備忘、メモ(考えたこと、感じたこと)

2017年3月11日 (土)

安全衛生の会議に出席して

職場の安全衛生に関する会議に出席しました。

上席の方が健康推進員をしており、本来はその方が出席するはずなのですが、会議が重なったので代理出席しました。

私たちの組織は、基本各事務所単位で職場の安全衛生に取り組みますが、同じ地域の事務所10数か所がグループを作って、そのメンバーで年、数回会議を開催しています。

各職場で実施している安全衛生について他の事務所の事例を参考にできるように、情報交換を目的として、この会議が持たれているようです。

今回は、年度末になって、今年の総括と来年度の計画を行うものでした。

初めて参加して新鮮だったので、ちょっと気がついたことを書いてみることにしました。

まずは、どこの職場もそれぞれ独自の取り組みをやっていて、職場の安全衛生がともすればおざなりになっているんではないかと思っていたので、ちょっとした驚きでした。

でもそれは、それぞれの事務所が安全衛生に配慮しなければならない事情があるということで、

例えば、建物が、バリアフリーをあまり考えられていない、すごく昔に建てられていて、階段の手すりがないというところが数か所あったり、

残業時間の月平均が60時間を超えている部署があるけれど、特殊な業務なので、他の部署から応援を出せないとか、

メンタルヘルス不調の方が増えて、その方々への配慮とともに、(人員が増やせないので)他の方にどんどん負担が行っている話とか、

いま世間でよく言われていることが、我が職場でも切実な問題になって、それで各事務所が真剣に考えるようになったんだなと。

でもやはり安全衛生は、取り組んでいる総務や人事にとっては優先事項であっても、事業を行っている部署にとっては、忘れ去られがち。

健康管理は個人の問題と考えている上司もまだまだ多いんじゃないかとも感じました。

会社のために、社会のために、あるいは自分の成果のためにひたすら働くっていうのがあって、そうじゃないといい仕事はできないという考え方もあるけれど・・・

人生のある時点ではそういう経験も必要だと思うけれど、それがずっと続くことに耐えられる人はそう多くないだろうし、まして山積みになった仕事に意味があるんだろうかなんて考える状態だったら、身体も精神も持たないことは想像がつきます。

人間は動物なんだから、仕事時間中は目いっぱいやって、時間が来たらさっと仕事を止めて、それ以降は家庭や地域のことを考えて、十分に休養もとって、というのが当たり前で、

それで家庭で子どもやパートナーを大事にして、しっかり次世代を育てていくとか、明日の仕事に向かえるよう自分を管理するとか、

会社だけが繁栄すればいいんじゃなくて、地域も大事で、それは誰かがするんじゃなくて自社で働く社員が住民として当然にすることって考えてもらいたいなと思います。

自社の社員は、家庭から育つ。

人が育つための環境を整える。

人は24時間生活する環境の中で育つのだから、家庭や地域の役割もとても大切。

次世代を担う子どもたちが、学校だけじゃなくて、家庭や地域でどのように過ごせるか。

自社を担う次の世代のために、仕事を終えた社員が、家庭や地域で過ごす時間を充実できるように環境を整えることも必要では?



企業がゴーイングコンサーンというなら、そこまで考えてもいいんじゃないかなと。


人間が単純労働で価値を稼いできた時代から、平凡な社員さえ、クリエイティブなものを求められるような時代に変わってきていて、社員の労働の質を高めるために、何をすべきかと視点もあっていいのではないか。

個人は個人で会社がどうにかしてくれるのを待つのではなく、これでいいのかって思ったら、もう少し頑張れるって思わずに、「これでいいのか?」をとことん考えて、自分なりに行動を起こすことが必要なのではないか。


よその職場の発表を聞いて、会議中や会議後にいろんなことを考えましたが、うまく書けず、伝え切れてません。

アウトプットはうまくできませんが、代理でしかたなく行った会議でしたが自分なりに得たものが多い会議でした。

2017年3月 4日 (土)

