備忘、メモ(考えたこと、感じたこと)

2019年8月14日 (水)

読書する気持ち

8月10日から本日14日まで5連休です。明日から仕事なので、ちょっとイラっとした気持ちも出てきていますが、この5日間はゆったりできて、久々本を読みました。

 

この2,3か月はほとんど本が読めていなくて、先月1冊、今月も1冊読めるか読めないかになりそうでしたが、この数日で読書する気持ちが戻ってきています。

 

仕事に役に立つとか、今後必要とかではなくて、ただ活字を追って知らなかったことを知って、それに自分がどう考えるかを楽しむ。

 

何冊読むか量を気にしないで、目の前の本に何が書いてあるのか、活字を追いながら自分なりにその意味を考える。

 

昔流行った頃に買って読んで、面白くなくて途中で投げ出した本を改めて読んでみると、こんなことが書いてあったのか・・・と初めてわかる本がある。

 

この数日、時間があったからそう考えているだけかもしれないけれど、これまでとは違った本の読み方をしたいなあって思います。

 

 

本を読む気持ちが出てきたら、アウトプットする気持ちも少しだけ復活しました。

 

まだ読んだ本について書けるほどの気持ちは戻ってきていないけれど、読むだけでなくて、そこで感じたことを残しておきたいです・・・そのうちに。

2019年6月30日 (日)

新年度が始まって3が月が・・・

新年度が始まって3か月が経ちました。

4月後半に異動をしてきた方々も仕事に慣れてこられました。

昨年度異動して来てバタバタだった私も2巡目に入り、仕事の性格を理解して仕事に取り組んでいます。

急に案件が入り、バタバタすることはありますが、こういう仕事だと思えるようになって気持ちが楽になりました。

不安要素はありますが、来年3月まで乗り切らねばと思っています。

余裕が出てきたので、今月は少し本が読めました。・・・6冊。中には1時間程度で読める本も含まれていますので、がっつり読んでいるとは言えませんが、一時期、月1冊読めるかどうかの頃に比べれば、大した進歩です。

タイトルと作者、出版社くらいですが、読書記録つけています。

本棚に並んで、読まなくっちゃと思っている本が記録に上がっていて、あれ?読んでいたんだと思うことはしばしはなので、読んでも頭の中に入っていないようですが・・・

ピンクのビニールのカバーがついたノートを買って使っていたんですが、革カバーを新調しました。

ネットで注文して、自分のイメージとはちょっと違っていたんですが、大切に使っていきます。

2019年5月 1日 (水)

令和が始まりました

元号が平成から令和に変わりました。

昨日に引き続き、日本経済新聞のトップを引用させていただきます。

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令和に隠れていますが、今日から5月。

5月というと新年度が始まって1か月が経って、なんとなく節目を感じる時期です。

5月病という言葉もありますが、何かと不安定な気持ちになりがちです。

10連休前に仕事を山ほど残して休みに入ったために、時々仕事のことを思い出して、休み明け初出勤に不安を感じています。

休みは休みで気持ちを切り替えて楽しんではいますが、ふと嫌なことを思い出すと本や雑誌を読んで、再度気分を切り替えています。

そんな中で、10日も休みがあることだし、来年3月が自分の大きな転換期になることから、棚卸の一つとして、このブログをどうするか考えてみました。

最近の記事を読むと「ひどい」の一言。こんなこと書く?っていうのを書いています(我ながら)。

今が止め時かな。

でも、長い間書いてきたもので、あっさり削除ができそうにない。

それで過去どんなことを書いてきたか読み返してみました。

はっきり言って9割がた、ひどい。

そんなこと誰でもわかっているってことをしたり顔で言っている。立ち位置が曖昧で何様?って書き方になっている。

ネットに公開する水準に達していない。

でも、中には読み返してみてよかったなあと思うものも少しだけですが、ある。

そういうのは本や雑誌に書かれた著名な方の意見を抜粋した内容が大半を占めるようなものですが・・・。

(それでもたくさんの情報の中から自分がどれを選択し、どこを切り取ったかというとこに意味がある)

