橋信孝氏の『文学はなぜ必要か』(笠間書院)。日本文学の流れをたどる日本文学史といってしまえばそれまでだが、その叙述は、従来の文学史とはガラリと違う。  「2年半前から執筆を始めたが、これからの社会に文学部なんか不要だ、という最近の議論に対しては、『それは違う』と思った」と古橋氏は語る。言うまでもなく、国立大学に、教員養成系と人文社会科学系の学部・大学院の組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に取り組めとする今年6月の文部科学省の通知が念頭にある。古橋氏の著書は、文学研究を無用の長物と見る向きへの根本的な反論にもなっている。』

記事が紹介している『文学はなぜ必要か』という本では、古事記や日本書紀、平家物語などを出しながら、タイトルどおり、文学がなぜ必要かが述べられているようですが、

『本書によれば文学は人間の「自立的な精神」が生み出すものである。与えられた枠組みの中で成果を出すことばかりが求められる社会の中で、「文学は自分を考え、ものを考えるきっかけを与えてくれるものだ」と古橋氏は語る。  

文芸誌「文学界」12月号のインタビューでジャーナリストの立花隆氏は、「すでに教養部門が弱体化しているところに、さらに大学でカバーされる学問分野が近視眼的な実学分野ばかりになってしまったら、日本人の教養レベルはガタガタになってしまいます」と危惧する。問いや疑い、広い教養を見失った学問ほど悲しいものはない。』

多くの大学生が社会でどう役に立つかわからない教養を学ぶ気持ちがないなら、そもそも勉強をする気持ちがない(自分も大学生の時はそうだったですが)なら、仕事ですぐ役に立つ実学だけを学ぶ方がいいと、ちょっと前まで考えていたのですが、

いまは、

人文社会科学など、社会に出てからどう役に立つかはわかりにくいものを学ぶことは、考えるくせをつけるために絶対必要なんじゃないかと思っています。

実学を学んで即戦力になるということも大事だろうけれど、

目の前の仕事をこなすことだけを考えず、

その仕事に意味は何なのか、なぜこの仕事をしているのかなど、自分で考えるくせがついていれば、上から命ぜられるままに仕事をしていて、何をやっているかわからない、あるいは成果を上げるために数字ばかりを追っていて、気がついたらおかしな方向に進んでいた、なんてことが少なくなるんじゃないかなと思います。

手っ取り早く社会の歯車になるのではなく、そもそも社会に何が必要かを考えてそれを作っていく。

そっちの方が面白い。

だから・・

考えるくせをつける・・ことが大事なんじゃないかと思います。

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