自分が働く組織のこと

国と都道府県と市町村、国は方向性を決めるところ、市町村は住んでいる方と直に対峙して、地域行政を運営するところ。
都道府県は?
国と市町村の間で、いらないんじゃないの?という方もある組織?
そんな中間のある組織で働く私。
情報システム導入の説明会に行って、がっくり肩を落として帰ってきました。
3月初旬のこの時期に4月1日から導入するシステムの説明会が開催されるということ自体、嫌な予感がしていたんですが・・・

公的機関に限らず情報流失が大きな問題になる昨今。
データを持ち出す際に、上司が承認するシステムを導入するという話なんですが、組織で使うデータは原則組織内LAN内で使用するので、各事務所で作業をする分は特に問題なし。
それを例えば出張先とか、LANが設置されていない場所で使う時にデータを持ち出します。
持ち出しは例外的なものだけれど、業務によっては毎日頻繁に持ち出す必要があります。
で、説明を聞くと、そもそもの設計がそんな業務をする部署があることを想定していたかって内容になっている。

説明を聞きながら、うそ・・・まさかと・・・。

この説明会の前にどこかの事務所でテストしたのかな?

いきなり本格稼働で大丈夫かな?

「特定の役職以上のパソコンじゃないと作業ができません。」と説明されます。

業務の準備は担当者がする場合が多いから、使うパソコンを役職に限定するのは現実的ではないし、その役職は作業の間、パソコンが使えず仕事にならない。

淡々と続けられる説明内容。おかしいことはこれだけじゃないけれど、あまり書けないので・・


これから差し障りがでてくるということは置いといて、なぜこんなことになったのか?


まず、データを守ってますっていうシステムを作ることが優先されて、利用者の使い勝手が忘れられた。

データ流出を恐れるあまり、住民の方へのサービスを提供する業務を優先するという視点が抜け落ちた・・・
誰がお客様かということを常に考えていれば、起こらない事態じゃなかったかなあ?
考えて当たり前のことを考えていないとすれば、何も考えていないのではないか?

私のいる組織ってこんな組織だったんだろうかと思ったら、がっくり力が抜けてしまいました。

もっと考えるとこんな組織でも、地域は特に困っていない。ひょっとして必要ない?

組織の中では人が減らされて、それなのにやるべき仕事は逆に増えて、中枢では残業が常態化しています。

目の前の課題をこなすだけで精一杯で、考える時間がないんだろうと思います。

毎日長時間仕事をして、何か形になるものがでてきて・・・

すごく仕事をしている感じになっている人と何やってんだろうと思って心身に不調をきたす人がいるような気がします。

みんなおかしいと思いながらも変えられない? 
とすると救いようがない。

それでも地域は困らない。 


説明会から数日経ちました。
こんな組織で働いているんだとショックを受けたけれど、どうにか落ち着きました。
おかしいと思いつつ、何もできません。
無力感を感じるし、グチグチいいながらも辞めることもできない自分を情けないと思います。



う~ん、自分が見たり、聞いたりした狭い話から考えているかもしれませんね。
すごく頑張っている人・部署が地域ですごく役に立っているかもしれませんよね。

2017年2月12日 (日)

我が組織「職場活性化フォーラム」の個人的感想

2月も半ばになってしまいました。今年はできるだけ書こうと思ったブログも続かず、今日が2月最初の投稿になります。

「ドラッカー365の金言」という本を読んでいます。
毎日1テーマ、1ページでドラッカーを読めるようになっているので、毎日1ページずつ読んでいます。
本日2月12日は「傍観者の役割」
「傍観者には役者と顧客には見えないものが見える。」