それで・・・

ひどいながらも、他人様に見せるにはかなり恥ずかしいながらも、それでも自分にとっては削除するに忍びないということで、

このまま残し続けることにしました。

令和初めての決断が、マイナスで、自分の恥な部分を残すこと・・・

めでたくない、縁起悪いなどの言葉が思いつきますが、これから引退を迎えて、いやでも「最期」って言葉が強く意識されるようになります。

そこに向かう毎日の中で、自分というものがどういうものだったか分かりたい。

世の中で何かができた自分ではなく、何もできなかった自分、あるがままの自分を客観的に見つめたい。

人として生まれてきて、生まれてきたから生きるしかなかった。

周りに迷惑をかけたけれど、ほんのちょっとは世の中に役に立つことをしたかもしれないけれど、自分ってこういう人だったんだと。

いまより高齢になって、世間からお年寄りって呼ばれるようになったときに自分の立ち位置がはっきりわかる人でありたい。

うまく表現できてませんが。

ごたごた言っていますが、結論は、そのツールの一つとして、自分のために、この駄目ブログを残すことにしました。

2019年4月30日 (火)

平成最後の日

4月30日、テレビは朝からこの話題ばかりです。

「平成最後の日」

やっぱり記録に残しておくべきでしょうか・・・

NHKテレビは一日のかなりの時間帯で「ゆく時代くる時代」という番組を放送しています。

民放も大方「平成最後」というタイトルがついた特集番組を放送しています。

日本経済新聞の一面もやはり

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2019年3月21日 (木)

1年の終わり

4月から始まる会計年度で仕事をしていますので、この時期は1年の締めをしています。


今年一年、本当に波瀾万丈だった。


人事異動で4月に着任して、本来はもう一人いるはずの総務と事業の仕事を一人で持って、ごく普通の私…いやさばけないかも…ですから、もうグタグタ。

青色吐息状態。

おまけに体調不良で長期休暇を取られる方が出たり、同じ時期に異動してきた方がとんでも人材だったりで。


ついでながら、その方、他のところに採用が決まり、我が組織を3月末でお辞めになる。

そして…なんとこの忙しい時期、3月中旬から残ってる有給休暇消化に入られた。

有給休暇取得は当然の権利だからそれ自体は何も言えないけれど、少なくとも自分の仕事は片付けて去って欲しかった。

退職は去年の秋に決まっていて、引継書ちゃんと作ってね、次の担当と直接引継ぎができないから、私に説明をしてねってお願い(ほぼ命じたつもりでしたが)してたにも関わらず、なんと引継書らしき物をもらったのが、もらっただけですよ、終業時間約30分前。

そして、明日から最終日までお休み取ります宣言。

30代半ばのお方です。まさに絶句でした。

まあ私的には、やっぱりそういう人だったんだ、辞めてくれてよかったかもってことでしょうが、そういう気持ちになるまで、数日かかりました。


そんなこんなでもうすぐ1年。来年度は大過なく過ごしたいです。


本来やるべき仕事で充実した毎日を送りたいです。

2019年2月17日 (日)

育とうと思わなければ育たない

職場で子どもほども年が離れた部下に、職場内で「もういい加減にしてください。あなたは感情的だ」と言われました。

その後、その部下、昼から休みを取りますと言って、そのまま帰ってしまった。
それが先々週の金曜日で、休み明けに出てきた際も一言もその事に触れず、当然ながら申し訳なかったの言葉もありませんでした。

私がとても至らない上司だったとしても、組織運営上、だいぶ下の部下が上司を罵ることが信じられない。

また、その後、その人に対し、おかしいという人がいないということで、私はそれほどおかしなことをしてきたんだろうかと考え続けています。

その人及び私に対して、我が上司や同僚が何も言わない、なかったことにしていることで、私は、我が組織に対しても失望しています。

この方、今年3月で退職されて、4月から他のところで働き始めます。辞めるからどうにでもなれって思っての行動だったのだろうと思います。

我が組織、そもそも2年前に急に組織が変わって、急ごしらえで作られたため、よく検討されておらず、人員が不足しています。

その上今年になって、長期休暇が出て、業務分担が変則的になってしまい、それが管理職と各担当者に負担になっているというのがあります。

そんな中で、この方、30代半ば、育児のための休職期間はあるものの、10年以上働いてきて、企画部門、それから外部への派遣、そして事業部門と多様な経験があったので、主体的に仕事をしてもらえるものと思って、細かい指示は出してこなかった。

