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2016年8月

2016年8月27日 (土)

「しまった!もっと勉強しとけばよかった」という言葉がなくなる環境が欲しい

最近いろいろな本をつまみ読みしているので、どこで読んだか見つからないのですが、

日本の大学進学率がOECD諸国の中で下から数番目だそうです。

そして、大学あるいは大学院生の平均年齢が諸外国に比べ低いそうです。

日本政府が教育に使うお金が少ないことはよく言われることですが、国が教育を重視しなければ国民ももっと学ばなければという気持ちが起きないし、経済的な補助がなければ学べる人も限られてきます。

そして、年齢が高くないこと。海外では、いったん大学を卒業し就職した後、必要を感じて大学や大学院で学び直す人が多く、そのために平均年齢が上がるそうです。

それに対し、日本ではいったん大学を卒業したら、あとは働くのみ。大学や大学院で学び直す人は限られています。

国がお金を使ってくれないこと、大学や大学院で学び直す人が限られていることのどちらも残念に思います。

リオオリンピックでは、かつてメダルを取っていた競技で日本が目立たなかったり、日本のお家芸と言われながら一度はメダルに縁がなくなった競技がまた復活していたりで、スポーツのことはまったくわからないんですが、この競技は危機感を持って対策を取ってきたんだなあとか、この競技はお金がつかなくなっているんだろうなとか、勝手に想像して、それなりに成果を出すためにはお金が必要だとしみじみ感じました。

そして、お金があるだけではなくて、その競技の選手層が厚いことも大事なんだなあとも感じました。

国力を担うということも同じように考えると、お金を使うこと、学ぶ人、機会を増やすことが大事だと思います。

それを日本ができていないとすれば、困った状況なんですよね。
オリンピックはタイムや順位・勝ち負けで結果がはっきり見えますが、国力となると簡単に目に見えるものではないので、落ちたことがわかるまで時間がかかって取り返しがつかなくなるかも。

教育にお金を回す話は自分も受益者側に近くなったので、自分も含めてということですが、
高齢者ができる負担をして、社会保障費を減らすことが必要なんでしょうね。
これは政治家の力量の問題ではなくて、自分たちがどれくらい痛みを負いきるかにかかっているかもしれません。未来の日本のためにどれくらい我慢ができるかですよね。

そして学び直し。日本の社会人の勉強意欲は、ほとんどの人が「もっと勉強しとけばとよかった」と思うように、決して低くはないと思います。
通信教育とか、各種学校とかがたくさんあって、みんな結構お金を使っている。・・私もそうです(身になっていませんが)。

でも必要だと思ったことに素人考えで手を出しているだけのような。

社会に出て、ある程度仕事の経験を積んだ30代とか40代、仕事がわかり始めた20代後半に大学や大学院で体系的に学び直しができたらいいと思います。

あるいは、40代や50代になって、これは学生時代きちんと学んだ人も、時代が変わって大学で学んだことがまったく役に立たなくなってしまっていることもあるだろうから、学び直しをした方がいいんじゃないかと思います。
これは自分の能力アップということではなくて、責任ある立場に立った人が次に続く人を育てるために、少なくとも若い人をつぶさないために必要ではないでしょうか。

社会人を対象とした大学や大学院もあるけれど、わざわざ別に作って社会人だけで学ぶのではなく、いまある大学や大学院で学べたらと思います。
少子化で学生が減っているとすれば、社会人が座れる席もあるのでは。

でもこれを実現するためには、学業に集中するための数年間、仕事を離れられる環境が必要。
学ぶためにすっぱり仕事を辞めたとして、いまの日本では、一旦辞めてしまうと今よりいい仕事を見つけにくくなってしまうから、学ぶために辞める決断をできる人は多くはないと思います。

とすれば、会社に在籍しながら学べる仕組みを会社が作ってくれれば・・・ そうは言ってもたとえ給料は払わないとしても在籍させる限り社会保障費負担だとかは発生するので・・・

学校に行っている間は社会保障の掛金を免除するとか、制度を変えないといけないですよね。

「もっと勉強しとけばよかった。」「もう一度学び直したい。」

普通の人がそれをかなえるために、国全体で取り組みを進めてもらえないかなと思います。

教育にお金を使うことと社会人が学べる環境が増えること。あとの方に力が入ってしまいましたが、どちらもどうにかならないかなと思います。

2016年8月21日 (日)

香港を見て感じたこと

お盆休みをはさんで一日休みを取って香港・マカオに行ってきました。

初めての香港、マカオ。ゆっくり観光に浸ればいいものをやはり日本と比較してしまいます。

香港はパワーがあって、ものすごい勢いで成長していることを感じます。
日本の中で「日本は世界から見てここが素晴らしい」なんてことが良く言われるけれど、ただ成長している街の中にいると、そんなこと言っていること自体が過去の栄光にすがっているようで、ばかばかしいなと思えてしまう。

ほんと黙々と成長している。

マカオではオプショナルツアーに参加しました。そのガイドさんが日本人で30年ほど前にマカオに移住された方で、歴史や社会情勢に詳しい方で、単なる観光地案内ではなくてよかったです。