演劇において、役者は舞台の上で演じており、それを見ている観客は芝居の命運を左右する。
傍観者は何も変えないが、役者や観客とは違うものを見る。

「傍観者は自分の目で見、自分の頭で考える。」

このページの出典は「傍観者の時代」という著作で、それはドラッカー氏の自伝的な著作だそうです。

ですから、傍観者はドラッカー氏が自身のことを言っているのだと思います。
それで偉大なドラッカー氏と同じように自分も傍観者だなんて言うのはとんでもないと思いますし、そもそもここで言われている「傍観者」を理解できていないでしょうから・・・

傍観者の一般的な使い方で、自分も“傍観者”かなと。

自分の組織内で役者になれなかった=組織の主な施策を企画・立案し、実行していく場所には立てなかった。

かといって組織の施策を観客として、何も考えずに受け入れる者にもなれない。

役者や観客とは違う位置で、違うものを見ている。

そんな者が自分の目で見、自分の頭で考えたことを文字にすることには意味がある。

自分にしか役に立たないかもしれないけれど、自分が日々考えていることを残すことに意味があるし、もう少し残さないといけないかなと考えた「ドラッカー365の金言」今日の1ページでした。
(言い訳してますかね・・・)


さて、「活性化フォーラム」

先週金曜日に我が組織の職場活性化フォーラムなるものに参加いたしました。

組織全体で職場の改善に取り組んで優秀事例を選ぶために5組ほどプレゼンを行うというのが、メインのメニューですが、会場に行って超違和感。

会場には音楽(いまどきJ-POP)が流れていて、会場に参加されている方の多くが20代から30代。
平均50代の職場にいてどんよりしていたら、我が組織、本当は若かったあ~?

まあ、平日の半分を使って行うイベントに本業が忙しい役職は出てこないし、仕方なく参加するところは、若い人に「お前行ってこい」って言っているせいもあるんでしょうが。
それでも会場に入ってすぐ、もう50代の自分は主流ではなくなったんだとショックを受けました。

それでモチベーションが落ちて、仕事のペースが落ちる自分ではありませんが・・

まあそれはおいといて、この行事、お祭り的なイベントにされたかったようで、それはそれでみんな楽しめたんじゃないだろうかと思いますし、成功だっただろうと思います。

でも我が組織、かつては楽な仕事の代名詞でしたが、いまや長時間労働や困難業務でメンタル不調が大きな問題になっています。
職場活性化はもっと抜本的な取り組みが必要な段階にきています。

楽しいイベントを開いて、盛り上がってよかったね~で思考停止になっているんじゃないか、解決困難な問題から目を逸らしているんじゃないかとちょっと心配です。

2017年1月 1日 (日)

2017年元日

明けましておめでとうございます。

2017年が始まりました。

朝早く起きて・・お正月でもありますし、久々2012年ー2021年の10年日記帳を見ました。
久々ということは、あまり書けていないということですが・・・

この日記の最初の方に「年頭にあたり」というページがあって、抱負などを書く欄があります。

世相という欄は、「政治」、「マネー・経済」、「社会」、「科学・環境」、「国際」、「スポーツ・芸能」、「地域」に分かれていて、それぞれ1行程度書けるようになっています。

いままでお正月にこの日記を開いたことがなく、2012年から2016年まで空白ですが、書いていたらよかったなと思います。


この「NAKAKIRA(ナカキラ)の地域で見る「いま」日記」も「九州、福岡の地で見える世の中。地方目線で「社会」や「地域」に関する話題を時々アップしています。」ブログですから 、ブログのも書いているとおり、「5年後、10年後に読み返したときに、自分が見た「いま」がどう見えるか?」。

自分の眼で見ていた過去を自分で読み返して「今」を考えるために書いているところもあります。

このところ、このブログを書くエネルギーが落ちていますが、今年はもう少し更新を頻繁にして、自分の目で見たいまの記録をもう少し多く残していきたいと思います。

それでは、今年もどうぞよろしくお願いします。

2016年12月20日 (火)

男女共同参画のセミナーで思考停止

しばらく更新が途切れていました。

11月19日に男女共同参画のセミナーに出かけて行って、そこでいろいろ考えてしまって、そうしてブログを書く気持ちがなくなっていました。

うまくまとまらないので断片的にメモ形式でその時考えたことを残します。

女性を管理職などに登用することについて、目標値(例えば2020年までに30%とか・・)を定めて、女性の割合を上げようとしていますが・・・
企業の幹部の方とか、政府とかが、登用が進まないから目標値を定めて推進するというのは、一つの方法として理解できるけれど、

その説明を受けて、話を聞いている人、特に女性って何を考えているんだろう?