しかし、数か月仕事をして、複数の大きな失敗をして・・・当然ながら、そのために、本人だけでなく周りが後処理もしました。

遠距離通勤の上、家庭の事情がある、自分の業務分担は多すぎるとも言われて、この方のために業務分担を行いました。

今年ここに転勤して来たばかりだから、慣れればと思いつつ、近い将来、管理職になるべき人でもあるので、自分が身につけてきたノウハウも折あるごとに教えてきた。

教える際に、「はい、はい(わかってます風)」をやたら入れるので、ちゃんと聞いてるかなと思っていたけれど・・・

失敗をフォローし、組織が決めた業務分担に異例の見直しをし、でも組織目的を達するために必要だとやむなく周りが無理をさせて、フォローしてきた(と私は思っていた)。
でも彼女にとっては、失敗してことはちゃんと処理をして終わったこと、自分ができなかった業務は自分の事情上当然自分がすることではなかったことだった(のだろうか?)。

この時期になって、彼女の仕事が一段落したようだったので、私の仕事をちょっと代わりに頼んだところ、それはあなたの仕事だ、自分にはできないと言われてしまった。

相手のある仕事で急ぐものだったし、自分は山ほど仕事を抱えていて、私の判断では彼女にできないことではなかったので、ちょっと難しいことだけど、できないことないと思うし、もしうまくいかなかったら代わるからっと言ったところ、それはあなたの仕事だ、前のところでもそれは管理職の仕事だったと強く言われてしまった。

売り言葉に買い言葉、「あなたの締め切りのある仕事に配慮して、他の方にあなたの業務をやってもらっている。それが終わったのだから、やっていただきたい。」ときつめに言ってしまった。

まあ、この時の私の対応はけっして褒められたもんじゃない。大いに反省すべきとは思います。

で、冒頭のもういい加減にしてください。あなたは感情的だ・・発言につながります。

職場の中で大きな声を出されて、もう帰りますと騒がれ、しまったと思ったけど、それでも、その時点で、私の発言が問題だとしてもあなたは給料をもらっているんだから・・と言っちゃって・・・

いまは、もっとうまく対応できなかったかなあと自分の技量のなさを反省してます。(職場の中でわあわあ騒いでいる彼女は感情的ではなかったか?ってことは置いといて)

その後この方が、自分には有給休暇がたくさん残っていて、辞める3月31日まで出勤しないこともできるけど、そうしないで出てきていると発言したと聞きました。
また、すべての発言が私はいかに頑張ったか、いかに評価されていないか等々、あくまで自分視点の発言で、組織がいまどういう状態、自分がどう行動すべきかとか、いまの自分が組織にどう貢献しているかとか、客観的に見る力がない。
それで・・・この方は30代半ばになって、これ?

それぞれに与えらえた業務はその人が責任を持って終わらせるもの、それがお金をもらって働くってことと思ってきて、周りもだいたい同じ様に考えていると思ってきたんですが・・・

そういう考え方って、自然に育たないんだなあって気がついて、今回の出来事、大きなダメージを受けたけれど、新しい気付きがあって新鮮でした。

それにしても、いろんな経験をすれば、自然に仕事ができるようになると思ってきたんですが、仕事を与えらえて、その場しのぎの仕事をすると、いつまで経っても何もできないんだなあと。

漫然と仕事をしていて、自分に育つつもりがなければ、仕事は身につかないんですね。

2019年1月 3日 (木)

「コミュニケーション強者の終焉」日経ビジネス2018.12.24・31合併号

この数年なかったくらい年末年始の休暇をゆっくり過ごしているので、日経ビジネスもゆっくり目を通しています。

第一特集の「2019年確実に来る未来 5つの試練、4つの商機」の記事中

5つの試練「不動産が天井に近づく」「消費税が引き上げ」「人手不足が深刻化」「教育危機が鮮明に」「国際情勢が流動化」

この5つどれもとても不安になる内容でしたが、

その中で面白いと思ったのが、「人手不足が深刻化」の項にあった「コミュニケーション強者の終焉」

いままでの企業が求める人材はコミュニケーション能力が高い人だったけれど、これからは「生産性向上に本当に貢献できる人が評価されるようになる」

「無人化によって現場に1人しか従業員がいなくなれば当然、上司との人間関係で悩むこともない。接客が苦手でも、商品の受発注や機械のメンテナンスといった能力が高ければ活躍できるようになりそうだ。」