マカオのカジノの売り上げはいまやラスベガスを抜いて世界一位。
マカオでは地価が高騰していて、一戸建てを持っているのは、16戸(だったと思う、とにかく少ない)だけ。
一戸建てに住んでいる人はマカオを動かしている人。
香港にしてもマカオにしても、お金が集まるからそこをめがけて人が集まってきて、活発に経済活動を行っている。
お金が集まる仕組みを作って、その仕組みをうまく使って成功する人は大きく成長し、乗れない人は退出していく。
お金を稼げる人が街を発展させて、そこに住み人たちの生活も豊かになっていく。

魅力があるから人が集まる。人がたくさん集まれば、その中には才能豊かな人が居て、その人がまた街を成長させる。

単純な仕組みが街を成長させている。
香港、マカオ、特に香港はそんなことを肌で感じる街でした。
ふと、企業を潰さないために補助金って考える日本の仕組みがブラックホールにお金を投げ込んでいるように感じて、勝負にならないと感じました。
逆転を狙ってまだまだ成長を目指す国になるのか、もう成長を追うのは止めて庶民が暮らしやすい国を目指すのか。
日本どうするんだろう・・・と不安になった旅でした。
いざとなれば日本を見切ってどこかに移住。
香港に移住するほどアグレッシブではないし、他の候補地・・まだありません。

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2016年8月 6日 (土)

特集「どうした50代! 君たちはゆでガエルだ」日経ビジネス2016.08.08・15合併号

今週号日経ビジネスの第二特集が「50代」でしたので、50代として気になって、早速全部の記事に目を通してみました。

まず特集の書き出し、『50代の存在感が薄い-。・・・ の最後は、50代男性の今後の生き方が日本の浮沈を握る。』で終わっていて、ああ男性の話なのねって、

なるほど50代、男性さえ存在感が薄い世代ですから、50代の女性なんて問題にもならない。
1985年に制定された男女雇用機会均等法が曲がりなりにも浸透しだしたのは、いまの40代後半の女性ぐらいだろうし、今どきの女性活躍で管理職と言われるのもいまや30代や40代。日経ビジネスに関心を持つ50代女性はいないって思われているのかな?などと考えてしまいます。

それはさておき、記事に戻って・・・

記事にあるとおり、

50代(記事では1957年から1966年生まれ)は、若い時に高度経済成長を謳歌し・・・すなわち高度経済成長を作った団塊ジュニアを中心とする前の世代とは違って、果実をもらった世代です。
そしてバブル崩壊を30代から20代半ばで経験し、豊かな日本とその後の失われた10年、20年の日本を知っている世代。

ビジネスマンとして成長する20代、30代にバブルの後処理という後ろ向きの仕事をして、それでもそれは一時的なことでやがて元のようにそれなりの成長をする日本が戻ってくると思って仕事をしていたと思います。
それがやがて失われた10年と言われ、さらにそれが15年、20年と言われ出して・・・

いまから10数年前、福岡でも社会人大学院がいくつかできて、そこに入学した人たちの多くが20代、30代の人たちでした。
日本がゲンキだった頃を知らなくて、これからは会社に頼らず自立するために、あるいは会社の中でも、自分をアピールできる強みを持たないといけないと思っているのかな、危機感を感じて仕事が終わった後に勉強しようと考えているんだろうなと思いました。

その当時、40代半ばで焦りを感じて大学院に入った自分は、当時40代男性が少ないことに、男性はもう管理職として活躍している世代だから、学ぶ必要ないんだろうなと考えていました。

しかし、いまこの記事を読みながら思うと、40代として責任ある立場にあって、バブル後の会社を支えていた。仕事に追われているから自分のキャリアを考える暇がないし、それなりの立場になった自分たちはこのまま会社で定年まで勤めるだろうから、仕事で成長を考えればよくて、外部での学び直しは必要ないと考えていたんじゃないかなと思います。

それがこの記事に取り上げられた50代。

その50代にいま何を期待してこの記事なのかな。

定年が近くなり会社が若返りを図る中で、自分の能力を発揮できない部署に異動させられる。ほとんどの50代サラリーマンがそんな状況じゃないかと思います。

そんな中で、(自分のことですから)気がつく人は自分で発想を切り替えて新しい道を見つけるし、努力もしている。
自分は会社にとって必要な人間だと思って一生懸命やってきたのに、単にある年齢に達したというだけで、あまり努力もしてこなかった人と同じように閑職に追いやられる。

50代になってその経験をした人は自分でわかっています。

逆に何もやってこなかった人は雑誌を読んでも自分のこととして危機感が持てるかどうか?

本当に50代が必要だと思うのなら、50代本人に訴えるのではなく、組織、社会が50代を活かすためにどうすべきかヒントを与えて欲しい。

もし、50代本人に会社本位の発想から抜け出すことをアドバイスするなら、それは一人ひとりがどう生きるかの問題で、それで日本経済がすぐに元気になるとは思いにくい。

50代の存在感が薄いから日本が浮き上がれない?

そもそも生まれた時期、育った時期で世代として切り分けて分析する。そして自分たちはそういう世代なんだと思ってしまう。

年齢や世代で分類されてそれに縛られる。そんな日本の息苦しさが、日本人から元気を奪っていると思います。

50代で何が悪い。定年間際だから何なのよ。60代だから、70代だから、80代だから・・・それが何?

どんな形であろうと人間、死ぬまで社会の役に立とうと思っているし、日々の生き方で同じ年齢でもできることは大きく違う。

年齢や世代で括られると、無意識の縛りをかけられて自分の可能性を潰しているんじゃないかと不安になります。

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