例えば、リーダーの女性対男性の割合が、究極50%になって、それで?

企業の製品を買ったり、政府の施策の恩恵を受ける側からすれば、リーダーが女性であろうが男性であろうが関係ないはず。
じゃ、あえて女性のリーダーを求める意味って何か?

割合が上がることばかりに目が行っていて、それを実現することがどういう意味なのか考えているのかなあ~ 

簡単に言ってしまえば、「私たちもっと考えないといけないんじゃない」って思う。

会場からの質疑応答になって、企業を経営しているという女性の方が、
自社社員を採用する際に、面接に男性と女性が来て、女性が優れていたって話をされた。

だから男女共同参画って必要って言いたいのかもしれないけれど・・・

曰く 女性の方は海外で経験を積んでいて、明らかに女性が優れていた。
う~ん、それってその人が優れているって話。

そんな話を聞くと普通な私は、「その話、普通な能力の女性にはきつい話です。普通の人でも性別に関わりなく見てもらえるのが大事じゃない。」って思ってしまう。

男女共同参画って言葉が堅苦しくて、その上、男女平等という言い方をしていた時代から関わって来られた方の思い入れが強くて、もちろんその方々が信念をもって活動をされてこられて、曲がりなりにも今の状況ができているけれど・・・

DVであるとか、低賃金による生活困窮とか、人権的な側面と女性活躍の側面は、もはや「男女共同参画」という一括りにできないのではないか?

人権的な取り組み方と女性活躍の取り組み方はまったく別に考えた方がいいのではないか?
そう感じました。

そして、がっかりした極めつけが、
「男は仕事、女は家庭って意識を変えるにはどうしたらいいとお考えですか?」という質問が出た時。だいたいいつも出ますが・・

そりゃ自分が考えることでしょ! 

男は仕事、女は家庭ってどうだろうと自分で考えてみて、おかしいと思ったら、まず自分の周りで行動を起こしていく。それしかないでしょう。

その質問が出た時に、そうそうどうしたらいいんだろう・・ってみんな興味深く回答を待っていたけれど、

なんか、お上がいい方法を示してくれて、それに従っていればいい・・あるいは、誰かがしてくれる・・・みたいな・・

どうして自分のことを自分で考えようとしないんだろう、こんなことだから、いつまで経っても状況はかわんないんだよ、って怒りを通り越して絶望的な気持ち。

しょせん、お上に頼って、お上の言うなりになる国民なのよね(他の国の方を知らないけど・・)。

思ってたことを書いたらスッキリした~。
ということで、
他人はどうでもいいです。
自分はこれからも自分の頭で考えていきます!!
(考えても大したことが思いつかないボロい頭脳ですが・・)

2016年9月10日 (土)

LGBT~ 自分の認識を変えた講演

前回、セミナーに関心が薄くなっていると書きましたが、いままでの自分の考えが、聴き終わった時には違ったものになっていた、そんなすごい講演に巡り合いました。
一度聞いただけで自分に大きく影響を及ぼす講演。こんな講演に巡り合うとまたセミナーに出かけてみようかなって気持ちになります。


毎年1回「人権・同和問題啓発研修」を受けています。組織のメンバー全員が受けるようになっています。
研修は、毎年人権に関わるテーマを選んで、同和問題だけでなく、例えば子ども、高齢者、女性など様々です。
今年度、私が受講した研修のテーマはLGBTでした。
研修は映画と講演というプログラムでしたが、講演の講師は「一般社団法人gid.jp日本性同一性障害と共に生きる人々の会」九州支部長の椎太 信氏、「「多様な性」(性同一性障害について)」でした。