「これから重要になるインサイドセールス(会社から出ない営業)では、資料作成能力や業界分析能力が評価の対象になる」

あくまでこの雑誌の中でウイングアーク1stの久我マーケティング総括部長が話した内容に過ぎないけれど、人と関わるのが苦手な自分にとってはちょっと嬉しい内容です。

といってもここに書かれている“求められる能力”を持っているかというと疑問だし、まだまだ先の話だとすれば、自分には無縁の話ではありますが。

そうであっても、画一的な能力評価が変わっていくなら、多様な才能が活かされるわけで、これからの人たちがそういう環境の中で日々仕事をできるようになれば、仕事の意味がまた違ったものになるかなって、ちょっとワクワクします。

2019年1月 1日 (火)

2019年 平成最後の元旦

あけましておめでとうございます。

ブログの更新がかなり滞っていますが、元日ぐらいは少しがんばって書いておきます。

本日の日経新聞のトップの見出しは、「つながる100億の脳」。

サブタイトルに「知の探求 常識通じぬ未来へ」とあります。

いま2016年に日本語版が出版された「サピエンス全史」を読み返しています。

人間と他の動物を分けたものは「虚構」であるというこの本の主張は、自分の思考軸に大きな変化を与えました。

人間社会は自分たちが作り上げた虚構で成り立っている。

国家、法律、人権・・・すべて人間が作り、それにより社会を発展させてきた。

虚構は人が増えるにつれ、歴史を重ねるにつれ、より複雑になって、いまの姿があるとすれば、

最初は他の動物から身を守るために、生み出したものがこれほど複雑になり、いまでは本当に意味があるのだろうか、人類の幸せのために必要なのだろうかと疑問に感じるものまで生み出している虚構のシステムを人類は、これから、どこへ向かって進めていくんだろうと考えます。

そんなことを考えながら、本を読んでいる時に、今日の日経の見出しを見ると・・

これからどうなっていくんだろうという気持ちがより強くなります。
と、元旦から悲観していてはいけませんね。

そうはいっても日々の生活を送るのは生身の人間。

世の中の動きの惑わされず、日々を過ごすしかないです。

今年1年もまたがんばります。

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↑ ほぼ日手帳 元日のページ

2018年12月 9日 (日)

難しいと思うこと

採用3年目の職員さんがメンタル不調でお休みです。

以前もお休みがあったので、3年目になって仕事に慣れてきて・・・ということじゃない。

本人の分析では完璧主義的なところがあって、難しい仕事になると不安になるとのこと。
それで、難しい仕事が近づくとプレッシャーを感じて休んでしまう。

なので、完璧にできなくてもあとでフォローすればいいんだから。とか
あなたがしないとまったくゼロだから、不完全でもやることが大事だよって伝えるんですが。

やっぱり休んでしまう。

自分ができないというところが大事で、できないことで周りがどれだけ困るかとか、誰がしなくちゃいけなくなるかってところに考えが及ばない?

ちょっと視点を変えてみれば気がつくことだけれど、それをどうやってわからせるか。

自分目線を他者目線に変える。

どう指導すればいいのか、どうしたら伝えられるか、まったくわからず、途方に暮れております。

2018年8月19日 (日)

ミステリー小説でバランスを保つ

金曜日の夕方に上の組織の係長から、「苦情対応をどうするんだ」と言われ、その日は上司が夏休みだったもので、「月曜日に上司に相談の上、結論を出して対応します。」
と言って仕事を終えました。

私の職場は一般の方からの相談を受ける部署。場合により企業の間に立って「あっせん」を行います。
とうたっておりまして、相談を受けて、企業の方にも問題があるんじゃないかと思う場合は、一般の方に替わって企業様にお問い合わせをします。