性別というものがいまや単純に男女だけでなく、多様であること。


性の3要素として、(1)生物学的性、(2)心の性、(3)性指向があり、個人が自分をそれぞれこの3つでどのように感じているか、例えば(1)身体特徴は男性であるが、(2)自分の認識は女性で、(3)性指向は男性である・・というふうに一人の人間が3つの要素をそれぞれどう持つかがあって、身体特徴が男性だから「男性」とは言えないこと。
それから、いま「LGBT」あるいは「LGBTIQ」と表現されるセクシャリティの多様性について整理されて、それから性同一性障害についてご自身の経験を交えながらお話をされました。

申し訳ないですが、いままで人権・同和問題の研修というと「こうであらねばならない」「こうすべき」的な話が多くて、そんなこといまさらわかっているし、ちゃんとやっているから・・と90分以上の講演を睡魔と闘いながら聞いている状態でした。

それが今回の講演は違いました。

元々自分が人間的には世間一般の範疇からはちょっと外れているほうかなと感じているので、「多様性」は当然と思っていて、LGBTについてもいろんな方がいて別に問題はないんじゃないくらいな認識で、普通なことだから特に関心ない、今回もまた睡魔との闘いだと始まる前は思っていました。

それが話にどんどんひきつけられて、一生懸命聞いていました。私だけでなく周りもそんな感じ。

基本的なことをきちんと整理されて、ご自身の体験をお話されて、行政、学校の取組を紹介して、一人ひとりができることを具体的に話されて
・・・流れとしてはいつもの研修講師とあまり変わらないのに、惹きつけられるお話。

この問題について初めて聞いたということもあったのかもしれませんが、話を伺いながらどうしてこんなに惹きつけられるんだろうと考えていました。
淡々として語り口で、自分のことも感情的にならず話をされて、話をわかってもらおうという露骨な押しつけがない。

熱く語られてはいないのだけれど、この問題に熱心に取り組まれていることがわかる。

そして、終わった時は、LGBTという問題を考えることが、他の人権を考える際のヒントにもなるのではないか。この問題は重要なことだと考えるようになっていました。
そういえば少し前の日経ビジネスでLGBTを特集していたと思って、早速バックナンバーを探してみました。
2015.08.24の日経ビジネス「究極のダイバーシティー LGBT あなたの会社も無視できない」・・1年も前に特集記事にするくらいの問題として認識されていたんですね。
我が地域、九州ではどうでしょうか?
記事をチラリと見て「海外ではLGBTが最新の経営テーマになっている」・・・この号読み返そうと思います。

ところで講演資料の最後に様々なデータが載っていて、「パートナーシップ法がある国(地域)」というのがありましたが、講師から「G7の中でパートナーシップ法がないのは日本だけ」という注釈があって、またかと思いました。

ジェンダー・エンパワーメント指数について、日本は低いところにいて、それと同じだなと。
日本は多様性に不寛容。

なぜそうなのでしょうか?


「多様性」・・基本みんなと同じというのが好きじゃないので、多様であることが普通の環境になるといいなと思います。
 

2016年9月 4日 (日)

行政計画の説明会に参加して考えたこと

某市男女共同参画計画の説明会を聞きにいきました。
最近セミナー全般に関心が薄くなりました。
たびたび書いているような気がしますが、具体的な行動の方が関心があって、話を聞くといつも「じゃ、具体的にどうしたらいいんだろう?」って問いがいつも自分の中に出てきます。
疑問を持ったまま講師の話を聞いていると、結局自分の考えを披露することが目的で、その先の行動まで考えていない話が多いようで、講演を聞いている時間がもったいないような気がします。

たまたまいい講演に巡り合っていないだけなのだろうと思いますが・・・

さて、今回は主催者の方からご案内があって、参加者が少ないとのことでしたので、出かけてみました。
行政が作る計画はすべての市民の方を対象にしなければならないので、総花的かついろんな配慮をして作られる。

その中で、現在の社会情勢であるとか、首長が特に力を入れていることが「少しだけ」、あるいは強いリーダーシップを発揮する首長であれば「強く」盛り込まれる。・・・というのが行政計画に対する私の見方です。

この男女共同参画計画は、安倍首相をはじめ多くの方が提唱されている「女性の活躍推進」の色彩が強くでていました。

市の担当課からの説明はこんなものだろうなと聞きましたが、その後の質疑応答でいろいろ考えさせられました。

質疑の時間が30分と余裕があったのに、質問者の質問が多く、かつ長くてセミナー終了時間をオーバーしてしまいました。
いい加減、男性だから女性だからと性別だけでいろいろ言うのは止めたいのですが、セミナーは男性が多いと質問が少なくて女性が多いと質問、多いですね。

なぜでしょう・・・?

今回も女性が多かったので質問も多かった。それは良しとして、何のために質問しているんだろうという質問や質問したい人はあなただけじゃないから時間配分を考えてという質問が多かった。
質問者の中には主催者グループの方も多くて、主催者グループの方は何のためにこのセミナーを開催し、参加者に何を持って帰ってもらいたいかまで考えて、質疑の時間も含めセミナー全体を運営して欲しいなと感じました。
政策決定の場に女性を!というのであれば、自分たちの考え方を伝える場の作り方をもっと考えてもいいかなと。

立派な意見を持っているということも大事だけれど、それを効果的に伝える方法も大事。
伝え方の技術というと何か小手先のことにこだわっているみたいに思ってしまうけれど、とても大事なことなんだなと訳が分からなくなってしまった質疑応答を聞きながら、勉強をさせてもらいました。

それから行政計画について
説明者が計画を作った市の担当課だったので、せっかく市の方が出てきているんでということで、そういう形になってしまったのかもしれませんが、会場から出てきた意見が市に対する要望が多かったこと。
男女共同参画を進めるために、何をして欲しい、これを入れて欲しい、市はこうあるべきだ・・・みたいな。
でも最初に書いたとおり、いろんな考えを持つ市民の方がいて、その方々に対し市がこうすべきだというのはなかなか言えない。
実際計画の文言もこういう市を目指します程度の表現になっています。

そこで考えたのは・・・


行政が作る計画は、経済がまだ発展途上で社会が成熟していない時には、行政がある方向性を示してそこを目指しましょうと言えたように思います。
しかし、経済的なものが充足されて、そこに住む人が多様な価値観を持つと行政がある方向性を示すのは無理になってきて、結局進む方向は示せないけれど、今考えられる範囲で行政がしないといけないことを上げていますというような作りになってきているように思います。

あくまでも計画期間に国が市が何をするかを書いたものに過ぎない。「男女共同参画を進めるために今後5年間で市がすることはこれです」と言っているだけ。

だから市がこの計画を5年間実行したら、市の5年後の男女共同参画が進んでいる・・というとこまで期待してはいけない。
目標値が設定されているので市の計画を実行すれば何かが達成されるような気がしてしまうけれど、計画はあくまでも市役所内部で何に取り組んでいくかを示したもの。
市(行政)に対し、「市内のことは行政がすべき」と考えて、何でもかんでも市役所頼みにするのではなくて、市が税金を使ってこんなことをするから、では自分たちは何をするか。自分たちにできることは何か・・・市の取組に合わせてこんなことをしようとか、市がここはやらないからそれじゃ自分たちがやろうとか、行政計画ってそんなふうに使っていくものかな。