でも原則はお困りごとの解決方法をアドバイスして、ご相談をされた一般の方ご本人の方がそれを参考に解決のアクションを起こしていただく。

当然ながらあくまで一般の方に代わって企業様に状況を伺って、一般の方の了解をいただいた上で企業様に一般の方のお困りをお伝えする。

そして、企業様の考え方を一般の方にお伝えして、両者で解決していただく。

企業様に、「それはおかしいから改善せよ」なんて権限はまったくありません。

でもこの仕組みをしっている方の中には、私たちが関わって企業様に物申し、そして自分の問題が解決するって勘違いされている方もいらっしゃる。

そしてその中のごく少数の方が、「どうしてできないんだ!」と強い不満を口にされる。そして苦情を仰る。

それで組織内で対応して納得されない場合は上部組織へ・・・

その中には案件の解決そのものについてではなく、相談の際の私たちの対応の悪さを苦情として出される場合があって、その場合は当然ながら私たちも相談をされた方にしっかり説明ができてなかったことや接した際の対応に問題があったのではないかとしっかり考えないといけない。私たちの今後のサービス改善につながることで、とても大切な機会をいただいたと思います。

でも、相談そのものを解決せよ、とか、企業に改善を求めよ、とか言われるとそれはどうしようもない。

相談のスキルがある人が対応をして、相談を受けた内容を相手に伝えて、企業様にそれを伝えて、それで企業様が間違っている場合は、相談をされた方と話をされて解決ができることもありますが、あくまで企業様が自分たちの対応は間違っていないんですっということになれば、あと我々はどうすることもできない。

これをいくら上の組織に言ってもどうしようもないんです。

ですが、上の組織、さらに上の組織に言われるのが怖くて、貴方が仰られることは「ごもっともです」ふうな対応をしてしまう場合はあって、そうすると後は・・・

よくドラマでみる警視庁と所轄警察署の関係、大企業の本社と支社もしくは関連企業との関係をご想像ください。・・・そんなかっこいいもんではありませんが・・

ということで、金曜日の「苦情対応をどうするんだ」…詳しい内容を聞いていないので、まだ判断はできませんが、どうも(我々の接し方の問題ではなく)相談の中身に踏み込んだ苦情のような・・・

で、前置きが長くなりましたが・・すみません、ここまで前置きです。

休みの日に仕事のことを考えるのが癪なので、どうにかしてこの状態から抜け出たくて、読みかけだったミステリー小説を読みました。
まあ、8月に入って1冊も本を読んでおらず、やばいって気持ちもあって・・・それでミステリー小説を読んで1冊にカウントするか?って問題はありますが(カウントすべきはお勉強の本じゃ・・・)。

読んだのは、柚月裕子氏の「検事の本懐」。
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主人公 佐方貞人をテレビドラマで上川隆也氏が演じておられたもの。

う-ん、面白かった。胸のつかえがスッと取れました。

ミステリーで別の世界に行けたというのもあるんですが、気にしていた苦情のこと・・・自分が信念としてもっているものはなにか、そのためのどうするか、そしてその結果がどうであれ、それは仕方ない。

今回のことに限らず、仕事全般に言えることでもありますが。

フィクションで、それに思い至るってどうよって思われるかもしれませんが・・・

本日の結論:柚月裕子氏の他の作品も読んでみよう。司法を扱った面白そうなミステリー他も探してみよう。

たとえ、娯楽って方法でも気分を変えるって大事だなあと(当たり前過ぎ?)。

ついでながら、数年前に父親が認知症になって、介護を受ける親を持つようになって、世界観が変わったんじゃないかと思います。

「思う」って書くのは、自分で変わったかどうかは判断できないとも思うから。

それまで仕事で自分の成果を出したい、人に評価される仕事をしたい、そのために自分の能力を磨かないといけないって思っていたけれど・・

父や母を見て、人って結局他の動物と同じように生命があるから日々必死に生きているんだなあと・・ 必死に生きる・・生き様とでもいいましょうか、人としてそれがどうなのかが大事だなあと
将来どうしたいより、今何をしているのかが大事なんじゃないかなと・・もちろん将来の「今」を過ごすために、未来のことを考え、頑張ることもとっても大事だと思ってます。

でもまずは今の自分でできることをやるっていうことが大事。

今ある自分が自分であって、自分がなりたい自分でなくてもいい。今やれることをやればいい。肩の力が抜けた気がしました。

介護の必要な父と母を見なければ気がつかないことだった。

ミステリー小説にしても、両親の話にしても、どっぷりと浸かっている今の環境(今回の私の場合は苦情にどう対応するかと考えている状態)からふと離れてみるとそれが結構大したことないことってわかって、そうするとおのずと進む方向も見えてくるのかなあ~と。

「ミステリー小説でバランスを保つ」・・このタイトル、今回もちょっと違うかな~?

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