さらに・・行政の役割も時代と共に変わっていくとすれば、行政内部も行政を利用する側もいまの行政の役割は何かを常に考えないといけないのではないか。

ということで、男女共同参画というより、ほかのことをいろいろ考え、それなりに面白い時間を過ごさせていただきました。


こういうセミナーの参加の仕方もありかな。。。

2016年8月27日 (土)

「しまった!もっと勉強しとけばよかった」という言葉がなくなる環境が欲しい

最近いろいろな本をつまみ読みしているので、どこで読んだか見つからないのですが、

日本の大学進学率がOECD諸国の中で下から数番目だそうです。

そして、大学あるいは大学院生の平均年齢が諸外国に比べ低いそうです。

日本政府が教育に使うお金が少ないことはよく言われることですが、国が教育を重視しなければ国民ももっと学ばなければという気持ちが起きないし、経済的な補助がなければ学べる人も限られてきます。

そして、年齢が高くないこと。海外では、いったん大学を卒業し就職した後、必要を感じて大学や大学院で学び直す人が多く、そのために平均年齢が上がるそうです。

それに対し、日本ではいったん大学を卒業したら、あとは働くのみ。大学や大学院で学び直す人は限られています。

国がお金を使ってくれないこと、大学や大学院で学び直す人が限られていることのどちらも残念に思います。

リオオリンピックでは、かつてメダルを取っていた競技で日本が目立たなかったり、日本のお家芸と言われながら一度はメダルに縁がなくなった競技がまた復活していたりで、スポーツのことはまったくわからないんですが、この競技は危機感を持って対策を取ってきたんだなあとか、この競技はお金がつかなくなっているんだろうなとか、勝手に想像して、それなりに成果を出すためにはお金が必要だとしみじみ感じました。

そして、お金があるだけではなくて、その競技の選手層が厚いことも大事なんだなあとも感じました。

国力を担うということも同じように考えると、お金を使うこと、学ぶ人、機会を増やすことが大事だと思います。

それを日本ができていないとすれば、困った状況なんですよね。
オリンピックはタイムや順位・勝ち負けで結果がはっきり見えますが、国力となると簡単に目に見えるものではないので、落ちたことがわかるまで時間がかかって取り返しがつかなくなるかも。

教育にお金を回す話は自分も受益者側に近くなったので、自分も含めてということですが、
高齢者ができる負担をして、社会保障費を減らすことが必要なんでしょうね。
これは政治家の力量の問題ではなくて、自分たちがどれくらい痛みを負いきるかにかかっているかもしれません。未来の日本のためにどれくらい我慢ができるかですよね。

そして学び直し。日本の社会人の勉強意欲は、ほとんどの人が「もっと勉強しとけばとよかった」と思うように、決して低くはないと思います。
通信教育とか、各種学校とかがたくさんあって、みんな結構お金を使っている。・・私もそうです(身になっていませんが)。

でも必要だと思ったことに素人考えで手を出しているだけのような。

社会に出て、ある程度仕事の経験を積んだ30代とか40代、仕事がわかり始めた20代後半に大学や大学院で体系的に学び直しができたらいいと思います。

あるいは、40代や50代になって、これは学生時代きちんと学んだ人も、時代が変わって大学で学んだことがまったく役に立たなくなってしまっていることもあるだろうから、学び直しをした方がいいんじゃないかと思います。
これは自分の能力アップということではなくて、責任ある立場に立った人が次に続く人を育てるために、少なくとも若い人をつぶさないために必要ではないでしょうか。

社会人を対象とした大学や大学院もあるけれど、わざわざ別に作って社会人だけで学ぶのではなく、いまある大学や大学院で学べたらと思います。
少子化で学生が減っているとすれば、社会人が座れる席もあるのでは。

でもこれを実現するためには、学業に集中するための数年間、仕事を離れられる環境が必要。
学ぶためにすっぱり仕事を辞めたとして、いまの日本では、一旦辞めてしまうと今よりいい仕事を見つけにくくなってしまうから、学ぶために辞める決断をできる人は多くはないと思います。

とすれば、会社に在籍しながら学べる仕組みを会社が作ってくれれば・・・ そうは言ってもたとえ給料は払わないとしても在籍させる限り社会保障費負担だとかは発生するので・・・

学校に行っている間は社会保障の掛金を免除するとか、制度を変えないといけないですよね。

「もっと勉強しとけばよかった。」「もう一度学び直したい。」

普通の人がそれをかなえるために、国全体で取り組みを進めてもらえないかなと思います。

教育にお金を使うことと社会人が学べる環境が増えること。あとの方に力が入ってしまいましたが、どちらもどうにかならないかなと思います。

2016年8月21日 (日)

香港を見て感じたこと

お盆休みをはさんで一日休みを取って香港・マカオに行ってきました。

初めての香港、マカオ。ゆっくり観光に浸ればいいものをやはり日本と比較してしまいます。

香港はパワーがあって、ものすごい勢いで成長していることを感じます。
日本の中で「日本は世界から見てここが素晴らしい」なんてことが良く言われるけれど、ただ成長している街の中にいると、そんなこと言っていること自体が過去の栄光にすがっているようで、ばかばかしいなと思えてしまう。

ほんと黙々と成長している。

マカオではオプショナルツアーに参加しました。そのガイドさんが日本人で30年ほど前にマカオに移住された方で、歴史や社会情勢に詳しい方で、単なる観光地案内ではなくてよかったです。

マカオのカジノの売り上げはいまやラスベガスを抜いて世界一位。
マカオでは地価が高騰していて、一戸建てを持っているのは、16戸(だったと思う、とにかく少ない)だけ。
一戸建てに住んでいる人はマカオを動かしている人。
香港にしてもマカオにしても、お金が集まるからそこをめがけて人が集まってきて、活発に経済活動を行っている。
お金が集まる仕組みを作って、その仕組みをうまく使って成功する人は大きく成長し、乗れない人は退出していく。
お金を稼げる人が街を発展させて、そこに住み人たちの生活も豊かになっていく。

魅力があるから人が集まる。人がたくさん集まれば、その中には才能豊かな人が居て、その人がまた街を成長させる。

単純な仕組みが街を成長させている。
香港、マカオ、特に香港はそんなことを肌で感じる街でした。
ふと、企業を潰さないために補助金って考える日本の仕組みがブラックホールにお金を投げ込んでいるように感じて、勝負にならないと感じました。
逆転を狙ってまだまだ成長を目指す国になるのか、もう成長を追うのは止めて庶民が暮らしやすい国を目指すのか。
日本どうするんだろう・・・と不安になった旅でした。
いざとなれば日本を見切ってどこかに移住。
香港に移住するほどアグレッシブではないし、他の候補地・・まだありません。

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2016年7月 3日 (日)

本を読んでいない

7月になりました。2016年も半分が過ぎました。

熊本で大きな地震が起きて、ヨーロッパではUKがヨーロッパ連合を離脱することになって・・
7月に入り、バンクラデシュのダッカで、日本人が巻き込まれるテロが起こりました。
自然災害はもちろんですが、人が起こすことも各国の政府がコントロールできないことが多くなっているように思います。

自国さえうまくいっていれば、それでいいというわけにはいかなくなっているということをより一層感じます。

一人ひとりが無力で、無力だからこそ、ただ一生懸命生きるしかないなあと思います。

そうなるとかくあるべしとか、こういうことをやってきたふうなことを書いてあるビジネス書的な、啓発書的な本に関心がなくなってきて、最近本を読まなくなっています。

少なくても月5,6冊は読んでいたのが、先月6月はついに1冊になってしまいました。

言い訳な感じもありますね。

ちょっと骨が折れそうな本は読みたいものがたくさんあるんですが、読めていません。

なぜ本に向かう時間が少なくなっているかが、よくわかりませんが、本を読んでいないと考える時間が減っていて、毎日薄っぺらな過ごし方をしているように感じてます。

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